「大ヒットした『全裸監督』の原作料ってホントのところいくらなんですか?」【特別対談】本橋信宏×フリート横田
アンダーグラウンド文化や人間の裏面を鋭く描き続ける作家・本橋信宏氏と、路地徘徊家を自称し、東京とその周辺に残る昭和の風景を訪ね歩く文筆家・フリート横田氏による対談。『全裸監督』のギャラにまつわる噂から、バブル期の煌びやかな東京、そして現代の路地裏ブームまで、アウトローな視点を持つ両者が語り尽くす。
「原作料ウン千万円」説の真相
横田:Netflixで世界的なヒットとなった『全裸監督』の原作者である本橋さんにお会いしたらどうしても伺いたいことがありました。業界ではまことしやかな噂が流れていますよね。「高額の原作料で、本橋さんは左うちわだ」って。
本橋:その噂、どこから出たんでしょうね(笑)。声を大にして言いたいには、映像化の権利料というのは、世間が思っているよりずっと安いということです。映画『テルマエ・ロマエ』の原作料が100万円だったという話もあります。Netflixは外資だから国内よりはだいぶいいですが。
横田:(小指を立てながら)こっちの方で使い切った、なんて噂もありますが。
本橋:それは当たらずも遠からず……というのは冗談ですが、実態は「毎月の原稿料はいつ入るんだ」と胃を痛める日々ですよ。
横田:本橋さんの新刊『花街アンダーグラウンド』(駒草出版)を拝読しました。
本橋:「夜の世界から男を支配してみせる」と豪語して向島の芸者になったAV女優の数奇な人生をはじめ、神楽坂や大塚、深川など花街を舞台にした物語を描いています。
横田:4月にも新刊『昭和・平成レトロを巡る東京さんぽ』(エクスナレッジ)が出るとか。この執筆スピードは凄まじいです。
本橋:ヘロヘロになりながらも自分を追い込んで書いています。先日も締め切りに追われて、救急車を呼ぶ羽目になった。幸いなことに、医師からは「脳の血管はきれい」だと言われましたが、新宿のスポーツセンターで「本橋再生計画」と称してライザップ並みのトレーニングを始めました。身体はボロボロではありますが、新刊の取材の過程では40年ぶりに女性に再会するというドラマもありました。シャンパンがグラスに溢れるように、当時の記憶がドッと溢れ出してきましたね。
横田:さすがです。巷では横丁や路地裏がブームですが、本橋さんがモテモテだった80年代の東京は、現在とはまったく違う景色だったんでしょうね。
昭和ブームは「一種の安定剤」
本橋:80年代の東京はいまと真逆で、「午前の太陽」みたいにすべてが新鮮でキラキラしていた。私と同じ昭和31年生まれの田中康夫さんの『なんとなく、クリスタル』が象徴するように、ブランド品を身につけることがカジュアルになった。私も「ブランド大好き親父」なんて言われましたが、ルイ・ヴィトンのベルトをプレゼントしたつもりが、よく見たらバレンチノだったなんて笑い話もありましたよ。当時は誰もがクリスタルな世界を追いかけ、横丁や路地裏なんて野暮ったい世界を評価する空気はなかったですね。
横田:本橋さんはお酒を召し上がりませんが、路地裏横丁文化にも知見がありますよね。煌びやかな時代を過ごした本橋さんがこうした場所に惹かれる理由は何ですか?
本橋:一般的に人は自分が育った時代、あるいは少し前の時代に関心を持つものです。記憶にかすかに残っている、あるいは当時触れたものを懐かしいと思うんです。しかも私の場合、小学生の頃から懐かしがり屋だから。あるとき、精神科医に「なぜ私はこれほど昔を懐かしがるのか?」と相談したことがあります。先生曰く、それは「精神安定剤」なんだと。過去は不変で、もう変わることがない。揺らがない過去をなぞることで、人は安心を得るとのことでした。不安定な社会において、現在のレトロブームは、一種の安定剤のようなものかもしれません。
横田:なるほど。僕が日々路地裏やガード下を彷徨うのは、59歳で亡くなった父親の背中を探しているのかもしれません。本橋さんと同じ昭和31年生まれだった父は、トラックの運転手。思い出すのは、B.V.D.の肌着に金の指輪とネックレス、髭もじゃの姿です。僕にとって、これが働く男の原風景であり、格好良かった。自宅には電動雀卓があり、酒やギャンブル、女にまみれたおじさんたちが出入りしていた。そんな面影を求めて蒲田や川崎のガード下を彷徨うと、酒とギャンブルのにおいがする爺さんたちがいまも生息している。僕は爺さんたちに絡まれるのも好き。原風景に出会えた気がしてどこか安心するんですよ。
上野は「土浦の首都」
本橋:出身は茨城県行方市でしたよね。あなたが以前話していた、「田んぼの蓮を引っこ抜いたような連中ばかりの土地で育った」という表現が非常に印象に残っています。
横田:高校の教室には『漫画ゴラク』や『ヤンマガ』しか転がっていないような環境でした。
本橋:まさにヤンキーの渦の中に、読書好きのインテリが紛れ込んでいたわけだ。
横田:中学の頃はヤンキーの世界に行きたいと思ったこともありますが、向いていませんでした(笑)。それでも短ランの裏地には龍を刻んでいました。そうでもしないと女の子とも話すことすらできない環境だったんです。でも、もやしっ子なので全然モテず、いつも図書館にいました。そこで、司書教諭にいろいろな本を勧められ、三島由紀夫などを読み耽るようになり、東京の大学へ出ることになった。あの先生に会わなければ、地元でユンボの運転手でもしていたでしょうね。それはそれで良かったと思いますけど。
本橋:そのルーツがあるから、東京に出てきても「東側」に惹かれるわけだ。
横田:上野なんて「土浦の首都」みたいで落ち着きます。地元にいたような爺さんたちがたくさんいますからね。逆に、新宿より左側に行くと、あのにおいはまったくなく、地元の爺さんとは真逆の、うんちくが多い、かわいげのないおじさんが増える気がしますね(笑)。
後編記事『「港区女子」が吉原遊郭を訪れる理由【特別対談】本橋信宏×フリート横田』につづく。
