19歳で出産、2度の離婚、4人の子持ちで焼鳥店、クラブ、税理士事務所等で働く女性が50歳で叶えた夢

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人生100年時代、日本女性の平均寿命は40年連続で87.13歳と世界トップクラスにある。そんな中、子育てや仕事に追われてきた日々を経て、自分自身と向き合う時間が増えてくる50代は、多くの女性にとって「第2の人生の始まり」ともいえる節目ではないだろうか。

これまで家族や周囲を優先してきたからこそ、これからは自分の健康や価値観、そして本当にやりたいことに目を向けたい--そう考える女性も少なくない。

本連載では、そんな人生の第二幕を軽やかに切り拓き、新たなセカンドキャリアに挑戦する女性たちにフォーカスする。今回紹介するのは、53歳で自らの店を開業し、夢を実現した今泉麻季さん。その波乱に満ちた歩みをライターの梅津有希子さんの取材でたどる。

19歳で出産、成人式は大きなお腹で出席

3月5日に静岡県伊豆の国市にオープンした「IZU TACOS(イズタコス)」。明るくカラフルな店内で、本格的なタコスとテキーラを提供するメキシコ料理店だ。

オーナーの今泉麻季さん(53)は、愛知県岡崎市出身。19歳で結婚、出産し、二度の離婚歴がある。金融関係や高級クラブ、焼鳥店などで必死に働きながら子どもを育て、自分らしい人生もあきらめない。波瀾万丈でありながらも、常に前向きに生きる彼女の半生を振り返る。

現在、53歳にして4人の孫がいる今泉さん。2歳年上の最初の夫との間に生まれた長女は34歳、年子の次女は33歳になる。

「高校1年生から付き合っていた先輩と19歳で結婚しました。長女を出産した翌年に次女を妊娠したので、成人式は大きなお腹で長女を抱いて出席しました」(今泉さん。以下同)

かわいい娘2人に恵まれたものの、23歳で離婚となる。

30年前はうつ病という認識があまりなく…

「元夫は、高校を卒業して美容師になりましたが、向いていなかったようで辞めてしまい、ネットワークビジネスの道へ。それもあまり長続きしなくて……。気力が湧かないと言って休むことも多く、今振り返るとうつ病だったんだと思います。ただ、30年前はうつ病という認識があまり一般的ではなく、ただの怠け病のように見えてしまって。

私の父が大工で、うちに婿として入ってくれたんですけど、そうしたことが原因で父と折り合いが悪くなってしまいました。うつ病で思うように身体が動かなかったんだろうと今となっては理解出来るんですけど、当時はわからず、離婚することになりました」

幼子2人を抱えた今泉さんは、高校時代のアルバイト先だった焼鳥店に復帰し、必死で働いた。

「オーナーさんが娘たちをかわいがってくれて、子連れで出勤でもいいと言ってくれたんです。仕事の間は、オーナーさんのお子さんたちが子どもの面倒も見てくれて、仕事でも学ぶことが多く、ほんとうに頭が上がりません」

31歳の時に、二度目となる結婚をした。地元岡崎市の寺で出会った3歳年下の副住職で、共通の知人が縁をつないだ。

「もともといとこのサーフィン仲間だったことから紹介してもらいました。お寺で彼に会った瞬間、『この人と結婚する』と感じるものがあったんです」

既婚者の結婚エピソードを取材していると、「初めて会った瞬間『この人と結婚する』と思った」という話はよく聞く。単なる一目惚れとも違い、直感で「ビビッときた」というケースは少なくないが、今泉さんはちょっと違った。

「平日は金融機関で働き、土日はお寺の手伝い」

「幼少のころから、頭の中に言葉が降りてくるようなことがよくありました。携帯のない時代、大きなフェスティバルで友人とはぐれて、『あ〜あ、もう今日は会えないか』と諦めた時にも、急に言葉が降りてきて、そこの場所に行ってみたら再会出来たり。なんとなく、おばあちゃんというか、大きな存在に見守られているような感じです。彼との結婚も、私の中では、彼の寺の仏様に呼ばれたように思っています」

副住職の彼とはその後、いとこを交えて再会した後、1ヵ月も経たずに交際することに。

「焼鳥屋さんを辞めて、高級クラブの小ママをやった後、昼間の仕事に就くため金融機関で働いていました。ただ、前の夫との間に子どもがいたことで、彼の両親から結婚を反対されて……。

同居を続けることが難しかったため、大工の父に相談して中古の家を買い、義実家と離れて暮らすことにしました。彼は副住職なので寺に通い、私は平日は金融機関で働き、土日はお寺の手伝いをする。そんな生活をなんとか続けていたのですが、彼との間に子どもが生まれると、寺の跡取りだとなんだのと争いごとが増えてしまって、彼が両親と私との板挟みになってしまいました」

副住職との結婚生活は15年ほど続いたが、45歳で離婚。子どもたちは寺の跡取りとして残した。その後今泉さんは、ハローワークでみつけた税理士事務所に就職した。今年長男は高3、長女は高1になるが、当時はまだ小学生だった子どもたち。置いて出ていくことに迷いはなかったのだろうか。

「経済的なことを考えると、彼の元で暮らすほうがいいと思いました。最初の夫の子どもたちは、ふたりとも成人して、すでに独立していたので、片方とでも暮らしたい気持ちはありましたが、きょうだいは一緒のほうがいいと思っていたので……」

「自分の店を持とう」

税理士事務所で働きながら、心の穴を埋めるがごとく考えたのは、「自分の店を持とう」。実は、高校時代に焼鳥店でアルバイトをしていたころから、自分の店を持つのが夢だった。

チャンスはまもなく訪れた。勤務先の税理士事務所から目と鼻の先に、空き物件が出たのだ。時を同じくして、関東で飲食店を営んでいた親戚が地元に戻ってきた。今泉さんは、離婚後ひとりで住んでいた自宅を売って、親戚にも出資して、一緒にオープンにこぎつけた。店は、全体の1/3を自分がやりたかった焼鳥店に、2/3を親戚のハワイアン料理店にした。

今後の生活を考えて、税理士事務所は辞めなかったという今泉さんの毎日のスケジュールはこうだ。

8:30……税理士事務所に出社

12:00……徒歩5分の焼鳥店に移動。仕込みをしながら昼食をとる

13:00……事務所に戻り、午後の勤務

17:00……事務所を退社し、焼鳥店へ

17:30……焼鳥店を開けながら、仕込みも続け、19時ごろから本格的に営業。

22:30……閉店、片付けなど

23:30……帰宅

24:00……就寝

気力と体力がないととても務まらないスケジュールだが、念願の自分の店を開業した今泉さんは二刀流を根性で通した。だが、同時に始めたハワイアン料理の店の親戚は半年ほどで辞めてしまった。店舗の2/3が空いてしまったことを友人に相談すると、友人は料理上手なママ友を連れてきて、オーガニックの弁当を売り始めた。娘も加わり、機転のきくママ友との連係プレーで弁当店はうまく回り始めた。だが人が好く、つい商売より縁を優先してしまいがちの今泉さんのほうが、儲けを出すのが難しかったという。

そんな中、ある日ひとりの男性がふらりと店を訪れた。この出会いが、その後の今泉さんの運命を大きく変えることとなった。

◇地元愛知県で夢をかなえた今泉さんが、なぜ静岡の地で経験のなかったメキシコ料理の店を出すことになったのか。今泉さんはいったい誰と出会ったのか。

後編「恋の破局で夢も生活も奪われる現実。50 歳で叶えた『夢の焼鳥店』を手放し避難した先で得たもの」にて詳しくお伝えする。

【後編を読む】恋愛の破局で夢も生活も奪われる現実。50 歳で叶えた「夢の焼鳥店」を手放し避難した先で得たもの