16世紀の天文学書から「ガリレオ直筆のメモ」を発見
ルールは、破る前にまず習得せよ。
歴史学者のイヴァン・マラーラ博士は、フィレンツェ国立中央図書館で16世紀に出版された天文学書『アルマゲスト』7冊を調査していました。ページをめくっていくとふと目に留まったのは、本の余白にびっちりと書き込まれためちゃくちゃ細かいラテン語の文字たち。この筆跡はもしや……。
若き日のガリレオが残した直筆メモ
このメモは、人類史上もっとも偉大な知性の一人、ガリレオ・ガリレイ(1564〜1642年)が書き込んだものの可能性が高いとマラーラ博士は言っています。なお、この発見などを含めた3年以上にわたる研究結果をまとめた論文は学術誌『Journal for the History of Astronomy(天文学史ジャーナル)』に掲載される予定です。
このメモは1551年に出版された『アルマゲスト』から発見されました。『アルマゲスト』とは、2世紀のローマ帝国時代にエジプト、アレクサンドリアの天文学者クラウディオス・プトレマイオスによって記された古代天文学の書物です。天文学の教科書として1,400年以上にもわたって出版されてきました。
書き込まれていたのは、旧約聖書の祈りの詩
ガリレオ直筆のものと判断された決め手の一つは、旧約聖書の中にある「詩篇145」の書き写しだったとマラーラ博士は科学誌『Science』に説明しています。同氏はフィレンツェで16世紀に出版された別の『アルマゲスト』に無名の著者による“ガリレオはプトレマイオスを研究する前に神に祈りを捧げた”という記述を見つけており、他の歴史記録でも同様の内容が確認されています。
さらに、ガリレオ博物館とフィレンツェ中央図書館の筆跡専門家は、書き込みがガリレオ特有の筆跡や注釈の付け方、略記法と非常によく似ていると判断。書き込みの中にはプトレマイオスの理論への批判もあり、その内容は後のガリレオの著作に見られる主張と一致しています。
天動説も熱心に勉強していたガリレオ
ガリレオが生きた16〜17世紀の絶対的な常識は、地球が宇宙の中心であり、すべての天体が地球のまわりを回っているという天動説でした。このメモは、おそらく1590年ごろのものと思われます。これはガリレオが月や木星を観測する20年前、地動説を支持したことで異端とされ自宅軟禁に置かれる約40年前のことです。
これまで多くの歴史家は、ガリレオを「哲学や政治的手腕に動機づけられ、綿密な数学には興味がなかったのでは」と考えていましたが、今回発見された祈りのメモはこの典型的なイメージとは対照的です。プトレマイオスの業績を敬愛しつつ、批判的に分析していた人物像が浮かび上がります。
「ガリレオは天文学の細かい技術的議論には興味を示さない、大局的な視点を持つ人物として描かれてきた」とピュージェットサウンド大学の天文学史家ジェームズ・エヴァンス氏は『Science』に語っています。
しかしマラーラ博士は、ガリレオの学問的歩みについてもっと複雑だったと考えています。特に『アルマゲスト』の数学的枠組みは、ガリレオにとって後に理解することになるもう一つの重要な著作であるニコラウス・コペルニクスの『天球の回転について(De revolutionibus orbium coelestium)』を読み解くための理論的道具になったのではないかと仮説を立てています。
コペルニクスの地動説とプトレマイオスの天動説、この2つの宇宙論モデルは互いに相反します。しかし同時に、両者とも同じ数学言語で構築され、多くの天文学的手法を共有していたことも事実なのです。
とマラーラ博士は指摘します。
ガリレオは、プトレマイオス体系を熱心に勉強していたからこそ天動説から遠ざかり、地動説のほうがプトレマイオス自身の数学的論理によりうまく合致すると確信したのだと、同氏は論じています。
地動説を支持し、当時の常識をぶっ壊したガリレオに対して“古代の知恵を自信満々に否定し、真実を追い求めた革命家”というイメージを抱きがちですが、マラーラ博士が示唆する人物像ももっと複雑です。
ガリレオの画期的な観測というのは、私たちが思うほど従来の知識を軽視した結果ではなく、むしろ大いなる敬意から生まれたのかもしれません。
Source: Science

