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高齢化が進み、家族による介護の負担は年々重くなっています。こうしたなか、介護離職による収入減や社会とのつながりの希薄化が原因で、経済的・精神的に追い込まれるケースも少なくありません。79歳母のために退職を選んだ55歳男性の事例から、介護離職のリスクと「家族と距離を保つ重要性」についてみていきましょう。

役職定年と母の骨折…55歳息子が「介護離職」を決意するまで

地方の印刷会社に勤めるカズヒロさん(仮名・55歳)の年収はおよそ500万円。独身ということもあり、生活費に追われることもなく安定した毎日を過ごしていました。

そんなカズヒロさん唯一の気がかりが、実家で一人暮らしをしている79歳の母の存在です。数年前に父が亡くなってからというもの、母は目に見えて元気をなくしていきました。

そしてある日のこと。母が自宅で転倒し、大腿骨を骨折したという連絡が入ります。緊急入院、リハビリを終え、退院したあと、母は要介護認定を受けることになりました。

またちょうどそのころ、カズヒロさんは会社で役職定年の時期を迎えていました。給与は下がる予定であったものの、年金を受け取るまでは仕事を続けるつもりでした。

ですが、病院のベッドで不安そうに天井を見つめる母の姿を見たとき、考えが変わります。

「自分が面倒を見るしかない」

そう決心したカズヒロさんは、会社に相談して退職することに。いわゆる「介護離職」です。

そして退院後、母との同居生活がはじまります。実家に戻り、二人三脚の生活がスタートしました。

献身の先にあった現実

同居をはじめた当初、カズヒロさんは懸命に母を支えました。

薬の確認からはじまり、通院の付き添い、役所の手続き。他にも買い物や食事の支度、洗濯、入浴の介助、夜間の見守りまで生活のほとんどを一人で担いました。

母は何度も「ありがとう」と口にし、その言葉が支えになっていました。

しかし、会社を辞めたことで社会との接点が減り、母以外との会話がない日々にストレスを感じるようになったカズヒロさん。その疲れはカズヒロさんの内側にとどまらず、ついには母に向かってしまいます。自分でも驚くほど強い口調で母に接してしまった瞬間、カズヒロさんははっとします。

「このままではいけない」

報道で目にする高齢者虐待のニュースが、いつしか他人事とは思えなくなっていました。追い詰められれば、誰にでも起こり得ることかもしれない。カズヒロさんは、いら立ちを抑えきれなくなりつつある自分に気づきはじめていたのです。

カズヒロさんが抱える「もっとも深刻な問題」

問題は精神面だけではありません。頼れる収入は母の年金月12万円のみ。母の貯金は100万円。カズヒロさん自身は退職金と貯蓄を合わせて1,000万円ありましたが、収入はゼロです。

実家暮らしで家賃はかからないものの、光熱費や食費、医療費、介護サービスの自己負担分、紙おむつ代などが重なります。足りない分は自身の貯蓄から補いました。

「このままでは自分の老後資金が足りなくなるのではないか」

母を思う気持ちとは裏腹に、将来への不安が膨らんでいきます。精神的にも金銭的にも余裕は微塵も残っていませんでした。

介護離職が招く“最悪の事態”

厚生労働省の調査によると、2024(令和6)年度における養護者による高齢者虐待の相談・通報件数は4万1,814件にのぼっており、件数は年々増加傾向にあります。

[図表]養護者(※)による高齢者虐待の相談・通報件数と虐待判断件数の推移※高齢者の世話をしている家族、親族、同居人等 参照:厚生労働省 令和6年度「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」に基づく対応状況等に関する調査結果

「自分は大丈夫」と思っていても、介護疲れが積み重なり、感情を抑えきれなくなるケースは少なくありません。追い込まれた結果、思わぬ言動が虐待に発展してしまうこともあります。

だからこそ、介護は一人で抱え込まないことが重要です。肉体的にも精神的にも負担を軽減する工夫や制度の活用が欠かせません。

具体的には、次のような選択肢があります。

・訪問介護やデイサービスなど、外部サービスを組み合わせる

・家族やケアマネージャー、地域包括支援センターに早めに相談する

・一定の距離を保てるよう、住環境を見直す(別居や近居の検討を含む)

・必要に応じて、介護施設への入居を検討する

必ずしも同居を続けることだけが正解ではありません。一定の距離を保ちながら支える形に切り替えることで、双方にとって安定した関係を築ける場合もあります。

これらの制度や選択肢を上手に活用することで、自身の生活を守りながら介護を続けることは可能です。介護は「頑張り続けること」ではなく「続けられる形を探すこと」が大切です。

カズヒロさんの決断

介護疲れが限界を迎えつつあったある日、カズヒロさんは久しぶりに旧友と会う機会がありました。友人は介護職として働いています。

近況を打ち明けると、友人はこう言いました。

「ひとりで抱え込みすぎじゃないか。いまの状況はお前にとっても母親にとっても良くないと思う。まずは地域包括支援センターに相談してみたらどうだ」

友人の言葉に背中を押されたカズヒロさんは、地域包括支援センターを訪れます。そこで、介護保険サービスの利用状況や見守り体制、通院の動線などを一つひとつ見直しました。

そして話を重ねるうちに「同居を続けることだけが正解ではない」ということに気づいたのです。

悩んだ末、カズヒロさんは別居を決意します。実家から車で約10分の場所にあるアパートを借り、一人暮らしをはじめました。同時に、訪問介護やデイサービスの利用回数を増やし、外部の力を積極的に取り入れます。

すると、不思議なことに気持ちに余裕が生まれました。母と会う時間は減ったものの、一緒に過ごす時間の質はむしろ高まったといいます。

「ごめん、おれ働くよ」

そう母に伝え、カズヒロさんは再び仕事をはじめました。収入を確保できたことで、金銭面の不安も和らいでいったとのこと。

現在は一定の距離を保ちながら母を支える生活ができており、母に強くあたるようなこともないそうです。

介護は、近くにいることだけが正解ではありません。続けられる形を選ぶことが、結果として家族を守ることにつながります。

辻本 剛士
神戸・辻本FP合同会社
代表/CFP