『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』©︎吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

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 公開初日から、“無双状態”とも言える盛り上がりを見せている『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』(以下、『無限城編 第一章』)。日本映画史上最速で興行収入100億円を突破し、その勢いは社会現象とも言えるほどだ。

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※本稿は『鬼滅の刃』無限城編のネタバレを含みます。

 炭治郎&義勇VS猗窩座、しのぶVS童磨、善逸VS獪岳という3つの死闘が主軸として描かれているが、見どころはそれだけにとどまらない。本作ではスポットライトが当たらないキャラクターたちや、バトル以外の描写にも丁寧に光が当てられており、彼らの内面や関係性を感じさせる演出が随所に散りばめられているからだ。

■岩柱・悲鳴嶼行冥の墓参り そのひとつが、物語冒頭でアニメオリジナルとして描かれた岩柱・悲鳴嶼行冥の墓参りの場面。整然と並ぶ墓石の間をゆっくりと歩きながら、悲鳴嶼は、かつて鬼との戦いで命を落とした隊士たちをひとりひとり弔っていく。静かに佇むその大きな背中からは、“鬼殺隊最強”と謳われる男が背負ってきたものの重さが、言葉に頼らずとも伝わってくる。

 この場面は、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』(以下、『無限列車編』)に登場した産屋敷耀哉と妻・あまねの墓参シーンへのオマージュだ。同じ墓地、同じ構図で幕を開ける演出によって、“想いを受け継ぐ”というテーマが自然と浮かび上がってくる。『無限列車編』では、耀哉が「鬼がどれだけ命を奪おうと、人の想いだけは誰にも断ち切ることはできない」と語っていたが、その言葉は本作における、鬼を倒すという使命を引き継いだ者たちの戦いに重なる。冒頭にこの場面を据えたこと自体が、鬼殺隊の行く末を静かに指し示しているといえるだろう。

 過去にもTVアニメ『柱稽古編』のオープニングには、鬼殺隊の隊士たちが一堂に会する印象的なカットがあり、その背景には藤の花が咲き誇っている。藤の花の花言葉のひとつ「決して離れない」は、命が尽きても想いや絆は断たれることなく受け継がれていくという、作品全体に通底する想いを象徴しているのだ。

■花を通じた象徴的な演出 こうした花を通じた象徴的な演出は、今回の『無限城編』でも健在だ。たとえば、獪岳の回想シーンで印象的に描かれる鬼灯(ほおずき)の花には、「偽り」「ごまかし」「私を誘って」といった花言葉がある。そもそも“鬼”という字が含まれていることも象徴的で、彼の生き方や人間関係、その根底にある葛藤を暗示しているかのようだ。

 また、童磨の居城に咲く蓮の花には「救ってください」「雄弁」といった意味が込められており、信仰を説く彼の“仮面”と、その裏にある欺瞞や虚無を浮き彫りにする。美しく神聖に見える蓮が、むしろ恐ろしさを伴って映る演出は、まさに『鬼滅の刃』ならではの逆説的な美の使い方だろう。

 さらに、善逸が師である桑島と再会する三途の川の場面では、赤い彼岸花が静かに咲いていた。「再会」「また会う日を楽しみに」といった花言葉が象徴するように、善逸の心に宿る切なる想いが、あの一瞬の映像に託されていた。 息を呑むような激しい戦闘描写の数々は、本作の大きな魅力だ。しかしそれだけでなく、各キャラの想い、記憶、そして命のつながりまでも、色や構図、モチーフの選び方を通じて繊細にすくい上げている点こそ、『鬼滅の刃』という作品が多くの観客の心に深く残る理由だろう。

 なかでもアニメオリジナルの描写として印象的だったのが、無限城に落下していく場面。一瞬のカットにキャラクターの個性が凝縮されており、天ぷらを頬張りながら落ちる伊之助や、すでに覚悟をにじませる善逸の姿からは、言葉を介さずとも彼らの内面が伝わってくる。

■甘露寺蜜璃×伊黒小芭内による“手繋ぎ落下” 何より心を打ったのは、甘露寺と伊黒が空中でそっと手をつなぐ“おばみつ”(甘露寺蜜璃と伊黒小芭内のカップリング名)の描写だ。戦いの前から、早々に尊さの頂点を叩きつけられたファンも多かったのではないだろうか。アニオリではないが、続く伊黒の「甘露寺に近づくな 塵共」が聞けたとき、原作勢は胸の内でガッツポーズを決めたに違いない。

 他にもアニメオリジナルの描写として、名前を持たない隊士たちの存在感も見逃せなかった。鬼の猛攻を前にして、身を挺して足止めを引き受ける彼らの姿に、名もなき者たちの奮闘にこそ“総力戦”としての無限城編の本質が宿っていると感じさせられた。

■村田による“水の呼吸” 忘れてはならないのが、村田の登場だ。原作のおまけページでは、彼の水の呼吸について「薄すぎてほとんど見えない」と記されており、実際これまでのアニメでも、村田が鬼を斬るシーンはあっても、水のエフェクトが描かれたことは一度もなかった。

 ところが今回の劇場版では、ついにその“薄い水の呼吸”が登場。もっとも、その直後には義勇の豪快な水の呼吸が大々的に炸裂し、観客の視線を一気に持っていくことになるのだが……それもまた、どこか村田らしいといえるだろう。目立たないながらも、鬼殺隊の一員としての矜持を画面に刻み込んだあの一瞬は、まさに粋な演出だった。

■冨岡義勇の赤い痣 一方、原作とアニメの演出の違いとして賛否が分かれているのが、痣の発現における色彩表現である。痣が発現するのは、炭治郎を含む一部の限られた隊士のみであり、発現には“全集中の呼吸”を極めたうえで、さらに特定の条件が必要とされる。

 本作では、義勇がついに痣を発現。その痣は、原作の公式カラーでは青とされていたが、アニメ版では赤で描かれていた。これまでに登場した甘露寺や時透の痣も同様に赤で統一されており、今後もアニメでは痣の色を“赤”に揃えていく方針なのかもしれない。痣を持つ者たちが同じ使命と覚悟を共有していることを、色彩によって明確に伝えるための演出とも捉えられる。

 こうした細やかな変更は、アニメならではの映像的な統一感やメッセージ性を重視した演出の一環だろう。物語の骨格や台詞の流れには原作への深いリスペクトが感じられる一方で、キャラクターのさりげない仕草や背景に置かれた小物、モチーフのひとつひとつに至るまで、考察の余地を残すディテールが随所に散りばめられている。

 すでに一度観たという人も少なくないだろうが、そうした細部に注目して改めて鑑賞してみると、新たな気づきや感動に出会えるはずだ。視点を変えるたびに新たな表情を見せてくれる本作は、まさに“無限に楽しめる”作品なのである。(文=すなくじら)