宮粼駿・鈴木敏夫に影響を与える作家・石坂洋次郎は忘れ去られた存在なのか ジブリが受け継ぐ“遺伝子”

野坂昭如の『火垂るの墓』や堀辰雄『風立ちぬ』といった昭和の文学を題材にしたアニメ映画を幾つも手がけるスタジオジブリに、原作ではなくモチーフとして影響を与えている昭和の作家がいる。『青い山脈』や『陽のあたる坂道』で知られる石坂洋次郎だ。ジブリの鈴木敏夫プロデューサーが自分の本棚に著作を並べ、宮崎悟朗監督の『コクリコ坂から』では『青い山脈』の映画が参考として挙がる作家の遺伝子は、ジブリ作品にどのように現れているのか?
4月から5月にかけてNHKで放送された『NHK 心おどる あの人の本棚』の第5回に登場した鈴木敏夫プロデューサーが挙げた本の中に、含まれていた1冊が石坂洋次郎『陽のあたる坂道』(『日本文学全集58 石坂洋次郎集』所収、集英社)だ。中学から高校にかけて石坂作品をよく読んだそうで、「宮粼駿も『陽のあたる坂道』が好きで、彼の描くヒロインのもとは、映画に出ていた芦川いづみなんです」と話している。
芦川は、北原美枝や吉永小百合らと並ぶ日活を代表する女優で、『陽のあたる坂道』(1958年)や『あいつと私』(1961年)で石原裕次郎と共演。吉永が出演した1963年版の『青い山脈』には、1949年版で原節子が演じた女性教師の島崎雪子役で出演している。この島崎は、貞淑さを自他共に課す女子高で自由に振る舞う吉永演じる女子生徒を支えるだった。
『あいつと私』で演じたのは、石原が演じる裕福な家に育った大学生のやんちゃな態度を問い詰める同級生。これらの芯が通って強い女性というキャラクターは、宮粼駿監督作品では『風の谷のナウシカ』のナウシカが近い存在としてまず挙がる。『ルパン三世 カリオストロの城』のクラリスや『未来少年コナン』のラナも重なるが、『コナン』ならモンスリーの生真面目さ、『カリオストロの城』でも峰不二子の突破力にも通じるところがある。
『風立ちぬ』(2013年)の里見菜穂子などは、若い時の溌剌とした感じから年を重ねて見せる筋の通った生き方まで、芦川の演じた数々の役を思い出させる。最新作の『君たちはどう生きるか』ではヒミと夏子の姉妹に引き継がれていると言えそうなその遺伝子は、宮粼駿の企画・脚本による『コクリコ坂から』(2011年)では主人公の松崎海という女子高生に色濃い。
父親が朝鮮戦争の際に死亡し、母親は学者となってアメリカに留学。残った海は祖母を助けてコクリコ荘という下宿を切り盛りしていたが、高校にある男子文化部の部室棟「カルチェラタン」の取り壊しをめぐって起こった反対運動で、中心的な役割を果たす上級生の風間俊と知り合ったことで、活動に関わるようになる。
佐山哲郎原作、高橋千鶴作画の原作コミックでは1980年あたりとなっている舞台が、映画では1963年に変わっている。ここで挙がるのが石坂洋次郎だ。『ロマンアルバム コクリコ坂から』(徳間書店)の中で鈴木プロデューサーは、「宮さんという人の青春時代であり、日活などの青春映画が生まれた時代であることが大きかったんじゃないかな。石坂洋次郎原作の『陽のあたる坂道』とか宮さんの大好きな映画だし」と類推している。
「原作を読んでいて、ベースは、これも石坂洋次郎原作だけど『青い山脈』だと思ったの」とも。学校で起こった問題に関わる中で男子と女子の間に淡い恋心が浮かぶ一方で、仲間たちが頑張って問題の解決に挑むという「青春モノ」の構造が、『青い山脈』にはあり『コクリコ坂から』にもあって、そうしたテーマを改めて世に問うてみたいと考えたようだ。
往年の日活青春映画にあった、登場人物たちの誰もがハキハキとしていて自分の意見をストーレトに伝え、相手の言葉も真っ直ぐに受け止めながら前向きに進んでいく強さで、不況に見舞われ大震災も経て閉塞感のただ中にあった日本を励まし、明るくしたいという思いもあった。海について宮崎吾朗監督は、「この子は思ったことしか言わないんだと。この映画を作っている間ずっと話していたことなんですけど、思ったことしか言わないというのが、当時の人間と今の人間の大きな違いなんです」と『ロマンアルバム コクリコ坂から』で話している。お互いに裏を探らず本音でぶつかり合う心地よさが、『コクリコ坂から』を誰が観ても楽しい映画にしている。
海が俊を入れた男子生徒2人といっしょに、横浜から新橋まで出て高校の理事長相手に「カルチェラタン」取り壊しを止めるよう直談判をする展開で、登場した徳丸理事長が子供だからと適当にあしらわず、真っ直ぐに向き合うところも気持ちいい。この徳丸理事長のモデルとなったのが、宮粼駿監督に『風の谷のナウシカ』を作らせ、スタジオジブリを立ち上げ宮崎駿監督や高畑勲監督を支えた徳間書店創業者の徳間康快だ。
読売新聞記者を退社に追い込まれた後、幾つかのチャレンジを経て立ち上げた徳間書店を軌道に乗せ、『風の谷のナウシカ』が連載された「月刊アニメージュ」を創刊したり、日本SF大賞の創設にスポンサーとして携わったりした徳間氏。映画会社の大映も経営して『ガメラ』シリーズや『Shall we ダンス?』などを送り出した。『コクリコ坂から』でのサンダル履きで豪放磊落な徳丸理事長の描写は徳間氏そのまま。逗子開成学園の理事長を務めた点も重なっている。2000年に死去した徳間氏をそれと分かる姿で登場させたところに、ジブリスタッフの敬意が伺える。
『コクリコ坂から』の後のジブリは、堀辰雄の小説に戦闘機の零戦を設計した堀越二郎の半生を重ねた『風立ちぬ』(2013年)や、吉野源三郎の著作と同じタイトルの『君たちはどう生きるか』(2023年)を送り出したが、日活の青春映画を思わせる作品は出していない。『君たちはどう生きるか』も大筋はジョン・コナリーのファンタジー『失われたものたちの本』(創元推理文庫)の影響が強い。
■石坂洋次郎の逆襲は始まるのか鈴木プロデューサーが本棚に置き、宮粼駿監督もお気に入りの石坂作品そのものが、ジブリでアニメにされたこともない。そもそも現在、石坂作品自体がほとんど顧みられていない。「石坂洋次郎ほど時代とともに忘れられたと思わせる作家は少ない」と文芸評論家の三浦雅士が『石坂洋次郎の逆襲』(講談社)で指摘するように、存在感を失っている。
『青い山脈』『陽のあたる坂道』『あいつと私』以外にも『若い人』(1962年)が吉永や石原の出演で映画化され、吉永小と浜田光夫の「純愛コンビ」による『赤い蕾と白い花』(1962年)の原作も務めた人気ぶりは、今なら東野圭吾や伊坂幸太郎に匹敵する。それだけの作家の作品が、書店を回っても今はほとんど置かれていない。小学館の「P+D BOOKS」に入っている『青い山脈』と『若い人』くらいしか手に取れなくなっている。
あまりに流行に乗りすぎたため、時代から置いていかれたのか? そうではないことを、三浦は『石坂洋次郎の逆襲』で指摘している。「社会の基層を形成する母系制の魅力をさまざまな形で噴出させたところ」があり、「女の自由な生き方を声援しようとする熱気がみなぎっていた」と三浦。それは、『青い山脈』で旧態依然とした貞淑の観念に単身で挑む島崎の態度からも伺える。
1947年に発表された作品だからといって、戦後民主主義に迎合したものではない。戦前から軍部の横暴とそれに迎合する民衆を暗喩するような作品を書いてきた石坂の、「男女関係をめぐる自由主義的な思想、社会を女の視点から見るその思想」は、戦前戦中戦後を通して貫かれた。このため保守的な層から疎まれたが、革新層からは流行作家として黙殺されてしまい、作品性を認められないまま置き去りにされてしまった。
だが、鈴木プロデューサーが愛読書として挙げ、『コクリコ坂から』の中にテーマが盛り込まれることで、原題にもその遺伝子は繋がっていると言える。三浦はさらに、篠田節子や川上未映子といった当代の作家を挙げて共通性を指摘し、参照する意義を訴えている。ここでジブリが改めて石坂に題材を取った作品、それこそ『陽のあたる坂道』のアニメ映画化に挑んだら、どれだけの注目が石坂に集まるだろうか。期待して止まない。