危機の中で、日本の進路をどう取るか?【私の雑記帳】
そこで金融緩和が行われ、潤沢な資金が民間に流れ、それが株や不動産に向かった。
1989年末、株価は史上最高値(3万8915円)を付ける。しかし翌年、株価は下がり始め、その翌年頃から不動産市況も下降。いわゆるバブルがはじけて崩壊した。以来、〝失われた30年〟が今日まで続くという道のり。
〝失われた30年〟の総括
しかし、その中でも、しっかりと逞しく生き抜く企業人はいる。
東芝、日立製作所、NEC、三菱電機とかつては半導体で強さを発揮した会社も30年後の今、すっかり影を潜め、大半が撤退した。東芝が関係会社で生産を続けているが、東芝本体が再建中で、〝日本の半導体戦略〟を力強く語れる存在がいないのが現状。
「日本はメモリーなどの汎用品に注力した。それで世界シェアの半分を取ったといい気になっていた。どの国、どの企業が作ってもいい汎用品だから、市況のアップダウンも激しい。だから、うちは独自のもの、自分ならではのものに特化するようにしてきた」
半導体関連で今も好業績をあげる某首脳は脱メモリー戦略で生き抜いてきたと総括。
この30年で、お隣り韓国のサムスン電子や台湾のTSMCは世界的な存在に成長。一方、日本勢はすっかり影を潜めてしまった。
「日本に力がなかったわけではない。結局、トップの座に一時期就いて、それで油断してしまった。一番の大敵は油断ですよ」
日本の場合、半導体を手がける企業は〝総合電機〟だった。半導体市況の激しい変動も、〝総合性〟の中で見落とし、あるいは半導体が赤字でも総合力でカバーできるという甘さがあったのかもしれない。ともあれ、油断大敵である。
母との対話から
日本発の美と健康の専門職大学『ビューティ&ウェルネス専門職大学』が今年4月、横浜市で開学した。
設立者の下村朱美さんは1982年(昭和57年)、25歳の時、大阪で『シェイプアップハウス難波店』をオープン。その時から、「理論に基づいたサロン」を創りあげると考えてきた。
人材育成に熱心で、既に2008年に専門学校を開校、2020年には『ビューティ&ウェルネス研究所』を設立。
「人々の美しさと健康に寄り添うセラピストを育てたい」という下村さんの一貫した思い。
日本を代表する〝美と健康〟集団を創りあげた下村さんの踏ん張りはどこから生まれるのか?
下村さんは一人っ子で育った。母清子さんには随分可愛がられたが、「わたしが26歳の時に母は病気で亡くなりました」と下村さん。
病の激痛でつらそうな表情を見て、下村さんが言葉をかけると、「しっかり生きるよ。神様から授かった命だからね」という言葉が返ってきた。
間もなく、母清子さんは49歳の人生を閉じたが、最期まで、それこそ懸命に生きる姿が下村さんの目に焼き付いているという。
エステ店やサロンを経営しながら、人々の美と健康のために懸命に人材育成に下村さんが励むのも、母清子さんとの対話がその原点にあるのかもしれない。
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