福原愛

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 日本中がその成長を見守った“国民的娘”、“卓球の愛ちゃん”こと、卓球女子元日本代表の福原愛の周囲が何だか騒がしい。

【写真】これでアラフォー、福原愛の「美人すぎる義姉」

「2016年に台湾出身の卓球選手、江宏傑(ジャン・ホンジェ)と電撃婚した愛ちゃんは台湾に移り住み、2児を授かりました。現地でもアイドル級の人気を誇る彼女とイケメン夫は、取材カメラの前でもお構いなしにキスを見せつけるラブラブぶりでした。

 ところが、最近は江選手の仕事が忙しく、土日にしか家に帰ってこない“週末婚”状態であることを、愛ちゃん自らが2月18日に出演した『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で明かしたのです」(ワイドショー・ディレクター)

 すると2月25日発売の『女性セブン』が《ポエム別居へ「母と国に帰らせていただきます」》と、福原が結婚5年にして江選手との“別居”準備を進めていることを報じたのだ。今後は日本に移住、つまりは“出戻り”になるという。

 そんな揺れ動く心を示すかのように、彼女は東京に拠点を置く、自身が代表取締役を務める『株式会社omusubi』を1月に設立していた。公式HPでは設立した目的を、

《この度、卓球やスポーツ界、これまで応援いただいた皆様に、社会貢献活動を通じて恩返しをする為、小学生時代の旧友と共に株式会社omusubiを設立しました》

 と、社会貢献活動のためとしているのだが、会社登記を確認すると《アスリート及びスポーツ、文化芸能人、タレント等のマネジメント及びプロモート業務》と、いわゆる芸能事務所でよく見る項目も記されている。タレント・福原愛としての“所属事務所”の役割も果たすのだろう。

 そして役員に名を連ねているのは福原の他、“旧友”と思われる女性の2人のみで夫の名前はない。もちろん、主婦が会社を設立しても何らおかしくはない時代であり、イコール夫婦仲の危機とは言えないのだが、このタイミングでの会社設立は“自分で子どもたちを育てる”という意思表示にも思えしまうがーー。

「国際結婚ゆえの悩みもあったのかも」とは、台湾のエンタメ事情の詳しい芸能情報誌編集者。

台湾人を含めた中華系民族はとにかく自分の家族を大事にします。当然ながら、愛ちゃんも義実家で過ごすことも多いでしょうし、たとえ義父母との関係が良好でも毎週、毎日のように顔を合わせるとなると……。そんな異国の地、異文化で暮らす国際結婚ゆえの悩みもあったのかもしれません。

 また結婚時から彼女を悩ませていたのが、江選手の姉である江雅菁(ジャン・ヤージン)さんの存在だったとも。愛ちゃんにとっては義姉になるのですが、少々クセの強い女性なんです(苦笑)」

 本当の姉妹のように仲が良く、距離感も近かったという義姉。そんな彼女が2019年、突拍子もない行動に出て周囲を驚かせた。

「当時39歳にして、“江恆亘(ジャン・リガ)”の芸名で女優を目指して芸能界デビューしてしまったのです。もちろん、“福原愛の義姉”という触れ込みで大きく話題を集めました。かつてダンサーとして活動したこともあるだけにスタイルも良く、かなりの美人であることは間違いありません。日本で言う“美魔女”ですね。

 そして何が困ったかというと、リガさんは弟夫婦のプライベートをテレビであっけらかんと明かし始めたのです。サービストークのつもりだったのでしょうが、愛ちゃんに事前の相談もなかったそうで勝手に暴露されてしまっては、いくら姉妹のように仲良しとはいえ、“ん?”となりますよね(苦笑)。

 ちなみに現地では、愛ちゃんが設立した新事務所に日本での芸能活動を臨むリガさんが所属するのでは? なんてウワサも囁(ささや)かれています(笑)」(前出・芸能情報誌編集者)

 果たして、夫婦に“別居”騒動が起きた理由はなんなのだろうか。

夫の江選手が別居報道に言及

 そんな中で2月25日、台湾のスポーツ番組が開いた会見に江選手が出席。現地でも大騒ぎになっている「別居報道」に口を開いのだ。

「あまり大げさに聞かないでください。私たち夫婦は長い間、子どもたちの幼稚園についてどんな学習や環境が良いのか話し合ってきたのです。今後の(長期的な移住)生活についてはまた話し合わなければいけません。

 今は東京オリンピック関連で日本にいますが、彼女はまた3月に台湾に戻ってきます。(台湾にいる)子どもたちは妻に会いたがっていてリモートで毎日やりとりをしていますし、今はそれぞれ別の場所になりますが夫婦ともに一所懸命に頑張っているのです」

 夫婦に問題はなく、あくまでも「子どもの進路」について話し合っているというものだった。

 一方で、福原が気にしているのは母・千代さんの健康問題であるとも。

「愛ちゃんに子どもが生まれた際、江選手は仕事が忙しく、彼女は一時、精神的に不安定になった時期もあったと言います。そんな時に娘と孫を支えるべく、台湾に渡って同居生活を送ったのが千代さん。長女も大きくなったこともあり、自身を育ててくれたコーチであり大切な母にとって最良の道を模索したのでしょう」(スポーツジャーナリスト)

 “国民的娘”もすっかり一人前の母親になっていた。