『表現の不自由展・その後』の展示が大きな議論を巻き起こした『あいちトリエンナーレ』からまもなく1年。6月27日のABEMA『NewsBAR橋下』に、芸術監督として関わった津田大介氏が出演、橋下徹氏と、アートと公金の問題について議論した。

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■改めて語る『遠近を抱えてPartII』出展の理由

橋下:昭和天皇の写真・肖像を燃やした作品(『遠近を抱えてPartII』)のことがよく言われているが、津田さん自身は、あの作品はダメだと思わなかったのか?

津田:あの映像作品の元になったというか、燃やされていたのは、1986年に富山県立近代美術館の展覧会で展示された昭和天皇をコラージュした版画作品(『遠近を抱えて』)で、当時これは美術業界で高く評価された作品で僕もすごくいい作品だと思った。作者の大浦信行さんがニューヨークで荒川修作さんという人のアシスタントをしていた頃、日本人としてのアイデンティティを失う“アイデンティティ・クライシス”に陥った。自画像を描こうと過去の名作やモチーフを考えていたら、自分の中に出てきたのが昭和天皇だった。つまり、自分と向き合っていった結果、“内なる天皇に気づいた”ということで、どちらかといえば保守的なメンタリティーを持った方の作品だったわけだ。

それなのに、展覧会終了後に“天皇陛下の写真をアート作品に使うとは何事だ”ということになり、当時の富山県の自民党の議員が「不敬だ」と主張、地元の新聞もそれに乗ってしまったことで右翼団体の抗議を招く大騒動になった。美術を解さない議員の抗議によって、美術作品として評価が高かったにも関わらず売却され、カタログも全て美術館に燃やされた。これは「天皇コラージュ事件」として有名な裁判で、大浦さんはその後、最高裁までいって負けた。すごく傷ついたと思うし、実際、美術家を辞めて映画監督になった。

今回、不自由展で「あれをもう一度出してくれ」と頼んだ際、大浦さんから「あの作品にケリをつけたい。あれをモチーフにした新作を出したい」ということになり、自作が燃やされている映像を作ったんです。はじめに「天皇」を燃やすきっかけをつくったのは保守派の議員であり、富山県立近代美術館。そういう文脈がある作品であるということが理解されていない。もちろん説明のキャプションがあって、なぜ撤去されたのかという経緯の説明とワンセットで見て、これが許される表現か、そうじゃないかを考えてくださいという問題提起型の展示でもあった。

橋下:朝日新聞のインタビューでもそうした意図が書いてあったが、僕は何を言っているのかさっぱり分からなかった。もちろん分かる人もいるだろうし、考え方は自由だが、正直、それなら自分の金でやってよ、と思った。「芸術は税金で支えていかないといけない。芸術に口を出すな」と言うけれど、やっぱり納税者に対して一定の配慮するのが税の使い方だ。

それから、陛下の写真だからということで大騒ぎする人がいるけれど、僕はそれ以前に、個人の写真を燃やすというのはどうなのよと思った。しかも灰を踏みつけているような映像になっている。それはどう考えても違うと思った。色々な受け取り方があるとは思うが、写真を燃やすというのは表現でもなんでもなくて、言ってもれば侮辱だ。僕だって自分のおじいさんの写真が燃やされていたら、「ちょっと待ってよ」と言うもん。権力者だって皇室だって人間なわけで、我慢しなければならないという義務はないと思う。ただ、個人のお金でやる分には表現の自由として守られると思う。そこはどうか。

津田:自分の家族、自分のおじいさんなどが燃やされたとしたらいい気分はしないと思うし、相手を攻撃したい、傷つけたいというものなら僕も嫌だと思う。嫌だからといって展示を中止しろとは思わないし、何より文脈が大事だと思う。大浦さんの作品に関しても、もちろん最初に見たときには驚いたが、大浦さんが過去に受けた痛みなどの文脈を知ると、全部とは言わないまでも、理解はできる。

それを踏まえた上で、芸術監督という立場が難しくて悩んだところもあった。芸術祭全体をプロデュースし、アーティストの作品群のリーダーというか、それらを決める責任があった。同時に、愛知県職員からなる、あいちトリエンナーレのスタッフのリーダーでもあった。この二つの立場で引き裂かれていた部分があった。できるだけ円滑、安全に運営するという職員の立場に立てば、大浦さんの作品はない方がいい。一方、“アーティスト・ファースト”として、アーティストが表現をしたいものを尊重する立場を取ろうとすると、職員に負担はかけるが展示はしたい。両者は矛盾する。最終的に、僕はトリエンナーレをやる上で、アーティスト・ファーストでいくことを選んだということ。その結果、職員に迷惑をかけてしまったことは反省するところだし、彼らには何度も謝っている。
 

■芸術と公金、イベントとガバナンスの問題を考える

橋下:仕組み自体の問題もある。僕は大阪で「芸術の破壊者だ」とさんざん言われてきたが、特定の税金を特定の芸術にどんどん注ぎ込むのには反対だった。税金を使うなら、公平に芸術作品に使っていこうということで、「アーツカウンシル」という、評価する審議会みたいなものを作って、そこで判断してくださいということにした。あいちトリエンナーレの場合、その判断が津田さんという個人の感覚に委ねられてしまった。

津田:ガバナンスに曖昧な部分はあった。こういう言い方は変だが、役人というのはサボタージュしようと思えばいくらでもサボタージュできるのに、愛知県の職員は本当にみんな優秀で、僕が物議を醸すような企画をやりたいといって持っていくと、真剣にやりとりをしてくれて、僕の判断を尊重してくれた。その結果としてできてしまったがゆえの騒動だったという面がある。だからこそ申し訳ないと思うのと同時に、ガバナンスをどうしていくか、ということを思った。

橋下:税金を使うということになれば、芸術だからといって自由が絶対に守られるということではない。

慰安婦の問題についてここで議論するつもりはないが、例えば「慰安婦はしっかりお金を稼いでいた、しっかり報酬をもらっていた」という意見も中にはある。仮に通帳を持ってニコッと笑っている慰安婦の作品が出てきたとしたら、それは認めたのか。

津田:「表現の不自由展・その後」のコンセプトは明快で、日本のパブリックセクター、公立美術館などで出展を拒否された、あるいは撤去されたものを展示しようというものだ。だから「通帳を持ってニコッと笑っている慰安婦の作品」があって、撤去されたという経緯があれば、あり得たと思う。ただ、実際にはそういう作品は存在しないのでその仮定に意味はない。ただ、そうした文脈の話でいうと、昨今は左派からの攻撃によって右派的な表現が潰されるというケースも散見される。僕はそういう表現も入れた方が「表現の不自由展」というコンセプトをよりいろいろな人に届けるためには重要だと思っていた。ただ、作品は基本的に不自由展の実行委員の中心になって選んでいったので、すべての主導権を取れたわけではなかったし、取るつもりもなかった。そこの役割分担が入れ子構造のようになってしまった。

橋下:組織としてイベントを動かしていく時に、権限と責任の所在をはっきりしないといけないことの典型例だと思う。「芸術なんだから、表現の自由は絶対に守らないといけない」と言う人もいるかもしれないが、イベントである以上、そのコンセプトに従った表現じゃないといけないのは当たり前だ。それは検閲でも表現の自由の侵害でもないんだけどんね。津田さんはそこを悩みながらやられていたということだったと。

津田:表現の自由の問題でもあるが、あくまでもそれはワンオブゼムで、表現の不自由展・その後はいろんな問題が複合的に重なっていた。橋下さんがおっしゃっていることは大体理解しているが、一点だけ、やっぱり違うなと思うのは、公金の使われ方のところ。納税者ほど多様な集団はいない。騒動の渦中に、名古屋のテレビ局が世論調査をしていたが、「再開して欲しいか。見たいか」という質問では賛否が拮抗していた。つまり、確かに反対の人は多かったが、賛成の人も同数くらいいたということだ。そのどちらもが税金を払っている。納税者ほど多様な集団はいないからこそ、内容には干渉すべきではない。

あいちトリエンナーレはあれだけ政治的に尖った内容があっても、不自由展以外の企画も含めて評価が良かった。美術展としては商業的にも大成功していて、実は過去最高の動員数で、7000万円くらい黒字も出している。ただ、公金を使った展示だったというところはすごく議論になった。クレームに弱い社会なので、1件、2件とクレームがあると事業を止めるような状況もあるし、県民の3割が反対しているような展示はとてもできないという、役所の人の考えも分かる。

ほとんど話題にはならなかったが、あいちトリエンナーレは日本人や35歳以下の若手作家を積極的に入れていた。なぜかといえば、アートは市場原理になじまないからこそ、伸び代があるところにちゃんと公金を使って育てていこうとしたからだ。「あいちトリエンナーレがきっかけであの作家は有名になったよね」という人をどれだけ出したか。そこが市場原理ではなく、公金を使う意味だと思っていた。

橋下:芸術に公金を使うことに反対しているわけではなくて、その使い方というか。仕組みのところだ。公立美術館で撤去された作品を飾るというコンセプトだと言ったが、それはある意味で津田さんの方針だ。公金を使うんだったら、そこはもう少し幅広い審議をした上で方針を固めていくべきだったと思う。

津田:本来はそうだ。実際、1カ月前に記者発表し、ディスカッションしながらやろうと予定していたが、物議を醸すだろうということで警察に相談すると、“事前に発表すれば、その時点で抗議が集中してしまって大変なことになるからやらない方がいいんじゃないの”とアドバイされた。それで事務局も発表はしない方がいいんじゃないかという話になった。

橋下:ぜひ聞きたかったが、公金を使うのは難しいでしょう?

津田:おこがましい言い方だが、橋下さんの気持ちがちょっと分かった。橋下さんが『政権奪取論』で書かれていたが、内部での調整だ。「なんで準備してなかったの?」「なんでこんなことも考えていないの?」などとさんざん言われたが、考えてない訳がない。全て検討した上で準備をしているのに、表面に出てきている一部分だけで判断されるんだなと感じた。民間の感覚というか、僕の仕事のタイム感だったら2週間、1カ月でできるものが3カ月くらいかかってしまう。でも、そうやってプロセスを踏んでいけないといけないし、全般的に時間が足りなかった。

橋下:良かった(笑)。チェックはしていないけれど、津田さんは僕の府政、市政について批判的なことを考えていると思っていた。もちろん、批判していいんだけど(笑)。

公金を使っていく中では、常に何をしたって反対意見が出る。コメンテーターや評論家も色んなことを言うんだけど、「俺もちゃんと考えてますがな」と。僕は文楽を切ったんじゃなくて、文楽協会という天下り団体みたいなところの補助金を切りにいったのに、学者が「橋下はバカだ。アホだ。芸術を分かってない」と。冗談じゃない。文楽を語らせたら政治家の中でナンバーワンになる自信があるくらい見ている。アホかと。考えながら公金を使うことの難しさを津田さんにも理解してもらえたとしたら、嬉しいな。(ABEMA/『NewsBAR橋下』より)