かつて韓国海軍は旭日旗を振って自衛隊を歓迎していた 日韓軍事交流20年の行き詰まり

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 自衛隊のイベントといえば、陸上自衛隊の富士総合火力演習に並んで人気が高いのは、なんといっても海上自衛隊の観艦式だろう。今年も4年ぶりに開催が予定されていたが、各地に大きな被害をもたらした台風19号への対応に万全を期すため、10月14日の令和元年度自衛隊観艦式は中止となった。次の観艦式は通例なら3年後に開催されることになる。


2015年の観艦式(予行)の様子(筆者撮影)

「招待する環境は十分に整っていない」

 中止されたものの、今回の観艦式はいくつかの点で注目すべき点があった。まず、初めて中国艦が参加することになり、昨年12月に就役したばかりの新鋭駆逐艦『太原』が来日している。海上自衛隊は過去の観艦式でも中国を招待していたが、これまで参加したことはなかった。

 今回は自衛隊観艦式に先立つ4月、中国は海軍創設70周年の観艦式を挙行しており、それに日本が自衛艦を派遣したことへの返礼という意味合いもあると思われる。『太原』は観艦式中止後も東京晴海埠頭に停泊し、関係者や在日中国人向けの公開を行っていた。

 もう一つは、韓国艦が参加しなかったことだ。共同通信が伝えるところによれば、韓国艦艇によるレーダー照射や、軍事情報包括保護協定(GSOMIA)破棄等による日韓両国の安全保障分野での関係冷え込みもあり、海上幕僚長は「招待する環境は十分に整っていない」として、海上自衛隊は招待状を韓国に送っていない。

自衛艦旗掲揚の自粛を求めた韓国

 共同通信はこのように分析しているが、「日韓両国の安全保障分野での関係冷え込み」について、一点例示が抜けていると思われる。2018年に韓国で行われた国際観艦式において、韓国海軍が海上パレードに参加する艦艇に対して国旗と韓国国旗のみを掲げるよう通知し、暗に自衛艦旗掲揚の自粛を求めた点である。韓国で近年高まっている、旭日旗(自衛艦旗は旧海軍旗と同様のデザイン)は日本軍国主義を象徴する「戦犯旗」であるという韓国内の強い批判を受けたものとされる。

 海自はこれに応じず、韓国もそれを受け入れなかったため、海自は国際観艦式への自衛艦派遣を見送っている。先述した中国艦の来日を見れば、式典においては相互に相手国を「立てる」ことが重要であり、海自の本音としては、前年に受け入れ難い通知を出した韓国海軍に招待状を送る義理などなかったのだろう。

 問題となった2018年以前から、自衛隊と韓国軍の軍事交流は行われており、その度に旭日旗デザインである自衛艦旗は公の場に登場しているが、それまで韓国側より掲揚自粛を明言したものはなかった。国際観艦式における騒動は、韓国側の変化と見るべきだろう。

インターネットを中心とする「下から」の世論

 神戸大学大学院の木村幹教授の「旭日旗問題に見る韓国ナショナリズムの新側面」によれば、韓国で旭日旗に関わる言説が増加したのは2010年代、より正確には2012年頃からとされる。そして、旭日旗を巡る諸問題は、「その殆どがエリート運動家達により『上から』主導されたものではなく、インターネットを中心とする『下から』の世論によって自然発生的に動かされている」とし、そこに新たな韓国ナショナリズムの展開を見出している。

 この木村氏の分析について、筆者も過去の日韓の軍事交流からいくつか思い当たる点があった。本稿では長らく続いてきた日韓の軍事交流を振り返り、そこでの自衛艦旗(旭日旗)を巡る韓国軍の変化をみていこうと思う。

旭日旗を振っていた韓国海軍

 日韓の軍事交流が活発化するのは冷戦終結後の1990年代のことで、ちょうど北朝鮮による核・ミサイル開発が問題になっていた頃だ。1996年には海自の練習艦隊が初めてプサンに寄港している。戦後初めての日本艦の寄港は市民団体による抗議はあったものの、おおむね平穏だったと伝えられている。取材した軍事ジャーナリストの菊池雅之氏によれば、練習艦『かしま』が入港する際、韓国海軍は自衛艦旗を振って歓迎していたという。

 問題となった国際観艦式は、もともとは韓国建国・建軍50周年を記念して1998年に始まったもので、以降は10年ごとに開催されており、2018年はその3回目であった。第1回である1998年の国際観艦式は、日本艦の初寄港からわずか2年後だが、日本からも海上自衛隊のイージス艦を含む自衛艦3隻が自衛艦旗を掲げて参加している。

 当時の模様を伝える『Securitarian』1999年1月号の「プサンハンの自衛艦旗」によれば、国際観艦式で海自のイージス艦『みょうこう』が、北朝鮮が発射したテポドンの弾道を追跡した艦であることが韓国語で紹介されると、韓国艦に乗っていた韓国の招待客から歓声と拍手が起こったという。また、『世界の艦船』誌1999年1月号の「韓国国際観艦式取材記」でも、韓国側が注視していたのは前年に朝鮮戦争有事を想定して改定された『新「日米防衛協力のための指針」』(ガイドライン)であり、自衛艦旗への言及は見られなかった。

「戦犯旗」登場翌月に問題化?

 その10年後の2008年に行われた2回目の国際観艦式にも自衛艦は参加しているが、1998年と同様に少なくとも日本メディア側が認識できるような自衛艦旗への反発は起きておらず、前述の菊池氏もその記憶はないという。菊池氏が記憶している揉め事は、2012年9月に韓国が主催したPSI(拡散に対する安全保障構想)訓練「イースタンエンデバー」が最初だという。

 このPSI訓練は、韓国が日米豪の3カ国と共に大量破壊兵器の拡散を海上で阻止する国際訓練であるが、開催の直前になって韓国側が自衛艦のプサン入港を拒否している。韓国側は詳細な理由を明らかにせず、「諸般の事情」としていたが、対日感情の悪化を懸念したものと多くのメディアは報じていた。ただ、産経新聞では日本大使館筋の話として、「旭日旗を艦旗にした自衛艦の寄港に過剰に敏感になったのでは」という見方を紹介している。

 前掲の木村論文によれば、韓国メディアで「戦犯旗」という名称が初めて確認できるのは2012年の8月24日であるから、この寄港拒否の前月にあたることになり、寄港拒否になんらかの影響を与えているかもしれない。

個人のレベルで旭日旗認識の変化が

 ここまでは日韓軍事交流の公的な動きを見てきたが、自衛官一個人の体験レベルでも旭日旗を巡る韓国軍内の変化が窺われる。

 まず、日韓の軍事交流が活発になりはじめた1990年代中盤に、韓国陸軍大学に留学した陸上自衛官によるレポートが、陸上自衛隊の有志による陸戦学会の機関誌『陸戦研究』1997年1月号にあったので当該部分を引用する。

〈この間、陸大側が筆者の居住する官舎の玄関に「日本陸軍中佐 (自衛官の名前)」と表示したとおり、彼らは、筆者を日本陸軍中佐として終始接した。時には、歴史論争で激論を戦わしたが、彼らの基本態度は、「自分たちは韓国陸軍の将校であり、あなたは日本陸軍の将校である。したがって、将校は将校としての礼儀をもって接する」というものであった〉

 このように互いに立場や歴史感の違いはあれど、尊重するという姿勢を当時の陸軍大学や韓国側学生は示しており、日韓ともに相互理解への意欲はあったといえる。9年後、同じく『陸戦研究』2006年1月号には、韓国に駐在経験のある自衛官が研修で訪韓し、「長年の防衛交流の実績は着実にその成果が現れている」と実感した旨を記している。

 着実に進んだかのように見えた日韓の軍事交流であるが、韓国軍内における旭日旗認識の変化が個人レベルでも影を落としていると窺わせる記述があった。

 海上自衛隊の幹部有志による兵術同好会の機関誌『波涛』2015年10月号に、韓国の合同軍事大学(前述の陸軍大学他、海空の大学を統合して発足した教育機関)に留学中の海上自衛官によるレポートが掲載されており、その中に自衛艦旗を巡るトラブルが記されている。合同軍事大学は自衛隊における幹部学校に相当する教育機関で、中堅士官に対して高級士官養成教育を行っている。少々長くなるが、ここでは当該部分を略さず引用する。

「戦犯旗を付けて歩くとはどういうつもりか?」

〈留学中にもっとも印象深かった出来事が自衛艦旗に関する件でした。韓国では大規模な演習期間中、全部隊で迷彩服を着ることとなっており、合同軍事大の学生及び留学生も、その対象となります。同期間中、韓国陸軍の学生から「当大学内で戦犯旗を付けて歩くとはどういうつもりか?」と言われたことがありました。それは海自戦闘服の左肩に付いている自衛艦旗へのクレームでした。騒ぎを聞いた韓国海軍学生が駆けつけ「これは日本海上自衛隊の海軍旗だ! そして(自衛官の名前)は俺たちの仲間だ!」と陸軍学生を説得し、その場は収まりましたが、その後、私の予想を超える終わりを迎えることとなりました。クレームがあったその日のうちに海軍大学校長、教官、学生により、自衛艦旗及び海軍旗について、陸、空軍全学生に対する教育が行われたのです。その後、同様のトラブルは一切なくなりました。同じ海を活躍の場とする武人たちのスマートな対応に心動かされました〉

 この記述から、少なくとも合同軍事大学上層部の2015年当時の認識としては、自衛艦旗について問題視していなかったことが分かるとともに、一学生(中堅士官)レベルでは、戦犯旗認識が浸透していたことが窺え、木村教授の言う「『下から』の世論」が韓国軍内でも波風を立てていたことがわかる。

 海上自衛隊では20年以上前から幹部自衛官を韓国に留学させており、陸空でもそれぞれ派遣を行っている。そのため、自衛隊関連の部内誌や雑誌から自衛官の韓国留学記を探したが、韓国軍人から自衛艦旗を戦犯旗として非難されたのはこの体験記のみで、それ以前に韓国合同軍事大学やその前身の各大学で非難を受けた記述は確認できなかった。

 留学記を書いた幹部自衛官は、その後の校長を巻き込んだ合同軍事大学の対応に感銘を受けたようだが、陸・空の全学生を集めて教育を行う事態にまで発展したのは、韓国軍内でも中堅士官に戦犯旗認識が広まっていることに、「上」としての危機感が大学校側にあったように思える。

日本も韓国の重要度を下げる

 これまで見てきた日韓の軍事交流は、公式行事のレベルでは1990年代から2000年代のそれと2010年代以降の韓国側の対応に大きく変化が見られるし、個人のレベルにおいても軍内の変化が窺える。変化の時期は、ちょうど韓国で戦犯旗としてクローズアップされた頃に一致するが、これが直接の原因なのか、対日感情悪化の一事象に過ぎないのかはここでは判断しない。

 日本側も2019年度版の防衛白書で、他国との安全保障協力を示した章で、韓国の記載順を下げており、安全保障上の韓国の重要度を下げたと見られている。実際、防衛当局者のハイレベル交流実績では、最近はオーストラリアやインドの方が韓国より活発である。

 20年以上かけ、上層部から現場レベルまで育まれてきた日韓軍事協力が、ここにきて重大な危機を迎えていることになる。そのひとつの節目となるGSOMIA失効まで残り1ヶ月。それまでに改善の兆しは見られるだろうか。

(石動 竜仁)