Porsche AG

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長年、行方不明になっていたこのポルシェ911 ST 2.5が見つかったのは、廃品置き場であった。しかも、ただのポルシェではなく、短編映画『The Speed Merchants』の撮影車であったのだ。これは、レストアをされ、美しい姿と走りを取り戻した1台の物語である。

イギリス人レーシングドライバーのヴィック・エルフォードは、元ラリー・ドライバーでもありモンテカルロ・ラリーを制したこともある。エルフォードが話しながら解説する1972年タルガ・フローリオの映像は、ポルシェ 911Sのフロントフードにアリフレックスの16mmカメラを固定して撮影された。ポルシェのステアリングを握ったのは、アメリカ人カメラマンのマイケル・カイザー。彼は、プライベートドライバーとして、北米のレースに911で参戦を重ねていた。
カイザーは、1971年12月に開発途中の GTカーを見学しにツッフェンハウゼンを訪れたとき、のちにル・マン優勝を果たす人物となるユルゲン・バルトと出会った。ヨーロッパで開催されるレースにおけるセカンドドライバー兼カメラマンとして、カイザーはバルトに自らを売り込んだ。彼は、映画『栄光のル・マン』の舞台裏を記した著書『A French Kiss with Death』で名を馳せることになるが、当時からあるプロジェクトを構想していた。1972年のメーカー世界選手権をテーマにしたドキュメント映画、『The Speed Merchants』(スピード狂)を製作するということであった。

ドラマティックな作品を撮るため頼れるチームを編成し、1972年のタルガ・フローリオを劇中のハイライトとしていた。「シチリアのコースを半周もしないうちに、ロルフ・シュトメレンに追い抜かれました」と、カイザーは撮影当時の様子を振り返る。「嬉しかったのはロルフがそのままカメラカーを抜き去らず、良いショットを撮れるようにと私たちの前をしばらく走ってくれたことです。そして手を振ってアクセルを思い切り踏み込み、コーナーの先へと姿を消しました」

しかし、数か月後に映像を確認したところ、多くのシーンが使用できないことが判明したのであった。「ロルフがカメラに映らなくなったタイミングで、ちょうど大きなカブトムシがカメラにぶつかって、レンズの表面がダークレッドに染まっていたのです」

カイザーが所有していた911は、ポルシェがレーシングカスタマーのために24台だけ製造した最終期の一台であった。RSやRSR、ターボモデルが備えていた ”サービングトレー” スポイラーやダックテールが付いていないモデルで、911/70と同様に270PS仕様の2.5リッター水平対向エンジンが搭載されていた。当時の価格は49680マルクであった。



バルトとカイザーの冒険は、セブリング12時間レースで幕を開ける。これはフロリダの空港跡地で行われるレースだが、路面コンディションが悪く、カムシャフトのチェーン駆動をつかさどるカウンターシャフトが壊れてリタイヤすることに。

その後、ポルシェは船でヨーロッパへ輸送される。カイザーのチームが拠点として使っていたショップであるマックス・モーリッツ・ガレージのあるロイトリンゲンを第一ストップとし、タルガ・フローリオ出場への準備が進められた。「とことん荷物や備品を積載したオートマチック車を、トランスポーターでアルプスからイタリアへ向かうのは賢明ではなかったようだ」と、当時カイザーは日記に記している。

「ブレーキパッドがすぐに焼き付いてしまうため、ドライバーでありチーフ・メカニックでもあったハンス・マントがすぐに対応できるよう車の中で待ち構えていました」。チーム一丸となり、なんとかシチリア島に到着し、レースではバルト&カイザー組が8周目までは6位で駆け抜けていた。バルトがステアリングを握るマシンが、8周目にオイルスリップして壁へ衝突する。「幸いオイルクーラーもサスペンションも無傷でしたが、ピットインを余儀なくされ、順位を10位まで落とすことになりました」と、バルトは振り返る。

その1週間後には、ニュルブルクリンク 1000km レースに出場する。この時は、車輌へのカメラの設置が ADFC(ドイツ自動車連盟)により安全面の問題で禁止されていた。29番目からスタートし、GTクラスでは4位入賞にもなる13位まで順位をあげる。タルガ・フローリオよりは、簡単なコースだと思っていたが"グリーン・ヘル"は全くそんなことはなかったのだ。「レースの前に食べたソーセージとの相性が良くなかったのか気分が悪く、さらに追い打ちをかけるようにコースのダウンアップも激しかったので大変でした。しかし、バルトにステアリングを預けてみると安定してすっかり良くなりました」

ル・マンでは車輌へのカメラ搭載が許可され、ポルシェはカメラカーとしての役割を復活させた。リアのスティール・フレームに固定されたボレックス 16mmカメラのおかげで、夜の幻想的な映像を記録することが実現できた。

「車内と車外、どちらのカメラもドライブしながらボタン一つで操作できました」と、カイザーは話す。ル・マンでは、ピット前で接触事故を起こすというアクシデントがあったものの、 総合13位、排気量3リッター以下のGTクラスでは見事トップでフィニッシュを果たす。



カイザーとバルトは、ル・マンでの撮影を最後に別々の道を歩む。その2年後、『The Speed Merchants』が完成した。計70時間にも渡る映像を、95分に凝縮させたのであった。マリオ・アンドレッティ、ヴィック・エルフォード、ヘルムート・マルコ、ブライアン・レッドマン、そしてジャッキー・イクスといったスタードライバーたちのレース人生を描写したこの映画は、当時のシーンを伝える貴重なドキュメントフィルムとして高い評価を得ている。

カイザーは1972年末にポルシェ 911ST 2.5をドン・リンドレーに売却し、新しいRSモデルを購入した。2.5 ST を受け継いだリンドレーは北米のIMSAレースに出場し、1975年5月のリバーサイドを最後にサーキット人生にピリオドを打つ。それから2度のオーナー交代を経て、イエローカラーの911は2008年まで姿をくらましていた。

ポルシェクラブ・バーゼルの代表、マルコ・マリネロがサンフランシスコのバーンファインドを耳にして、911ST 2.5がそこに眠っているのではないかという推論を立てた。そして2013年、その話に興味を抱いたスイス人と共にマリネロがカリフォルニアに渡ってみると、確かに 911ST 2.5は存在していた。しかし、911STであることは確かなのだが、かろうじて原型が分かる程度のひどいコンディションであった。この時はまだ、カイザーの車であることは不確かであったのだが、一年かけてマリネロが念入りな調査を行い、その911はオリジナルの ”カイザー” 2.5ST であることを証明した。

新しいスイス人オーナーは、すぐさまフライベルク・アム・ネッカーのポルシェ・クラシックにレストアを依頼した。ポルシェ・クラシックのエキスパートたちは、様々なアクシデントを重ねてきたのであろう車のへこんだルーフやボディを修復するところからはじめた。それから2 年半をかけ、1000時間を超えるハンドワークによって完璧なシェイプを取り戻し、コード117のオリジナルカラーで塗装された。



ブライトイエローで疾走する、911STへと蘇ったのである。