「Ingenuidade(インジェヌイダージ)」と「absurdo(アブスルド)」。コパ・アメリカの日本対チリ戦が行なわれたサンパウロのスタジアムで、一番聞かれたのはこのふたつの言葉だった。

「Ingenuiadade」とは「創造性」という意味だ。この試合で弱さを露呈した日本が、できるだけ長くブラジルに留まりたいならば、真っ先に手に入れなければならないものだ。チリ戦では独創力も、危険を冒す勇気も、困難に立ち向かう覚悟も感じられなかった。

「Absurdo」は「とんでもない」とでも訳そうか。この言葉は試合を観戦していたブラジルの記者や元選手たちの口から洩れてきた言葉だ。

「バルセロナのアルトゥーロ・ビダルやマンチェスター・ユナイテッドのアレクシス・サンチェスを擁するチームに立ち向かうのに、こんな若手ばかりのチームを用意するなんて、とんでもない!」

 私にそう言ったのは、元ブラジル代表で、かつて柏レイソルでもプレーしたカレッカだ。

 日本と同じグループに属するエクアドルのエルナン・ダリオ・ゴメス監督は、「チリはどう見ても100%の力を出してはいなかったね。力の差は歴然だった」とメディアに語った。

 チリの新聞『la tercera(ラ・テルセーラ)』に至っては、ほとんど日本を無視した形だった。記事の内容はチリについてばかりで、日本にはまるで触れず、読んだだけではどこと試合をしたのかわからないぐらいだ。長らくサッカーの仕事に携わっているが、こんな記事を見たのは初めてである。

 今はまだすべてのチームがグループステージの1試合目を終えたばかりで、この先どうなるかはわからない。しかしひとつだけ確かなのは、現段階で日本はコパ・アメリカ参加12カ国のなかで、最弱のチームであるということだ。


ブラジルでも注目を集めていた久保建英のプレー photo by Watanabe Koji

 もし日本がまるでダメなチームであったのなら、そう言われても仕方がないとあきらめもつくだろう。しかし、随所に光るところはあったのだ。

 レアル・マドリード行きが決まった久保建英は、もし成功していたなら、ここまでのコパ・アメリカ全試合の中で一番すばらしいゴールを決めていただろう。唯一のアマチュア選手である上田綺世は、3度もチリのGKガブリエル・アリアスの目前まで迫った。柴崎岳に関して、チリのレイナルド・ルエダ監督が、日本の頭脳であり、一番危険な選手と評価した。後半に入ってからは日本の動きもかなりよくなり、チリに彼らのサッカーをさせない時間帯もあった。

 だからこそ、上田の3度のミスに怒りを感じたのだ。若いチームにとって、ゴールのチャンスは決して逃してはならないものだ。また、日本が調子を出してきたときに、それを有効に使う動きを見せなかった日本ベンチにも納得がいかなかった。

 もし日本に「Ingenuidade」があったなら、日本は7度だってチリのゴールネットを揺らすことができたかもしれない。日本が4−0と大敗したのは日本のパーソナリティーが弱かったからだ。チリが4−0で勝ったのではなく、日本が4−0で負けたのだ。

 日本には多くの決定機があった。もっといい流れに持っていけたはずだ。この若いチームで日本はチリを脅かしたのだ。もし、もう少し準備していたなら、チャンスをみすみすドブに捨ててはいなかったろう。そして何より、他の11の参加国のように、もしここに日本のベストメンバーがいたならば……と残念に思ってしまうのだ。

 スタンドのほとんどのブラジル人は日本を応援していた。チリへのライバル心もあるが、なにより日本のサッカーに親しみを感じているからだ。スタジアムでは「信じているぞ」「まだいけるぞ、ニッポン!」の声援が最後まで聞こえた。

 森保一監督は日本やアジアのサッカーをよくわかっているのかもしれないが、世界のサッカーはわかっていないと感じた。W杯も開催したような巨大なスタジアムで、世界のトップレベルの選手たちが国の威信をかけて戦う大会は、普通の試合とはまるで空気が違う。それは時に、重圧で若い選手を萎縮させ、潰してしまう危険性さえある。もし日本が久保を、新世代を担う”金の卵”と思っているなら、こんな形で世界の舞台にデビューさせるべきではなかったのではないだろうか。

 南米の新聞の多くは、試合後に日本のサポーターが、今回はチリやブラジルのサポーターと一緒になってスタジアムの清掃をしたという「美談」を載せていた。しかしサポーターのごみ拾いが日本に関する唯一のポジティブな報道では、あまりにも悲しすぎるではないか。