一人ひとりの能力を見極め、そこにある”個”に光を照らし続ける。それが花巻東高校(岩手)の佐々木洋監督だ。チームを預かる者として、組織としての力の重要性も理解する。ただ、それぞれが特徴を生かして能力を引き上げることこそが、本物のチーム力につながっていくと信じている。

「すべては中庸だと思うんです。両方の一番いいバランスを考えている」

 佐々木監督は常々そう話すのだ。


試合前に談笑する花巻東出身の菊池雄星(写真左)と大谷翔平

 アナハイム・エンゼルスでプレーする大谷翔平もまた、高校時代は”個”を生かす指導を受けた。もちろん、ひとりの選手だけにスポットライトを当て、手厚く育てるためにチームがあるわけではない。当然、大谷だけが特別扱いを受けたわけではない。

 ただ、大谷という大きな光の将来を考えれば、その可能性を失わせるわけにはいかない。彼が花巻東に在学していた3年間の佐々木監督は、とりわけチームと大谷の育成のなかで多くの葛藤と悩みを抱えながら日々を送った。互いにとって、もっともいいバランスは何か。今できること、やるべきことは何か。個人とチーム、両方の成長を追い求めながら、常に大谷の将来を見つめていた。

 かつて、佐々木監督はこんな話をしたことがある。

「基本的には、大谷を成長させる方法はシンプルです。彼にとっての肥料とは、たとえばバッティングでは打席数であったり、経験数です。私たちがビニールハウスで一生懸命、水を与えたり、太陽の日を当てようとしなくても、外に置いておけば勝手に自分で雨を感じて水を貯め込む。時には日差しを感じて太陽のエネルギーを蓄えたりする。そして、自然と強くなる。環境に順応して何かを感じ取り、自分のなかに力を蓄えていく。それが大谷だと思います」

 ただ、大谷という器の大きさに佐々木監督は驚いた。大谷を預かることになり、「はじめは怖さしかなかった」と言う。逸材との出会いには喜びがあった。同時に、その才能を自身の指導によって潰すわけにはいかないという不安と恐怖に似た感覚が、佐々木監督にあったのは事実だ。

 大谷が花巻東への進学を決めた理由のひとつに、同校の2009年の軌跡がある。現在はシアトル・マリナーズでプレーする菊池雄星を擁した花巻東が、センバツ準優勝、夏の選手権大会で甲子園4強になったその年、大谷は中学3年生だった。

「花巻東がちょうどその時に甲子園に出て有名でもありましたし、実際に練習を見に行ってすごく雰囲気がよくて『ここでなら自分を伸ばしていけるんじゃないか』と思って選びました」

 高校選びについて、のちに大谷はそう語ったことがある。さらに、こう続けた。

「岩手県内で菊池雄星さんと言えばすごい選手。岩手にもこんなにすごい選手がいるんだなって。岩手からもこんな選手が出てくるんだなって、本当に驚いたのを覚えています。雄星さんのような選手って、僕は大阪や神奈川の激戦区などにいる選手だと思っていました。それが岩手にいた。あれだけ注目される選手、怪物みたいな選手が岩手から出たのを僕は見たことがなかったので、憧れみたいなものはあったと思います」

 全国にはもっとすごい選手がいる──中学時代の大谷はそう思い、「自分がどれだけの選手なのかわからなかった」とも言う。だが、全国レベルの投手だった菊池という大きな光を身近に感じることができ、大谷の思考は揺さぶられた。佐々木監督は感慨深くこう語る。

「雄星たちの代の野球を大谷が中学3年生の時に見たことは大きかったと思います。岩手が野球で熱狂し、こんなにもみんながひとつになるんだということを、中学時代の大谷は見て感じたわけですよね。もしかしたら、あの県内のフィーバーがなかったら、大谷は他県の高校に行っていたかもしれない。すべては巡り合わせだったと思います」

 菊池が高校を卒業した2010年に大谷は入学した。実際に両者が花巻東のグラウンドで同じ汗をかき、同じ時間を共有することはなかった。だが、同じ時代に絶妙にシンクロし、同じすみれ色を基調としたユニフォームを着た現実は大きな意味を持つ。

 佐々木監督の立場で言えば、菊池を指導したノウハウが色褪せることなく、その熱量が残ったままに大谷と出会えたことは幸運であり、運命的な流れだった。

 大谷の成長を見守り、慎重に育成を進めるなかで、佐々木監督は何かにつけて「雄星」を引き合いに出した。「高校時代の雄星は、こんなトレーニングをしていたよ」「雄星は、こんな食事をしていたよ」と。

「実際に成功した人の足跡をたどる以外に、確実に成功する方法はない」──そんな言葉も用いる一方で、「雄星さんのようになりたいという考えではなく、『超えたい』と思わなければいけない」とも伝えた。

 佐々木監督は、常識にとらわれることのない新たな発想力も大谷に求めた。いずれにせよ、雄星という”教科書”を用いて大谷の根っこは築かれていった。

 高校3年夏に記録した160キロという数字は、その流れのなかにあったひとつの目標数値であり、決して夢物語ではなかった。大谷の備え持った才能と、菊池の高校3年間をもとに計算して弾き出されたものだった。だからこそ、実際に160キロのスピードを目の当たりにしても、佐々木監督は「大きな驚きはなかった」と言う。

 菊池雄星と大谷翔平──彼らが花巻東で過ごした歳月は、チームにとって、そして岩手の野球にとって大きな転換期だった。もっと言えば、野球界全体にとっても深い意味を持つ時間だったかもしれない。

 今年4月18日(日本時間19日)、彼らは海の向こうのグラウンドで顔を合わせた。試合前の練習中に、先輩のもとへ後輩が駆け寄る。ふたりは握手を交わし、わずかな時間だったが談笑した。

 2つの大きな”個”は今、メジャーリーグを舞台に戦う。菊池のメジャー1年目に胸を躍らせ、リハビリ期間を経て5月7日(日本時間8日)にグラウンドに帰ってきた「打者・大谷」に期待するなかで、いつも頭の片隅で思い浮かべるのは、彼らが連なるように描いた軌跡──花巻東での6年間である。