甲子園の名勝負、悲劇のヒーローとなったPL学園選手がプロ入りを諦めたわけ
7日、TBS「消えた天才」では「名場面を作った天才たちは今」と題し、甲子園で繰り広げられた名勝負の一つとして語り継がれる横浜高校対PL学園(第80回準決勝/1998年)に出場したメンバーの現在を伝えた。
その一人としてフィーチャーされた3番・本橋伸一郎氏は、PLのショートとしてチームを牽引。横浜高校OB・上地雄輔をもって「間違いなくプロに行くと言われていた」と語るほどの逸材だったが、大学卒業後もプロは目指さず。その背景にはこの試合の影響があったという。
延長17回、9-7で横浜高校が制した一戦は、17回の表2アウトで打ち取ったはずのショートゴロを本橋氏がファーストに悪送球。守備の名手が痛恨のエラーを喫した直後、PLは決勝ホームランを打たれて敗退している。
この試合を「悔いしかない。みんなの足を引っ張って、僕がいなかったら勝てた」と振り返った本橋氏。その後の松坂大輔フィーバーにより、この試合が様々なメディアで再び取り上げられると、「『エラーした人』っていうのが僕の代名詞みたいになってしまった。時間が経てば経つほど、松(松坂)が活躍すればするほど僕のエラーが大きくなっていった」という。
日本中が注目した試合で悲劇のヒーローとなってしまった本橋氏は、大学に入っても当時のエラーをからかわれたほか、この時のエラーが頭をよぎり、ファーストへまともな送球ができなくなってしまったという。
「ボールが思っているように投げられないというか、投げ方がわからなくなっちゃった。練習すればするほど下手になるというか、どうしていいか分からなくなった」という本橋氏。プロ入りを拒否した理由については「もしプロに行くとなれば注目度も何倍もある。1つのエラーが高校の時のエラーの倍になって批判されるっていう怖さがあったので野球をそこで諦めようと思いました」と告白した。
そんな本橋氏は現在38歳。日焼けサロンのオーナーとなった他、プロ野球選手のマネージャーも兼任するなど広く活躍している。この試合を「人生の糧」と表現すると「野球に関しては逃げてしまった部分があったんですけど、そういう失敗があるからこそ逆に絶対成功しなきゃいけない」と語っている。