@AUTOCAR

写真拡大 (全21枚)

三菱・モデルA(1917年)

造船会社として1870年に創業した三菱は、1917年に同社初の自動車を開発した。わずか22台が製造され、2765ccの4気筒エンジンを搭載していた。

7人が乗車できるモデルAはフィアット・ティーポ3をベースにしており、FRで最高時速は98km/hに達していた。

現在三菱は日本で6番目のメーカーで、ルノー・日産と提携している。

ベントレー・3リッター(1919年)

ウォルター・オーウェン(WO)・ベントレーと、兄弟のホレスは第一次世界大戦前には自動車の販売を行なっていたが、1919年にベントレー・モータースを設立すると、スポーツカーの製造販売を始めた。

1921年に納車をはじめ、1930年までにルマン24耐で5度の優勝を収めた。ベントレー初のモデルは3リッターで、1921年から1929年にかけて1622台が生産された。2996ccの4気筒エンジンを搭載し、シリンダーひとつあたり4本のバルブが搭載されていた。

ベントレーは1931年にロールス・ロイスに買収され、そこから数十年はロールス・ロースをベースとするスポーティなモデルを開発した。

1998年にロールス・ロイスから分離し、ベントレーと同社のクルー工場はフォルクスワーゲンの傘下に収まった。その後、革新を進め、2003年のコンチネンタルGTを皮切りに、数々のモデルで成功を収めた。2017年には1万566台を生産した。

シトロエン・タイプA(1919年)

第一次世界大戦の間、アンドレ・シトロエンは兵器類を製造していた。1916年に自動車産業に参入することを決め、同社発の自動車は1919年に完成した。終戦からわずか3カ月後の1919年3月に、シトロエン・タイプAが発表され、これは1327cc4気筒エンジンを搭載し、最高時速は64km/hに達した。1921年に生産が終了するまで、2万4000台以上が生産された。

1934年の経営破綻後、シトロエンはミシュランに買収された。アンドレ・シトロエンは1935年に亡くなった。1976年にはプジョーによって買収され、PSAグループの一員となっている。

ジャガー(スワロー・サイドカー、1922年)

ジャガーは、当初はスワロー・サイドカー(SS)という社名を掲げており、1922年に創業した。

オースティンやシンガー、ウィルズリーといった小型車のボディを製造していたが、第二次世界大戦後に経営は悪化し、社名がジャガーに変更された。ジャガーは1935年に発表されたモデルの名前でもあった。

MG(1923年)

ウィリアム・モーリス(のちのロード・ナフィールド)は1913年にモリス・モータースを創業し、10年後にはモリス・ガレージ(MG)が誕生した。MG初の自動車については意見が別れているが、おそらくモリス・ガレージ・チャミーだろう。

モリス・カウリーをベースにしたスポーティな2シーターモデルで、モーリスやMGのバッジを掲げた最初のモデルだった。MGの広告は1923年に作られたが、商標登録はその翌年になってからだった。

トライアンフ(1923年)

コヴェントリーを拠点とするトライアンフは、自転車市場に1885年に参入した。バイク市場には1902年に参入し、同社初の自動車は1923年に開発された。

これはドーソン・カー・カンパニーから引き継いだもので、トライアンフとしての最初の自動車は1926年に発表された1.4ℓの10/20だった。1926年まで製造され2500台が生産された。ツーシーターのツアラーで、鉄製のほかにアルミ製のボディを持つスポーツモデルも存在した。

トライアンフは第二次世界大戦後に4ドアのスポーティなモデルで有名になったが、1968年にブリティッシュ・レイランドの一員となった。トライアンフのバッジを掲げた最後のモデルは1984年に発表された。

現在トライアンフ・カーズの商標はBMWが所有しているものの、使用はされていない。

クライスラー・70(1924年)

ウォルター・クライスラーは、1904年創業で、経営難に陥っていたマクスウェル・チャルマーという自動車会社を立て直したが、結局1923年に倒産した。

クライスラーは翌年、自分の名前を冠した新しい会社を設立し、同社初のモデルとなる70を発表した。3301ccのサイドバルブ直列6気筒エンジンを搭載し、革新的なアルミニウムのピストンや油圧システム、オイルフィルターも使用されていた。

その結果、初年度だけで3万2000台が生産された。クライスラーはそこから数十年で革新的なイメージを獲得し、デトロイトの2社との激しい争いをくぐり抜けた。

現在はフィアット・クライスラー・オートモビルの一員だが、ラインナップにはわずか2車種が並ぶのみだ。

シュコダ・タイプ110(1925年)

ローリン&クレメントと同様、シュコダは1895年に創業し、主に兵器の製造を行っていた。しかし、事業を急激に拡大し、機関車や橋、発電所、船舶などの製造を行うようになった。

1919年には蒸気機関を利用したトラックやトラクターを製造したが、1925年にローリン&クレメントと合併すると、乗用車の生産を開始した。

同社初のモデルはタイプ110で、ローリン&クレメントのタイプ100、105の後継者だ。1791ccの水冷4気筒エンジンを搭載していた。

現在はフォルクスワーゲンの傘下に収まっている。

ポンティアック(1926年)

1920年代、GM内ではシボレーは廉価ブランド、キャデラックは最高級ブランド、オールズモービルはキャデラック寄りの位置付けで、GMにとって必要だったのは、手頃で高品質なブランドだった。

そのためにポンティアックは1926年に設立され、3.1ℓのエンジンを積む2ドアセダンとクーペがラインナップされた。

どちらも価格は825ドル(9万円)で、発売年には7万7000台近い大ヒットとなった。

2008年の経済危機の影響で、ポンティアックの歴史は2010年に幕を閉じた。

BMW・ディクシー3/15(1927年)

BMWは航空機用エンジンメーカーとして1916年に設立された。そして、1923年には初のバイクを、1927年には初の自動車となるディクシー3/15を発表した。これはライセンスを受けて製造されたオースティン・セブンだった。ほとんど変更は加えられず、左ハンドルへと変更されたくらいだった。

現在はミュンヘンに拠点を構え、ラグジュアリーブランドとして大きな成功を収めている。2017年には244万台を製造した。皮肉なことに、オースティンを引き継いだローバーは、1994年から2000年にかけてBMWの傘下だった。

ボルボOV4(1927年)

アッサール・ガブリエルソンとグスタフ・ラーソンによって設立されたボルボは、1927年に初となる自動車を完成させた。このモデルはOV4と呼ばれ、オープンモデルのみが設定されていた。1940ccの4気筒エンジンは2800回転で28psを発揮した。

ボルボは安全性を売りにした初めての自動車メーカーのひとつで、1959年の3点シートベルト等、いくつかの革新をもたらした。1999年にはトラック・バス部門を分離し、ボルボ・カーズはフォードの傘下となった。その後、2010年には中国のジーリーの傘下となり、多くの新モデルで成功を収めている。

日産(1931年)

日産の前身である快進社は1911年に設立され、1925年にダットモーターコーポレーションとなった後、1934年に日産となった。しかし、1986年に日産がグローバルブランドとして統一を図るまで、製品の多くはダットサンとして販売されていた。

1914年から、限られた数ではあるが自動車の生産は行われていたようだが、ダットサンとしては1931年に初のモデルが販売されている。タイプ10と呼ばれるこのモデルはオースティン・セブンのライセンスモデルで、495ccの4気筒エンジンを搭載しており、のちに747ccまで拡大された。

現在日産は横浜を拠点として、ルノーと提携しており、世界第三の自動車メーカーとなっている。

トヨタAA(1936年)

トヨタ初となるモデルはAAだ。1936年に発表されたこのモデルは1404台が生産され、3.4ℓ6気筒エンジンを搭載していた。初めて日本市場向けに生産され、東京で行われた発表イベントではコンバーティブルのABも同時に発表された。

これが豊田自動織機に対し、日本政府が自動車製造を認可した背景のひとつだと言われている。その後トヨタの発展が始まり、すぐにひとつ目の自動車工場が建設されることになった。

トヨタは現在、フォルクスワーゲン、ルノー日産と生産台数世界一を争っている。

マーキュリー(1938年)

1930年代、フォードは問題を抱えていた。フォードとリンカーンブランドの間には大きなギャップがあり、消費者はダッジやポンティアックに流れてしまっていた。そのためフォードは、ふたつの間に新しいブランドを作ることに決めた。

そうやって生まれたのがマーキュリーだ。1938年に生まれた同社初のモデルは4ドアセダンで、97psを発生する3915ccのフラッドヘッドV8を搭載していた。1942年まで生産が続けられ、1941年にはエイトと呼ばれる新型車も登場した。 その後、マーキュリーブランドは2011年で消滅した。

ジープ(ウィリーズ、1941年)

この会社の始まりを語るのは難しい。初代ジープはウィリーズとフォードによって1941年に開発され、気筒ホッチキス社とドライエ社に製造が移った。2.2ℓの4気筒 エンジンは3速マニュアルを介して四輪を駆動した。

次第にジープはウィリーズ・オーバーランドにとってなくてはならない存在となり、ステーションワゴンやトラック、ジープスターと呼ばれるバージョンも発表された。

ジャガー(1945年)

SSカーズから生まれたジャガーは1945年3月に設立されたが、戦時中の6年間は新モデルを開発することができず、SSの2.5ℓセダンを再生産していた。3.5ℓとともに、2664ccのエンジンを搭載するこのモデルは、MkVが発売される1948年まで生産が続けられた。

戦後の好景気の中、ジャガーはブリティッシュ・レイランド(BL)の一員となり、1990年にフォードに売却された。2000年にフォードの傘下となったランドローバーと徐々に接近し、2008年にはインドのタタ社に2社揃って買収された。

フォルクスワーゲン(1945年)

ヒトラー時代のKDFワーゲンは1936年に開発されたが、製造が始まったのは1945年になってからだった。英国軍がVWのウォルフスブルク工場の管理を任されたが、英国の各社は、タイプ1は商業的な成功は得られないだろうとみなした。

これがビートルと呼ばれるモデルの成り立ちで、空冷エンジンを搭載し、歴史上もっとも成功したモデルとなった。2100万台が生産されたが、2003年に生産を終了した。

フォルクスワーゲンはこれまでにさまざまな企業や商標権を獲得し、2017年には生産台数世界一のメーカーとなった。

フェラーリ(1947年)

アルファ・ロメオで働いていたエンツォ・フェラーリ(競技部門の責任者を務めていた)は同社との関係が途切れ、7年にわたって彼の名を冠したクルマの製造が禁止された。そのため、1940年に彼が初めて作ったクルマはオート・アヴィオの名で生産された。

その後ふたつのモデルが開発されたが、第二次世界大戦に入ると、生産の中心は工作機械やボールベアリングへと移っていった。

1947年、フェラーリとして登場した初めてのモデルはティーポ125で、1498ccのV12を搭載し、120psを発揮した。翌年フェラーリは初めてグランプリに出場し、スーパーチャージャーが追加されたエンジンが使用された。

現在のフェラーリは、間違いなく世界を代表するハイエンドのスポーツカーメーカーであると同時に、コンストラクター、ドライバーの両方で勝利を掴む、F1でもっとも成功したチームのひとつでもある。1988年にフィアットによって買収されたが、2015年には独立企業として、ニューヨーク証券取引所に上場した。

マセラティ・ティーポA6(1947年)

マセラティ家の6人兄弟のうち、5人(カルロ、ビンド、アルフィエーリ、エットレ、エルネスト)がクルマとモータースポーツに生涯を捧げた。彼らは自動車会社を1926年に立ち上げ、レーシングカーのみを製造した。

ティーポA6の登場は1947年で、1488ccの直列6気筒を搭載していた。のちに2.0ℓバージョンやさまざまなボディ形状が追加された。

マセラティは高級なラグジュアリースポーツカーを製造した。シトロエンとデ・トマソの傘下となった後、1993年にはフィアットの傘下となった。

その後一時はフェラーリ傘下となるものの、現在はフィアット・クライスラー・オートモビルの一員となり、SUVモデルのレヴァンテなど、ラグジュアリーモデルを開発している。

ホールデン48/215(1948年)

ホールデンは1948年に同社初の自動車を発売したが、これは創業後100年近くたってからのことだった。1856年にジェームス・ホールデンが馬術具の製造メーカーであるJ.A. ホールデン & Coを設立した。

1908年には自動車の架装をはじめ、 1914年にはサブコンストラクターとして自動車の製造を始めた。その後ホールデンズ・ボディ・ビルダーと名前を変え、1924年にはGMとの大規模な契約を結んだ。

GMは同社を1931年に吸収したが、同ブランド初のモデルは1948年になってようやく発売された。48/215は61psの2172ccエンジンを搭載し、セダンモデルとピックアップトラックモデルが存在した。

ホールデンは2017年、すべての工場を閉鎖し、オーストラリアで大規模生産を行った最後のメーカーとなった。輸入代理店としては、今もブランドは存続している。