長崎にある炭鉱の島といえば、軍艦島を思い浮かべる方が多いだろう。しかし、近年、私が軍艦島以上に注目している島がある。長崎市の沖合に浮かぶ離島、池島だ。

【画像】「池島」で遭遇した“ヤバすぎる産業遺構”を巡るもようを写真で一気に見る《いまも人が住んでいる…》


世界遺産にも登録された軍艦島

2001年に閉山した九州最後の炭鉱

 池島の生い立ちを簡単に説明すると、1952年から開発が始まり、1959年に出炭を開始。海底の炭鉱を掘り進め、坑道の総延長は90キロに及んだ。九州最後の炭鉱として営業を続けていたが、2001年、ついに閉山のやむなきに至った。

 周囲4キロほどの小さな島だが、炭鉱の最盛期には7700人が暮らしていた。軍艦島が5300人なので、それと比べても多くの人が暮らしていたことになる。

 軍艦島との決定的な違いは、池島には今も人が住んでいることだ。令和5年現在の人口は100人。最盛期の1%程度に激減しているものの、今も人の生活や産業が池島にはあるのだ。軍艦島が廃墟の島とするなら、池島は9割廃墟の島といったところだろう。

 池島の人口は現在も減り続けており、炭鉱の遺構は自然に倒壊したり、解体されたりなどし、“九州最後の炭鉱の島”としての記憶は年々薄れつつある。私が住む岐阜から遠く離れているが、少しでも記録しておきたい……そんな思いで、これまでに何度か池島を訪れてきた。

 今回、連休を利用して改めて池島を訪れる計画を立てていた。閉山後の2003年より池島炭鉱の坑内を巡るツアーが開催されているのだが、2027年3月をもって終了することが発表されたからだ。最後に改めてツアーに参加したいと考えていた。

 ツアーは人気で、すぐに満席となってしまう。なんとか予約に成功し、行程を考えて宿も押さえた。私が住む岐阜から900キロの道のりを渋滞のなか12時間以上かけて走り、前夜には長崎に入ることができた。遅めの夕食を摂り、数年ぶりとなる池島訪問を楽しみにしていた。

 当日の朝7時、携帯電話が鳴る。

「この時間の電話はロクなことがない」

 電話に出ると、嫌な予感は的中した。ツアー中止のお知らせだった。その日だけピンポイントで大荒れの天候となり、池島に渡るフェリーの欠航が決まったというのだ。前夜は晴れていたというのに、なんということだ。

 藁にもすがる思いで、翌日に代替開催するなどの救済策はないかと尋ねたが、「絶対に無いですね」と一蹴されてしまった。数ヶ月前から準備を整えていただけに残念すぎる結末だが、天候ばかりはどうしようもない。

 ということで、長崎まで行ったにも関わらず池島に渡ることすら叶わなかった。そのため、ここからは以前、池島を訪問した時の模様をご紹介したい。

定員12人の小さな船で池島へ

 池島に渡るルートは複数あるが、この日は神浦港から船に乗った。定員12人の小さな船で、料金は370円、15分の短い船旅だ。

 池島が近づいてくると、上陸前からその姿に圧倒される。

 港の向こうには工場の廃墟群が、その向こうの山の上には巨大な選炭工場の廃墟が見える。

 興奮しながら船を降りる。港の周辺には人の気配があり、住居のほか当時は商店もあった。

 “港ショッピングセンター”というストレートな名前で、日々の生活に必要な物は一通り揃うのでありがたい存在だったが、残念ながら2016年に閉店してしまった。

 この日は午後のツアーに申し込んでいたが、朝から島に上陸し、島内を一周しようと考えていた。早速、島の東端にある港から、北寄りの道を西に向かって歩きはじめる。

 港の周辺には鉱山施設の痕跡があるほか、発電所の巨大な廃墟が存在感を示している。

 7700人が暮らしていた痕跡として、島内のいたるところに4階建てのアパートが残っている。

 ほとんどが無人で廃墟化しているが、希に人が住んでいる建物もある。ほぼ無人と化したアパートを改造して暮らしている様子を観察するだけでも、とても楽しい。

 アパート群とともに、気になるものがあった。道路沿いに伸びている多くのパイプだ。道路と並行し、時には交差し、複数のパイプが、否が応でも目に入る。これは水道管で、池島では地中に埋めるよりも地上にあったほうがメンテナンスしやすいという理由から、水道管の多くが地上に露出している。

 廃墟と現役が混在するアパート群の中に、営業しているお店があった。

 “かあちゃんの店”は、島唯一の食堂として、また2016年に港ショッピングセンターが閉店した後は島唯一の売店として重宝されていたが、こちらも2023年に閉店してしまった。

 そのため、現在の池島には食堂も売店も存在せず、島外で買って持ち込むしかない。

無人となった高層アパートが連なる“圧巻の光景”

 植物に飲み込まれつつあるアパート群を眺めながら歩いていると、ひときわ大きい建物が見えてきた。

 8階建てのアパートが、道路に沿って横並びに繋がっている。無人となった高層アパートが連なる姿は、圧巻そのものだ。

 このアパート、道路側は建物の裏側にあたり、炭鉱施設に近い反対側が表になる。

 表側は斜面を利用して出入り口が5階にあるという変な造りをしている。これは、8階建てでもエレベーターがなかった当時の建物として、とても考えられた構造だった。

 例えば8階に住んでいても、5階が出入り口だと3階分の移動だけで済む。上下の移動を少しでも減らすための工夫だったのだ。

 高層アパートからさらに進むと、池島の西端近くに管理されている第2竪坑事務所跡がある。そびえ立つ35メートルの竪坑櫓が圧巻だ。竪坑とは垂直に伸びる坑道のことで、そこにはエレベーターが必須となる。

 竪坑は高層ビルどころではない深さがあり、多くの人員や資機材、トロッコに載った鉱石等を上下させるため、非常に大きな力が必要になる。そのため、エレベーターのワイヤーを巻き上げる竪坑櫓も必然的に巨大になるというわけだ。ちなみに、この第2竪坑の深さは700メートル以上に及ぶ。

 ここで折り返し、南側の道を歩いて島を一周する形で港に戻ることにした。炭鉱で亡くなった方の慰霊碑で手を合わせ、多くのアパート群を眺めつつ、海に沿って歩いてゆく。港が近づいてくると、巨大かつメカニックな装置が見えてくる。ジブローダーだ。

 港の周辺には、工程を経て製品となった石炭を運搬船へ積み込むための施設が残っていた。

 ジブローダーは貯炭場の石炭を集めてベルトコンベヤーに載せるための装置で、港に運ばれた石炭は、シップローダーという装置によって運搬船に積み込まれていた。シップローダーは巨大なクレーンのような形をしており、これまたカッコいい。

 島内の主要な箇所をやや駆け足で回ったが、気がつけば3時間が過ぎていた。外周4キロの島とはいえ、歩けばそれなりに距離があるし、見どころも多いので、半日はほしいところだ。

 港ショッピングセンターで軽く昼食を済ませ、いよいよ坑内ツアーに参加する。

撮影=鹿取茂雄

《残り1年足らずで終わりを迎えてしまう…》軍艦島ではない長崎の“炭鉱の島”だからこそ体験できる「尋常じゃないツアー」に参加してわかった“鉱山の内情”〉へ続く

(鹿取 茂雄)