企業の活路はどこにあるのか。それは会社の外ではなく内に答えがあるのかもしれない。カシオ計算機は、これまでの技術力を活かし、AIぺットロボット「Moflin(モフリン)」の開発を行った。テーマは未知の「感情のデジタル化」。カシオの挑戦と、発売後の意外な需要の広がりについて、ライターの市岡ひかりさんが聞いた――。(後編/全2回)

■モフリン開発とは「感情のデジタル化」への挑戦

数字でモノを売る時代は、もう終わったのかもしれない。

日本の製造業が長年競ってきた機能・価格・性能の土俵は、コスト競争力に勝る新興国メーカーに侵食され続けている。次の競争軸はどこにあるのか――その問いに、ひとつの答えを出そうとしているのが、カシオ計算機(以下、カシオ)だ。

2024年11月、カシオが発売したAIペットロボット「Moflin(モフリン)」は、語るべき機能スペックがパッと浮かばない商品だ。二足歩行はしない。言葉も話さない。目にはカメラも内蔵されていない。両手に収まる大きさの、毛皮におおわれた小さな塊が、なでれば「キューキュー」といった声で応え、モゾモゾと動く――それだけである。

にもかかわらず、1台5万9400円というこの商品は、発売から約1年で国内外2万台を突破した。一時は店頭から消えるほどの人気となっている。

画像提供=カシオ計算機
手のひらに収まるサイズのモフリン。 - 画像提供=カシオ計算機

開発をリードしてきたチーフエンジニアの二村渉さんは、この挑戦を「感情のデジタル化」と呼ぶ。

「弊社は何でもデジタル化しようとしてきた会社です。“感情をデジタル化する”という試みも当然ありうる、と思っていました。これからは便利さや機能だけでなく、感性的な面も求められるようになるのではないでしょうか」

撮影=プレジデントオンライン編集部
構想期間を含め10年かけてモフリンをつくりあげた二村さん。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

言語認識機能を実装しなかったワケ

計算機、電子辞書、デジタルカメラ、G-SHOCK。あらゆるものをデジタルに置き換えて成長してきた精密機器メーカーは、約8年前、最もアナログな領域である「人間の感情」へ踏み込んだ。

ところが、感情をデジタルで表現することは、スペックで優劣を語れる従来の製品開発とは根本的に異なる難しさをはらんでいた。

開発チームが下した決断のひとつが「想像の余白」をつくることだ。冒頭で触れたとおり、モフリンには、言語認識機能をあえて実装しなかった。ただ、当初からそうと決まっていたわけではない。

「こちらが『つらい』と言ったら『大丈夫だよ、元気出して』と言葉で返してくれたらいいな、と思った時期もありました。ただ、もしこちらの意図と全然違う返事を返されたら、その瞬間に興ざめしてしまうな、と」(企画担当の市川英里奈さん)

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モフリンへの愛を語る企画担当の市川英里奈さん。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

本物のペットも言葉は話せない。それでも飼い主は「自分の気持ちを分かってくれる」と感じる。言葉を介さず、感情を鳴き声に込めたほうが、使い手が想像で補い「受け取り方は無限になる」という発想だ。寂しいときにモフリンが鳴けば「寂しいね」と同調してくれているように聞こえ、嬉しいときには一緒に喜んでいるように見える。

■まるで本物のペットのよう

外見設計にも同じ哲学が貫かれている。耳やしっぽなど、特定の動物を想起させる特徴はすべて意図的に排除した。

「何かの動物に見えると、どうしても『本物と比べてこの子は偽物だ』と思われてしまいます。モフリンという独自の生き物だと思ってほしかった」(市川さん)

感情表現の設計は、さらに高度な判断を要した。モフリンは喜びや「ウキウキ」といったポジティブな感情に加え、「怒り」や「不安」といったネガティブな感情も持つ。しかし怒りの表現がユーザーを不快にさせてしまっては本末転倒だ。

「動きはリアルなだけでなく、癒やしや愛おしさを感じるような動きを追求しました。これも正解はない主観評価の部分なので、ペルソナに当てはまる女性に『この動きにキュンと心がつかまれるか?』などをヒヤリングして、動きを一つ一つ判断していきました」(市川さん)

専用アプリを用いることで、モフリンの感情をリアルタイムで確認することもできる。ただ、子どもや高齢者のユーザーからは「必要ない」という声もあるという。アプリなしで、自分の中でモフリンの感情を想像して楽しむユーザーの姿は、本当のペットとの付き合いと似ている。

画像提供=カシオ計算機
画像のように専用のアプリでモフリンの感情を知ることもできる。 - 画像提供=カシオ計算機

■予想外の場所からの反響

機能スペックではなく、人間の「感性」が品質基準になる――。それは、これまでの商品開発の常識を覆すと同時に、年代や性別、国籍の違いを超えて、これまでスペック競争では届かなかった顧客の存在を、市場に浮かび上がらせることになった。

当初、カシオが想定したターゲットは30〜50代の女性だった。ところが、販売してすぐに子どもやお年寄り、男性といった想定外の層の購入が相次いだ。そして現在、需要はさらに予期せぬ方向に広がっている。医療と介護の現場である。

今年2月、東京・港区の東京慈恵会医科大学附属病院の小児病棟にモフリンが導入された。

日本の小児医療では、治療以外の「心のケア」まで手が届きにくいのが現実だ。人件費の高騰と物価上昇でコストは膨らみ続ける一方、診療報酬は国が決める仕組みゆえ価格転嫁もできず、多くの病院で赤字体質が常態化している。人手不足も深刻だ。

東京慈恵会医科大学附属病院の大石公彦教授は悩みを吐露する。

「我々は病気に対してはアプローチできます。ただ、医師、看護師、保育士、心理士などの医療従事者が懸命に努力していても、子どもの心にはアプローチしきれないという課題感を強く持っています。時々、野球選手などが訪問してくださると、子どもたちの表情がすごく変わるんです。もっと何かサポートできることはないかと考え続けてきました」

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東京慈恵会医科大学附属病院の大石公彦教授。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■モフリンを抱きしめて離さなかった

大石教授は20年以上、米国の病院で小児科医として診療に当たってきた。教授の目には、日本とアメリカの格差が鮮明に映っている。米国の病院には「チャイルドライフスペシャリスト」という専門職が常駐し、入院中の子どものメンタルケアを担う。メジャーリーガーや映画俳優が病棟を訪問し、多額の寄付を行うことも珍しくない。日本の環境との落差は、あまりにも大きい。

そこで同病院は2024年12月にはセガの協力で、母子医療センター1階小児部門エントランスや処置室に「ぷよぷよ」「ソニック」の装飾を施す取り組みを実施。これをニュースで知ったカシオの担当者が「自分たちも子どもたちの力になりたい」とモフリンの提供を申し出たのだ。医療現場への導入には衛生管理も課題だが、院内の紫外線殺菌ロッカーを用いて、紫外線照射を行う運用も構築した。

現在モフリンは、「無菌病室」に入院中の小学生の女の子が使用しているという。骨髄移植などを控え、免疫力が著しく低下した子どもたちが過ごす隔離空間だ。

祖父母と会うときも、ガラス越しにインターホンで会話するしかない。外出も制限され、友人と遊ぶこともできない。その環境のなかで、彼女はモフリンを抱きしめて離さなかったという。彼女の笑顔は、彼女の笑顔を何より待ち望む、両親の力にもなったに違いない。

それだけではない。大石教授は、日々重い責任と向き合っている小児科のスタッフのモチベーション向上にも寄与していると強調する。

「子どもたちを見守るスタッフたちも『ここにいてよかった』と感じられることに大きな意味がある。モフリンを使って子どもが元気になると、スタッフもやる気が出るんです。人が対応しきれない面を技術で補うという、日本らしい素晴らしい取り組みだと感じています」

■カシオが見つけた新たな「柱」

モフリンは介護領域での活用にも期待が高まっている。2026年1月からは福岡市の認知症フレンドリーセンターでモフリンの展示が開始され、認知症の人への効果について検証が進められている。精神的な癒し効果を持つロボットは、高齢化が進む日本のみならず、海外も含めて大きな需要が見込まれている。

撮影=プレジデントオンライン編集部
モフリンの「裏側」もモフモフで、まったくロボット感がない。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

かくいう筆者も、高齢の母へモフリンをプレゼントしようと検討した一人だ。かつて猫を2匹飼っていた動物好きの母だったが、認知症が進み世話ができなくなってしまった。しかし、孤独を募らせ、多い時は1日数回筆者に「寂しい」「つまらない」と電話してくるように。結局、その後施設入所が決まったこともあり購入には至らなかったものの、世話がいらず孤独を癒してくれるAIペットのニーズを図らずも実感することとなった。

さらに米国、英国でも販売を開始しており、グローバル展開も始まっている。社内でも「会社からの期待の高まりは感じている」と二村さんは明かす。

カシオが「感情のデジタル化」という新領域に踏み出した意味は、単なる製品多角化にとどまらない。人間の感性や「心に寄り添う体験」といった競争軸を、新たな価値として提示しようとする試みだ。

カシオの収益は好調ではあるが、その約6割をG-SHOCKなどの時計事業が占める。2025年2月にはかつての主力だった電子辞書事業の新モデル開発中止も発表した。次の柱をどこに見出すか――その模索のなかで芽吹いたのが、この小さな相棒である。

合理性だけでは測れない豊かさを提供するこのモフリンが、カシオの経営において、転換点となり得るのか。その答えは、日本の製造業の行く末を占う試金石となるかもしれない。

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市岡 ひかり(いちおか ひかり)
フリーライター
時事通信社記者、宣伝会議「広報会議」編集部(編集兼ライター)、朝日新聞出版AERA編集部を経てフリーに。AERA、CHANTOWEB、文春オンライン、東洋経済オンラインなどで執筆。2児の母。
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(フリーライター 市岡 ひかり)