天皇皇后両陛下「オランダ・ベルギー歴訪」に秘められた“2つの重要な意義” 重要性が増す“皇室外交”のいま
トランプ米大統領の予測不能な政治手法に世界各国が右往左往する中、総選挙の大勝で長期政権が視野に入った高市早苗首相の外交手腕に注目が集まっている。日米韓の同盟関係と、海洋進出を強める対中国政策と肩を並べる大きな課題である、EU(欧州連合)との連携再構築。そして、新興勢力のブリックス(BRICS=ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)との経済協力を進める上で、政権側は皇室外交をどう位置付けているのか。高市氏の皇室外交戦略をリポートする(前後編の後編)。
【写真】スーツをビシッときめる雅子さま 2年間の英国留学を終え、帰国した際のレア写真(1990年、成田空港) 雅子さまこれまでの歩み
日系人社会は特別な存在
まず先に、ブリックスとの外交について述べたい。代表格であるブラジルとの関係では、外務省は天皇陛下のご訪問に消極的とする見方がある。国別の日系人の数はブラジルが270万人、次いで米国は150万人、3位がペルーで20万人と、ブラジルは突出している。米国でも、ハワイが30万人を占めており、ブラジルとハワイの日系人社会は皇室にとって特別な存在だ。

日本人のブラジルへの移住は、1908(明治41)年の笠戸丸に始まり、計26万人が移住。日系2、3、4世と世代を継いで270万人に達した。上皇陛下は皇太子時代の1967(昭和42)年と78(同43)年にブラジルをご訪問。即位後も97(平成9)年に足を向けられている。
今上天皇は浩宮時代の1982(昭和57)年に訪れたほか、皇太子時代の2008(平成20)年と18(同30)年に現地を訪れられた。ただ、皇太子時代の訪問では2回とも、病気療養中の皇后雅子さまは同行されていない。地球の真裏にあるブラジルは、航空機での移動が25〜28時間に及び、気流次第では30時間に上るケースもある。宮内庁の旧東宮職関係者はこう語る。
「雅子さまにとって、ブラジルご訪問のハードルは相当、高いことは間違いありません。あまりにも距離が遠く、移動の際のお疲れはかなりのものになると予想されます。またブラジルはロシア、カナダ、米国、中国に次ぐ、世界第5位の広大な面積を誇ります。訪問後の現地でのご移動にも、ご負担がかかることが必須なのです」
外交で公式な席にパートナーを伴うことは、国際儀礼(プロトコール)の上で絶対条件。
「ですから国内の行幸啓なら天皇陛下お1人でもどうにかなりますが、外国訪問では皇后陛下が同行されないと礼を失することになるのです」(宮内庁OB)
秋篠宮家に寄せられる期待
その点、事実上の皇太子に当たる皇嗣となられた秋篠宮さまは、礼宮時代の1988(昭和63)年に1度、ブラジルを訪れているほか、宮家を創設された後も外交関係樹立120周年の大きな節目となった2015(平成27)年に紀子さまを伴われブラジルを訪問されている。
また、長女の小室眞子さんも結婚前、2016(同28)年と18(同30)年にブラジルを訪問。2度目は日本人移住110周年を記念した、重要なものだった。また、昨年は次女の佳子さまが外交関係樹立130周年と、日本ブラジル友好交流年の記念行事への招聘を受け、公式訪問を果たされている。政府関係者はこう話す。
「宮内庁が現在、どう考えているのかは分からないが、少なくとも外務省はブラジルについては、ご体調に不安を抱える皇后陛下に無理強いを求めるのではなく、秋篠宮家にお任せした方がベターだと考えている節がある」
つまり、ブラジルとの友好関係維持に関して、当面は秋篠宮家に任せるというのが外務省の皇室外交戦略なのだ。
ではEUとの関係はどうか。この6月に予定される天皇皇后両陛下のオランダ・ベルギーご歴訪について、宮内庁関係者は「両陛下にとっては2つの意義があります」と打ち明ける。1点は以前にも指摘したボードワン国王と上皇陛下の友情に始まるベルギー王室と皇室との友好関係の再確認だ(2026年1月19日配信)。
そしてもう1点は、オランダ王室への返礼である。ご病気の療養で、表舞台からほぼ完全に姿を消し、激しいバッシングにさらされていた皇太子妃時代の雅子さまが、2006(平成18)年、異例の海外での私的ご静養を実現させたのは、オランダ王室の受け入れがあったからだった。同王室に対する両陛下の感謝の念は「相当なもの」(同OB)。ご静養は当時のベアトリクス女王の招きにより実現したものだ。
ベネルクス3国との関係
オランダ王室が雅子さまに“助け舟”を出した背景には、江戸幕府の鎖国政策中も出島を通じて交易のあったオランダとの、長年の友好関係が前提にあった。だが、ドイツ人の夫を持つベアトリクス女王は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツの侵略を受けたオランダの国民から、結婚時に激しいバッシングを受けた経験の持ち主。雅子さまのオランダ静養の実現には、女王の“共感”が不可欠だった。王室の離宮で幼い愛子さまの手を引く雅子さまが、女王と笑顔で収まった映像を記憶にとどめる国民は少なくないはずだ。
他方で外務省は、この歴訪をステップにして、次の展開を見据えているとの指摘がある。オランダの現地での国名「ネーデルラント」は元々、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの3か国を含めた「低い土地」を意味する言葉だ。オランダは1648年にスペインから独立。一方で一時期、フランスの占領下にあったベルギーは1815年にオランダに併合されている。その後、ベルギーは独立運動の末、1830年に独立を宣言。翌年、独立が承認されたという経緯がある。つまりベルギーとオランダの関係は政治、経済、文化の全てで緊密でありながらも、感情的には微妙な距離感があるのだ。宮内庁職員はこう話す。
「皇后陛下のご体調を踏まえれば、当庁(宮内庁)としてはご訪問が1か国のみという選択もありましたが、外務省さんにとっては、ベルギーだけという選択肢も、オランダだけという選択肢も、どちらもあり得ないという雰囲気でした。両国との関係強化には双方の顔を、立てる必要があったのだと思います」
オランダ王家はルクセンブルク大公家と遠縁。ベルギーもルクセンブルクとは極めて親密な関係にある。3か国によるベネルクス経済同盟の結成に先立って、まず1921年にベルギー・ルクセンブルク経済同盟が結成され、ルクセンブルク軍の兵士はベルギー軍で訓練を受ける関係にある。
「外務省が既に来年を見据えている皇室外交は、ずばり両陛下のルクセンブルクご訪問ではないでしょうか」(同OB)
自民党政権が続くことを前提として、中長期スパンで外交戦略を練っている外務省は、昨年、警察官僚出身の野村護氏をルクセンブルクの大使に当てている。野村氏は警察庁入庁後、暴力団対策などに尽力。一方で2015(平成27)年8月からは宮内庁総務課長、17(同29)年からはご在位中だった上皇陛下の侍従、生前退位後は上皇侍従を21(令和3)年1月まで務めた。また23(同5)年には宮内庁へ戻り、管理部長の要職にあった人物だ。
その野村氏が昨年、管理部長のポストを退き、高市政権発足直後の12月から特命全権大使として赴任したのがルクセンブルクなのだ。在ルクセンブルク日本国大使館のホームページでは昨年12月9日付で野村氏が「2027年には日本・ルクセンブルク外交関係樹立100周年という記念すべき節目を迎えます」と綴っている。さらに野村氏は「日本とルクセンブルクは、皇室と大公家の親密な交流の長い歴史を持ち、これを象徴として多方面での良好な関係が築かれてきました」とした上で「100周年に向けて、レーミッシュ市の遊歩道に桜を再植樹する」と明かしている。
EU創設メンバーであるベネルクス3国との連携強化は、外務省の描く来年までの2年間をかけた皇室外交の戦略だ。高市氏はこうした皇室の政治利用を、全面的に採用するのか。注目したい。
【前編は「なぜ“天皇陛下の訪韓”は実現しないのか…外務省に宮内庁、官邸の意向も絡む『皇室外交』の知られざる実態」】
朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。紙媒体やWEBでロイヤルファミリーの記事などを執筆する。
デイリー新潮編集部
