セバスチャン・サウェ選手(本人の公式インスタグラムより)

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 4月26日のロンドン・マラソンで、ついに公認レースでの“2時間切り”が実現した。優勝したセバスチャン・サウェ(ケニア)が1時間59分30秒、2位ヨミフ・ケジェルチャ(エチオピア)1時間59分41秒。一気に2人が“2時間の壁”を破る快挙を達成したのだ。

 多くのファンが知るとおり、2019年に人類で初めてフルマラソンを1時間59分40秒で走ったのは、エリウド・キプチョゲ(ケニア)だ。が、あくまで“2時間切り”のために設定された特別レースだから公認はされない。今回のサウェとケジェルチャが初めて公認された“サブ2ランナー”というわけだ。【小林信也(作家・スポーツライター)】

【写真】ついにサブ2達成!ロンドンマラソンでのサウェ選手がゴールした瞬間

伝説の中距離ランナー

 サウェは31歳。ジュニア世代から名を知られるランナーが多い中で、サウェは珍しく20代後半になって活躍を始めた晩成型。2023年の世界ロードランニング選手権のハーフマラソンで優勝、24年にはバレンシアで初マラソン2時間2分27秒を記録。25年のロンドン、ベルリンでも2時間2分台で走り、「キプチョゲも届かなかった公認レースでの2時間切りを最初に果たすのはサウェではないか」と期待を集める存在だった。その意味では、“伝説の男”としての資格は十分だ。しかし、例えば50年後、サウェはどんな伝説とともに語り継がれるだろう? 私はふと思いを馳せた。

セバスチャン・サウェ選手(本人の公式インスタグラムより)

 大学の法学部を卒業した私は、スポーツライターとして基礎的な勉強をしたいと願い、筑波大の研究生として学んだ。そこでの講義の中で、いまも鮮明に覚えているのは〈トレーニング論〉の教授が話してくれた“ある中距離ランナーの伝説”だ。

 彼の名はロジャー・バニスター。1929年にイギリス・ロンドンのハーロウで生まれたバニスターは、十代の終わりにはイギリス陸上界を代表する中距離ランナーとなった。19歳の時(1948年)、地元ロンドンで五輪が開催された。この五輪出場をバニスターは辞退している。理由は「トレーニングと医学研究に専念するため」だ。バニスターは国際舞台で活躍を期待される中距離ランナーであると同時に、向学心に燃える医学生でもあった。

 1940年代から50年代にかけて、陸上界には「1マイル4分の壁」と呼ばれる多くのファンが注目する目標があった。当時は1500メートル走とともに、「マイルレース」と呼ばれる1マイル競走(約1609メートル)の人気が根強かった。バニスターが競技を始めた十代の初めから半ばにかけて、二人のスウェーデン選手、グンダー・ヘッグとアルネ・アンデルソンがしのぎを削り、競うように記録を伸ばしていた。42年7月にヘッグが4分6秒2の世界記録をマークすると、数日後にアンデルソンも並び、9月にヘッグが4分4秒6に更新する。

自身の身体を実験台にして

 翌43年7月にはアンデルソンが4分2秒6、さらには44年7月に4分1秒6に伸ばした。二人の記録争いは45年7月にヘッグが4分1秒4をマークして決着がついた。二人が牽引し、マイルレースの記録は限りなく4分に近づいた。だが、4分は切れなかった。「1マイル4分の壁」は逆に際立つ形となり、それは「レンガの壁」と呼ばれ、「人間には不可能」「医学的にも無理」「南極点に立つより難しい」などと表現された。

 この不可能に敢然と挑戦したのがバニスターだ。実は52年のヘルシンキ五輪に出場したが、バニスターは4位に終わり、メダル獲得がならなかった。失意の底で、一度は「陸上競技をやめよう」と決意する。だが、やがて「1マイル4分の壁を超える」という夢への挑戦を決意する。

 筑波大研究生の時、私が興奮したのは、教授が話してくれた次のような話だ。

「バニスターは猛練習を重ねるだけでなく、生理学的な知識と工夫をトラックに持ち込んだ。医学生のバニスターの練習時間は、昼休みの30分しかなかった。彼は、自分の身体を実験台にして、科学的にトレーニング成果を確かめながら挑戦を続けた」

ついに破られた「壁」

 1970年代半ば、日本のスポーツ界では根性論が主流だったから、そうした科学的なアプローチで自己を高めるアスリートの実話は衝撃的だった。

 ニール・バスコム著『パーフェクト・マイル 1マイル4分の壁に挑んだアスリート』(ソニー・マガジンズ刊)には、次の記述がある。

《動脈の二酸化炭素濃度、血中乳酸、肺の喚起、頸動脈化学受容、酸素混合物、過呼吸、ガス圧――バニスターはトレーニングが自分の身体におよぼす効果を表すのに、こうした用語をもちいた。一九五三年三月に準備していた論文の題名はこうだった。「激しい運動時の呼吸に二酸化炭素がもたらす刺激」》

 バニスターは1954年5月6日、オックスフォード大学のイフリーロードで開かれたレースで二人の仲間(ペースメーカー)とともに“4分切り”に挑み、見事3分59秒4で「1マイル4分の壁」を破った。ギネスワールドレコードの公式サイトが、バニスターの独白を紹介している。

「地面がともに動いている気がした。そこで、今まで気づかなかった力と美しさの源を見つけたんだ」

「医者や科学者は、1マイル4分を切るのは不可能で、挑戦すれば死に至ると言われました。なのでゴール後に倒れてから起き上がったとき、私は死んだんだと思いました」

 バニスターは金メダルには届かなかった。だが、五輪のメダルより貴い、スポーツと人類の新たな歴史を拓いた功労者として、いまも敬意を持って語り継がれている。

 2000年にはアメリカ「ライフ誌」が選んだ「この1000年で最も重要な100人」に、存命人物としてただ一人選出されている。

50年後の評価は

 フルマラソン2時間切りを最初に達成したサウェの名も、歴史に刻まれるだろう。だが、バニスターの伝説とはかなり色彩が違うように思う。

 ケニア、エチオピアを中心とする高地で育ったアフリカ選手たちが「レースで勝てば人生が激変する」という先輩たちのシンデレラ・ストーリーに触発され、競技者を志すようになって50年近い歴史が流れた。陸上で多額の報酬を正当に受け取れる“プロ化”“商業化”の流れが背景にある。その結果、「男子マラソン世界歴代記録ベスト100」の一覧のうち84人をケニア、エチオピアが占めている(4月26日現在)。少し前まで日本選手の名も下の方に見ることができたが、いまは100位(99位タイ)が2時間4分46秒だから、大迫傑(2時間4分55秒)も鈴木健吾(2時間4分56秒)もランク外に落ちている。

“2時間切り”は、高地で暮らし、日常的に起伏のある山道を走って移動する生活習慣を受け継ぐアフリカ出身者の中でも競技レベルでの才能に恵まれた少年少女がこぞって陸上競技の長距離レースに専念するようになった歴史の産物だ。

 そして併せて、「超軽量化」「厚底」など工業技術の粋を集める“高速シューズの開発”や“トレーニング施設”“サプリメントを含む栄養指導”などの医科学研究の組織的介入、それを支援するスポンサー企業の莫大な資金提供などの追い風がある。つまり、ひとりの情熱家が知恵と努力で破った壁というより、時代の流れと組織的なビジネスパワーが一体となって実現した成果。それを最初に達成したサウェは、幸運にも第一号の栄誉に浴した。

 だが50年経って、「初めて2時間を切ったマラソンランナーは誰か」と問われたら、やはり「キプチョゲ」と答える人が大勢を占めるかもしれない。そんな気もする。

スポーツライター・小林信也

デイリー新潮編集部