彦根城内二の丸に校舎がある「彦根東高校」は、滋賀県立第一中学校などを経て現在の校名に。なぜ大津ではなく彦根に一中ができたかというと…
国士舘大学大学院客員教授・八幡和郎先生は、「近代日本において、全国のどこで生まれても地元の各都道府県に名門高校があり、良質な高校教育を受けることができることは国力の源泉となってきた」と語っています。当連載では、そんな八幡先生の著書『日本の名門高校 - あの伝統校から注目の新勢力まで -』から一部を抜粋し、全国の名門高校をご紹介していきます。今回取り上げるのは「彦根東高校」です。
【書影】歴史・伝統・校風、有名な卒業生まで徹底網羅。八幡和郎『日本の名門高校 - あの伝統校から注目の新勢力まで -』
* * * * * * *
彦根東高校 県立/共学/滋賀県彦根市金亀町
国宝・彦根城の二の丸に校舎がある滋賀県の旧一中
彦根藩では、1798年に熊本藩の時習館をモデルとして藩校・弘道館を設立した。その後、藩校は廃藩置県で廃止され、彦根東高校との連続性はない。
彦根東高校は、明治9年(1876)に開校された、第三大学区第十一番中学区彦根学校(共立)をもって創立としている。その後、大津の師範学校の分校となった時期もあったが、明治20年(1887)に滋賀県尋常中学校となったのち、滋賀県立第一中学校、彦根中学校、彦根高校などを経て、昭和27年(1952)に現在の校名になった。県庁所在地の大津ではなく、彦根に一中ができたのは、廃藩置県後の滋賀県では旧彦根藩士に中学校設立の希望が多かったためとされる。
校舎は、彦根城内二の丸にあって、堀を渡り城門を通って通学するという全国の高校でも有数の歴史的景観だが、校舎のリニューアルには制約があり、近年、木造で一部校舎を新築した。彦根藩の伝統を引き継ぎ、「自主自律」「文武両道」の精神と、先駆者精神「赤鬼魂」の校風を継承する。「深みのある授業」を実践し、生徒の探究心を高めることを重視し、理数系教育の先進校として科学系人材の育成にも力を入れている。
滋賀代表として甲子園に出場
野球部が選手権大会に過去2回、選抜大会に過去4回滋賀県代表として甲子園に出場している。彦根藩伝統の赤を基調にした応援グッズでスタンドを真っ赤に染め、マナーもよいと話題になった。囲碁や新聞部の活動も全国的に評価されている。「東高体操」という独自の体操も知られる。
通学区域の自由化で膳所高校(大津市)に浸食され、2026年度は、京都大学には4名しか合格しなかったが、大阪大学には19名が合格した。同志社大学と立命館大学などには大量合格させている。
卒業生には、弘世助太郎(日本生命中興の祖)、石田退三(トヨタ自動車社長)、中村邦夫(パナソニック会長)、田原総一朗(評論家)、川端達夫(元衆議院副議長)、細野豪志(衆議院議員)、夏原平和(平和堂社長)、林久美子(元参議院議員・世耕弘成夫人)などがいる。ライバルの膳所高校に比べ、政治家が多いのが一中らしさともいえる。
県内の公立では、二中だった膳所高校のほか、水口高校(甲賀市)、八日市高校(東近江市)、虎姫高校(長浜市)、高島高校(高島市)などが旧制中学を前身としている。中高一貫制クラスがある守山高校(守山市)は、2026年度入試では、京都大学に6名、大阪大学に15名を送り込むのに成功している。長浜北高校はノーベル生理学・医学賞の坂口志文を輩出している。
※本稿は、『日本の名門高校 - あの伝統校から注目の新勢力まで -』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。
