【風来堂】クマは「最初の一撃で頭部を狙い、必ず嚙みついてくる」 50人以上を診た秋田大の専門医が警告する「被害の実態」

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救急医療の現場から学ぶ、クマから命を守る方法

2023(令和5)年の環境省の調査によると、ツキノワグマの出没件数は、岩手県と秋田県の2県で全国の約40%を占める。その最前線で長年、クマによる傷病者と向き合ってきた医師がいる。秋田大学大学院医学系研究科教授で、秋田大学医学部附属病院高度救命救急センター長を務める中永士師明(なかえはじめ)氏だ。

秋田大学に赴任して20年以上、これまで同センターで直接治療に当たったクマによる傷病者は50人にのぼる。前任の岩手医科大学でも、クマによる受傷の治療に携わるとともに、受傷に関する学会発表も手がけてきた。そんな中永教授が診てきた症例と患者の証言には、熊害対策やいざというときの危機管理術のヒントが詰まっている。

※本稿は、『ドキュメント クマから逃げのびた人々』(三才ブックス)の一部を抜粋・編集したものです。

日常に潜むクマとの遭遇リスク…市街地が半数に

秋田大学医学部附属病院高度救命救急センター(以下、同センター)では、傷病者の治療の際に、クマに襲われた状況をできるだけ聞くようにしている。人がクマに襲われるシチュエーションは変わってきているのだろうか。

「2024(令和6)年の秋田県内の傷病者には、クマ狩りで山に入って受傷した猟師の方が1名いましたが、この方以外は、山に入っても自分からクマに遭おうと向かって行ったのではなく、偶然にも遭遇して襲われたという状況です。

また、これまではクマと遭遇する場所で多いのは山の中。山菜採りなどで山に入って受傷される方が大多数を占めていましたが、近年は市街地の例が多くなっています。

受傷場所/資料提供:秋田大学医学部附属病院(2023年)

たとえば犬の散歩中に襲われた方。この方は、飼い犬が『ワンワンワン』と吠え出したので、『何だろう?』と不審に思っていたら、突然、クマがガバッと襲ってきたといいます。自転車に乗っていて襲われた方もいらっしゃいます。クマが見えた瞬間にはもう目の前まで迫っていて、あとはもう『何が起こったか覚えていない』と話していました。特殊な例では、自宅の庭で遭遇し襲われた方もいます。このケースは遭遇場所としてはかなり珍しいでしょうね」

遠くから襲ってくるクマは少ない

市街地か山中かに関わらず、クマとの遭遇は突然だった例が多い。山菜採りの最中に襲われる人などは、夢中になって山菜を探していて、気づいたときにはすぐそばにクマがいた、という話はよくある。

「クマは視力はあまりよくないのですが、嗅覚は優れています。においを嗅ぎつけて近づいてくることもある。従って、見通しの悪い場所では、クマは人間の存在に気づいていても、人間はクマの存在に気づけていないということがあります。

受傷時の状況/資料提供:秋田大学医学部附属病院(2023年)

傷病者から聞いた情報で、遭遇したときのクマとの距離に注目すると、遠くから長い距離を走って襲ってくる、というクマはあまりいないようです。やはり互いに気づかず出会い頭で、というパターンが多い。ただし、子グマにちょっかいを出してしまうと話は別です。子グマを守ろうとする母グマが、走って襲いかかってきます。

これは私の知人の例ですが、渓流釣りの最中に子グマを見かけて、子どもだと思って安心してかまってしまった。すると母グマが現れて襲われ、その弾みで、母グマと一緒に崖から落ちたのです。その知人は以来、肩が外れやすくなってしまいました」

爪での一撃は頭部や顔へ…さらに口で嚙みついてくる

中永教授によると、クマによる受傷部位で圧倒的に多いのは、頭部や顔。クマが相手を威嚇するために立ち上がり前脚を振ると、ちょうど人間の頭部あたりの高さになるのがその理由だ。

「同じ野生動物でも、イノシシは突進してきますが、クマは少し異なります。遭遇したら最初、バーッと迫ってきますが、ビッと後ろ脚で立ち上がり、ガッと前脚を振り下ろしてきます。

ただし、前脚での一撃だけでなく、嚙まれて受傷することが多い。受傷したほとんどの人は、前脚と口の両方で攻撃されています。一方で、前脚の爪にやられた傷だけという人は、私の知る限りほぼいません。事実、患者さんは結構な確率で嚙まれています。攻撃の中心は口で、前脚での攻撃は最初の一撃のみということが多い」

ただし、最初の一撃のみだとしても、さすがにクマの力はすさまじい。しかも、頭部や顔面をやられてしまえば、かなりの重傷を負ってしまう確率は高い。そして、クマの動きは想像以上に俊敏だ。襲われた人たちはみな、クマの素早さと襲われたことへの動揺で、詳しい記憶は残っていないこともよくあるという。

受傷部位/資料提供:秋田大学医学部附属病院(2023年)

「もちろん例外はありますが、クマが人間を攻撃した後、いつまでもその場に残ることは稀です。襲われた後、『気づいたときにはもういなくなっていた』という証言もあります」

ところで、「クマは左利きなので、左脚から最初の一撃が飛んでくる」という俗説もある。もしそれが正しければ、あらかじめ予測し対処もできそうだが──。

「クマにも個体ごとに利き手はあるのでしょうが、左利きがとくに多いということはなさそうです。20年以上クマに襲われた症例を診ていますが、右からも左からもやられています。優位な差はほとんど確認できません」

クマの一撃で鼻が取れてしまった

クマに襲われた受傷者のケガの状況と治療について、中永教授にいくつか重症となった実例を挙げてもらった。

「衝撃的な受傷例でいうと、クマの一撃を受けて鼻が取れてしまった患者さんがいました。現場に駆けつけた救急隊員が、取れて落ちていた鼻を拾い、患者さんの搬送の際、一緒に持ってきてくれたので、当院の形成外科医の手術で接合できました。鼻は大部分が軟骨ですので、取れやすく、接合しやすいのです。

一方、眼となると話は違ってきます。不運にも眼球にクマの一撃を受けてしまった場合、事後の治療ではどうにもならず、失明してしまった例はいくつもあります。

頭がい骨骨折の事例も起こっています。ただし、顔面骨折が多く、脳まで損傷するという事例はあまりないですね。クマは頭もガブッと嚙んできますので、骨折には至るのですが」

重傷者でも、クマに襲われた直後は痛みを感じなかった、と証言する人は多い。興奮してアドレナリンが出ていることで、痛みの感覚の閾値が上がっているのだ。その後、救助され病院で治療を受けているうちに、どんどん激しい痛みを感じるようになってくる。

いつまでも痛みやしびれが残る、といった身体的な後遺症は8割程度の傷病者に見受けられる、と中永教授は言う。一方で、精神的な後遺症も。「PTSDに陥るケースも多々あります。襲撃後、何カ月も経ってからPTSDが現れることもある。襲われた当時の話を聞いている最中、理由もなく涙が出てきたり、クマの夢、悪夢を見るといった例も多いですね。

先に挙げたマタギを生業とする傷病者の方は、『次にクマが襲ってきたら、必ずやり返してやる』と息巻いていましたけれど、これはレアケースです。普通の人は、自分の人生でまさか、クマに襲われるなんて予期していませんからね。しかも、市街地で『まさかこんなところで……』という場所で襲われることもあります。

ですから心の傷としても遺ってしまうのです。私が調べた範囲では、傷病者の8割ほどはPTSD的な反応を示しています」

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