新作『ゴジラ』で”再注目”、「日本海軍」が世界にほこる「二式大艇」のすごすぎる「実力」…!

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2026年11月に公開される山崎貴監督による「ゴジラ−0.0」のファーストティザー映像がこのほど公開され、一部のミリタリーマニアの間で話題になっている。その映像の中で、戦時中に世界最高水準の飛行艇として知られた「二式大艇」が登場したからだ。

接近するゴジラから、海面を滑って逃げる二式大艇。そんな迫力満点の二式大艇の開発史を綴った「新装解説版 最後の二式大艇」(碇義朗著、光人社NF文庫)が注目されている。川西航空機のエンジニア魂の精華である二式大艇がたどった航跡を一部抜粋・再構成してお届けする。

遭難した連合艦隊司令長官

古賀長官の乗る一番機が七割方、福留繁参謀長の乗る二番機は八割方給油が進んだころ、思いがけなく空襲警報が発せられた。

基地は昼間の空襲であかあかと燃え上がっており、混乱していた。こんな時間に? といぶかられたが、ここで飛行艇ごとやられたら一大事と、連合艦隊航空参謀の判断で給油を打ち切り、午後十時ごろダバオに向けて発進した。パラオからダバオまでは約五百六十カイリ(約千五十キロ)、二式大艇にとってはホンのひと飛びといった距離である。ふつうの正規状態でも千二百五十カイリは飛べるから、航空参謀の指示で早めに給油を打ち切っても充分に余裕をもって到達できるはずだった。

ところが運悪く、途中で熱帯性低気圧にぶつかり、豪雨を突破するのにひどく燃料を喰ってしまった。二番機はようやく抜けてフィリピンに達したものの、航法ミスと燃料不足でセブ島付近の海上に不時着大破、一番機は行方不明になってしまった。福留参謀長以下は海岸に泳ぎついたが、ゲリラの捕虜となり、事実上、連合艦隊司令部は全滅同然となってしまった。福留以下の身柄は、後日、陸軍部隊の討伐とかなりの身代金と引きかえに取り戻すことができた。

古賀長官の行方不明については、長官はフィリピンに不時着自決したなどとまことしやかに伝えられたりしたが、遭難前に長官機と参謀長機は十五分ごとに無線連絡をとり合っており、午後十一時三十分ごろに長官機からの電信が途絶えたこと、ならびに当夜の悪天候から推定してその時刻に海中に墜落し、全員殉職したものと考えるのが正しい。

壊滅状態に追い込まれ、捲土重来を期す

連合軍側にとって、槍先のように日本軍の最先端に突出したツラギは目の敵だったから、かれらはソロモンでの攻勢開始に先立って、まずここを最初の目標に決めた。

ところが、航空写真によって、偶然、ガダルカナルに日本軍があたらしい滑走路をつくっているのを発見した。あと二、三日で零戦や陸攻が進出しようという八月七日、かれらはガダルカナルに上陸した。同時にツラギにも上陸、浜空をふくむ守備隊は善戦したが、圧倒的な敵の物量攻勢の前に玉砕してしまった。

ツラギでは敵が上陸する前日の八月六日は天候不良で哨戒機は出なかったが、連絡のためラバウルから飛んできた新鋭の二式大艇が、食糧や酒などをしこたま運んできたので、島では久しぶりに演芸会が開かれた。

にぎやかな夜を過ごした翌七日の早朝、敵の空襲をうけた。すでに夜半に発せられた警報で出動準備をすませ、全機エンジンのウォーミングアップのため水上滑走に移ったところに敵戦闘機が襲いかかり、七機の九七式大艇はたちまち炎上、搭乗員も大方が戦死した。わずかな飛行艇による広大な海面哨戒の間隙をつかれたものだった。

ツラギ進出の飛行艇全機と、司令の宮崎重敏大佐、飛行長勝田三郎中佐以下の主力メンバーを失った浜空は、ナウル、オーシャン方面とラバウルにいた少数機を除き、ほぼ壊滅状態となり、わずかに残った隊員を中心に再建すべく横浜に帰った。

巨体の飛行艇に敵戦闘機も退散

操縦を副操にまかせ、指揮官席上方の見張用の透明ドームから後方を見た玉利は愕然とした。双胴のロッキードP38戦闘機が三機、後方から迫ってくるのだ。すぐに爆弾を海中に落としたが、左翼の一弾がどうしても落ちない。かまわず機首を下げ、海面すれすれまで降下した。飛行艇の弱点である下方からの攻撃を避けるためだ。

P38も急角度では海中に突っ込むおそれがあるので、浅い角度から、一機ずつ攻撃して来た。敵機の発射の頃合いを見はからって、玉利は横スベリを命じた。フットバーを思い切り蹴ると、機体はジワーッと蹴った方向にすべる。とたんに反対側をザーッと火の雨が通り過ぎる。

だが、ときにかわし切れず、バケツを叩くような音がして敵弾が命中する。胴体内燃料タンクを貫通し、オイルパイプも切れてガソリンとオイルが吹き出した。タンクは防弾ゴムが作用してすぐ漏洩が止まった。

風防ガラスを破って飛び込んだ弾丸で、計器板が破壊されてしまった。エンジンも一基やられて火災を起こしたが、自動消火装置がはたらいて消しとめた。割れた風防ガラスの風で、まともに正面を向いていられない。

銃座で応戦していた偵察員の河野清一郎飛曹長が足をやられて倒れた。そのうち、もう一基のエンジンの回転が落ち、煙を吐きはじめた。各銃座ではなおも応戦、ついにP38の一機が煙を吐いて攻撃から脱落した。

しかし、交戦をはじめてから時間もだいぶ経過し、エンジン二基が駄目になって、機速もガックリ落ちた。最後はいさぎよく体当たりをと、玉利は操縦員に命じて巨大な艇体を敵戦闘機に向けた。

この反撃におどろいたか、あるいはしぶとい飛行艇に根負けしたか、残る二機も基地に向け反転して行った。

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