関根 元

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【後編(全2回)】

 両親が殺人容疑で逮捕され死刑囚になった――そんな数奇で過酷な経験をしたのが、「埼玉愛犬家連続殺人事件」の主犯、関根元死刑囚の子どもとして育てられたA男とB子だ。親たちの逮捕直後、二人の子どもに何が起きたのかは前編でご紹介した。後編では、その後成人した娘、B子が収監された関根とやりとりする中で見た関根の“二面性”について明かす。子どもたちが自身の言葉で語った「死刑囚の子ども」としての人生とは……。ノンフィクションライター、深笛義也氏による渾身のレポートである(以下、「新潮45」2016年2月号をもとに加筆・修正しました。年齢などは執筆時のものです)。

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お金の差し入れを拒否

 関根と妻・風間博子の娘のB子は成人式を迎えた時、叔母から「何があっても、お父さんがいたから、あなたがいるんだよ」と言われ、手紙を書いた。関根からの手紙には、「お母さんを帰してあげる」という言葉もあった。

関根 元

「でも、たくましかったあの父が、変わり果てていたらどうしようって心配で、何回か手紙のやりとりをしただけで、会いには行けずじまいでした。数年後に母に面会に行った時に、父にお金を差し入れたんです。でも後日、東京拘置所の差し入れ係から連絡があって、受け取り拒否ということで戻ってきました」

「100万円くれれば本当のことを話す」

 実はこれに先立つ2001年9月、関根は共に死刑囚になった風間に対して、100万円くれれば本当のことを話す、と持ちかけていた。「自分は被害者と金銭的解決を考えていたが、返す金などない、と言って風間が殺害を言い出した」と、関根は取り調べ時に供述していた。これが裁判で、風間が殺人に関与しているという、大きな根拠の一つとされていた。

 関根から風間への手紙には、食料品や日用品に要する事細かな金額が記載されていた。拘置所では支給される以外のものを、自費で購入することができる。手紙には、こんな言葉も添えられていた。

「終生一度の初めてで最後の懇願。餞別(せんべつ)か香典の代わりとして考えて下さい」

「懇願」には「とりひき」と振り仮名があった。そして、こう続く。

「関根は片道を前に行くだけです。親御殿や娘と再会出来ますよう一命をかけ申し上げる一心です」

 だが、金と引き替えの証言では裁判で信用されないと判断し、風間は話には応じなかった。B子からの差し入れを受け取って、求めていた金額とのあまりの落差に、関根は「これが答えか!?」と激怒、受け取りを拒否したのかもしれない。

 09年、最高裁で上告棄却され、関根と風間への死刑判決は確定した。風間は再審請求を2度にわたり行ったが、いずれも最高裁で棄却され、現在は第3次の再審請求中だ。

「悪魔に魂を売った女三人」

「お父さんから本当のことを聞きたい」

 そんな思いから、B子は昨年、再び関根に手紙を書いた。確定死刑囚に手紙を出せるのは、親族と拘置所が認めた知人だけだ。関根は東京拘置所の係官から、「娘の名前を言ってみろ」と言われたという。本当に娘からの手紙か、確証がない。関根は、娘がすでに結婚しているかどうか知りようがなく、名字が変わっているかどうかも分からなかった。

 戸籍謄本など、親子であることを証明する書類をB子が提出。文通が始まった。

「最愛の娘を待ち焦がれてます、早く会いに来てください、みたいな手紙が最初は来たんです。でも、面会に行く勇気が湧かずにいると、すねて怒りの手紙に変わる。母や叔母さん、おばあさんを罵倒するような内容になるんです」

 そこには、「悪魔に魂を売った女三人」などと書かれていたという。

 関根は、事件のことは答えてくれないが、犬の飼育のことは答えてくれる。どこかから、真実を知る糸口を見つけたいとB子は願っている。B子とA男にとって、事件はまだ終わっていないのだ。

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 関根は2017年、獄中で病死した。75歳だった。69歳の風間はいまも収監中である。

 前編では、両親が共に死刑囚となった子ども二人が直面した苦難の人生について報じる。

深笛義也(ふかぶえ・よしなり) ノンフィクションライター
1959年東京都生まれ。「週刊新潮」に「黒い報告書」を80本以上書いてきた他、ノンフィクションも多数執筆。著書に『エロか?革命か?それが問題だ!』『女性死刑囚』『労働貴族』などがある。2017年、本記事をもとにした書き下ろし『罠』(サイゾー)を刊行した。

デイリー新潮編集部