「生きものは遊んで進化する」書評 無駄だからこそ生命の停滞打破
「生きものは遊んで進化する」 [著]デイヴィッド・トゥーミー 書評の前に一言。自分は何のために生まれてきたかというと、たぶん遊ぶためだと思うのです。キャンバスの中で、これでもか、と遊びまくるのです。そんな創造行為と生活は僕の中では一体化しています。
つまり絵は目的がありません。描きたいために描くので、意味もありません。目的と意味を持った瞬間、絵が死ぬことを意味します。遊びを喪失するからです。創造の本質は遊びです。遊びほど無責任な行為はありません。創造は本来無責任なものです。
本能の殻を破って、予測不能な世界で如何(いか)にありとあらゆる制約から離れて、しかも即興的に遊ぶのか。そのいい例として、わが家の猫の首をつまんでゴミ箱の中にほうり込みます。これは僕の遊びですが、すると猫は必死になってゴミと戯れ続けます。猫の、この如何なる環境にも適応する柔軟性は芸術行為そのものです。
こうした「遊び」の遺伝子は数億年にわたって受け継がれているらしいのです。
遊びは何の役にも立ちません。だから遊びなのです。役に立つ遊びなど存在しません。無駄な遊びだからこそ生命が停滞を打破して次のステージへ進むための機動力になるのです。
「遊び」という一見無駄と思われるものこそが進化の産物で、遊びが脳を形成して、複雑な社会関係などに適応能力を発揮するというのです。
例えば鳥類や爬虫類(はちゅうるい)やタコや昆虫までが、遊びに似た行動を起こすらしいのです。一見無駄な遊びが進化を加速するなんていうと、へえーと思いますが、このことを芸術に置き換えれば、納得できます。つまり「遊び」そのものが進化を加速させるのです。
「生きものは遊んで進化する」はそのまま「芸術は遊んで進化する」です。最初に戻りますと、僕は遊ぶために生まれてきたのです。猫は芸術家の生き方のサンプルです。
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David Toomey 米マサチューセッツ大英語教授。ライティングや科学史を担当。著書に『ありえない生きもの』など。
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梅田智世訳
