『お別れホスピタル2』写真提供=NHK

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 人工呼吸器の作動音だけが静かに鳴る、真っ暗な病室。やがて窓の外が明るくなり、医療用ワゴンを押しながらやってきた辺見がカーテンを開けると、柔らかな光が部屋全体を包み込む。

参考:『お別れホスピタル』が誠実に向き合った生と死 豊かな“風”は実写化だからこその表現に

 2024年に全4話で放送され、大きな反響を呼んだドラマ『お別れホスピタル』(NHK総合)が帰ってきた。本作は、重度の医療ケアが必要な人や在宅復帰の望めない人を受け入れる療養病棟が舞台。一度入院したら元気になって退院する人はほとんどおらず、多くの人はそこで最期を迎える。冒頭のシーンは、そんな死の一番すぐそばにある病棟にも、新しい一日が訪れることを暗示していた。看護師の辺見歩(岸井ゆきの)は日々、さまざまな患者の死と人生を静かに見つめ、そこから浮かび上がってくる答えのない問いに向き合っている。

「生きるって、何だろう?」

 主演の岸井ゆきのや医師・広野誠二役の松山ケンイチをはじめ、数名がシーズン1から続投している。シーズン1で咽頭がんのステージ3と宣告された看護主任の赤根(内田慈)は、治療のために半年間の療養を経て仕事に復帰を果たした。用もないのにナースコールを連打しては、看護師たちを困らせていた患者の大戸屋(きたろう)も健在だ。舞台となっている場所が場所だけに、生きている彼らに再び画面を通して会えることの喜びはひとしおである。

 身寄りがなく、寂しさから問題行動を起こしがちで、特に赤根には甘えっぱなしだった大戸屋。声こそ出せないものの、赤根が帰ってきたことへの喜びを全身で表現する姿にほっこりしたのも束の間、赤根が仕事中に倒れてしまう。

 赤根は食道の輪状狭窄で、口からほとんど食事を摂取できなくなっていることを周囲に隠して働いていた。今後は、胃ろう(腹部に開けた小さな穴)からの栄養摂取が主流になるとのこと。でも、それだけでは看護師の仕事をこなせるだけの体力は得られない。看護師長の三木(仙道敦子)は、自分のためにも患者のためにも今は生きることを優先すべきだと告げる。

 赤根は、一人息子の貴之(丈太郎)が作る料理と看護師の仕事を生きがいとしていた。しかし、病気は容赦なくその両方を奪っていく。そんな赤根に「こんな私で生きてることに何の意味があるの?」と聞かれたら、誰だって辺見のように押し黙ってしまうだろう。

 シーズン1の最後に辺見は「私たちは死ぬことの手助けをしているわけじゃない。ここは病院だ。人が生き切る場所だ」という、ひとつの答えを導き出した。患者一人ひとりが、その人らしく最期まで生き切るために、何ができるかを辺見たちは考え続けている。だが、そこにシーズン2はもうひとつの疑問を投げかけてくる。自分らしさ、すなわち尊厳を失ってもなお、生き続けることの意味とは何か、ということだ。

 私事だが、先日曽祖母が101歳の誕生日を迎えた。今まで大きな病気をしたことはなく、正月にはお餅を何個も平らげ、日本酒も少し飲む。頭も冴えていて、昔と変わらず口達者だ。また私の母が看護師であるため、本人の希望もあって慣れ親しんだ自宅で介護を受けている。曽祖母を見ていると、果たしてどれくらいの人がこんな余生を送れるのだろうかと考えずにはいられない。

 同じ100歳でも、今作から登場する安斎(伊東四朗)は傾眠と部分的な認知症を患っており、療養病棟に入院している。一方で、現役議員だった頃のように毎朝ベッドで演説し、見舞いにきた家族は呆れつつも、その変わらぬ姿にどこかホッとしているようだ。ひとつ気がかりだったかつての愛人・美枝(渡辺えり)が幸せに生きていることも確認し、辺見や広野の優しい嘘のおかげで、美しい思い出をあの世に持っていける安斎は、ある意味で幸せ者なのかもしれない。

 シーズン1にも登場したヨシ(根岸季衣)はもともと厳格な教師だったが、認知症を発症し、今ではケアワーカー・南(長村航希)に恋する乙女のようだ。「年取るとね、だんだん自由になっていくの」と言っていたヨシ。認知症になった今のヨシが本来の姿なのかはわからないが、少なくとも彼女は幸せそうに笑っている。

 自分が望む最期を迎えられるとは限らないのが世の常だ。末期のすい臓がんで入院している桜田(YOU)は元ベストセラー作家で、テレビでも一世を風靡した人だった。しかし、今は見舞いに来る人もおらず、ひとりぼっちの病床で毎日襲い来る痛みに悶え苦しんでいる。加えて、仕事上のパートナーで、唯一の理解者でもあった秋山(広岡由里子)を最悪の形で裏切ってしまった罪を背負っている桜田。罵声を浴びせられるよりも辛い、無関心という名の罰を受けて、彼女はいよいよ生きる気力をなくしたようだ。

 辺見の妹・佐都子(小野花梨)は身体こそ元気なものの、中学時代のイジメが原因で心に深い傷を負っている。死にたい気持ちが消える日まで、その日、その日を必死に生き永らえようとしているが、母・加那子(麻生祐未)から寄せられる期待の重さに押し潰されそうになることもある。

 生きている限り、誰にでも等しく朝は訪れる。それは人によって「希望」にも「絶望」にもなり得るのだと、この45分間に実感させられた。

 急速な少子高齢化の進行に伴う医療・介護体制の逼迫や社会保障費の増大が課題となっている現代。近い将来、命の選別を迫られるような現実に直面するかもしれない。安楽死や尊厳死の法制化を求める声も年々強まっている印象を受ける。何が正しくて、何が間違っているか。決めつける前に考えたい。このドラマが提示する、さまざまな可能性を前にして、自分がどう生きて、どう死を迎えたいかを。(文=苫とり子)