スザンヌ似の美貌で「可愛すぎる鳶職人」として脚光を浴びる美女の輝く笑顔の裏には、愛を渇望した孤独な幼少期と、命と向き合った壮絶な過去が刻まれていた。

【映像】スザンヌ似と話題の現在の姿&闘病中の母親との2ショット

 2月22日放送のABEMA『秘密のママ園』内のコーナー『のぞき見!隣のママ』では、福岡県で建設会社を経営する31歳のママ・優希さんの仕事現場に密着。優希さんは2人の娘を育てる母親でありながら、現場を仕切る2代目社長としての顔も持っている。

 3人兄弟の真ん中として育った優希さんの幼少期は、一般的なイメージとはかけ離れたものだった。インタビューに応じた優希さんは、当時の母親について「ギャンブラーだった」と告白。母親は常にパチンコ店におり、家を空けがちだった。そのため優希さんは幼くして「鍵っ子」として過ごし、兄弟たちの母親代わりをこなす日々を送っていた。兄にわざと大袈裟に泣いて見せることで注意を引こうとしたエピソードを振り返り、「めちゃくちゃかまって欲しかったんだと思う」と当時の満たされなかった想いを語った。

 当時の優希さんには「保育士になりたい」という自分の夢があった。しかし、将来は家業を手伝ってほしいという母親の強い期待に応えるため、自身の夢を封印して工業高校への進学を決意。どこまでも家族の想いを優先する彼女の献身的な性格は、この頃から形作られていた。 

 高校卒業後、母親の望み通り土木業の事務職に就いた優希さんをさらなる悲劇が襲う。最愛の母が46歳の若さで大腸がんステージ3を宣告されたのだ。余命半年という宣告を受け、彼女は仕事を辞め、看病にすべてを捧げたが、わずか4ヶ月で母は帰らぬ人となった。

 優希さんは「もっと、なんか、一緒にお菓子作りたかった…」という、あまりにもささやかで切ない願いをポツリ。涙を拭いながら「ははは、やば」と笑い飛ばそうとするその姿に、甘えたかった少女時代の面影が重なる。

 母のそばにいたくて仮病を使った幼少期の自分を忘れていないからこそ、優希さんは自分の子供たちには「絶対に同じ思いをさせたくない」と誓っている。現場で1トンを超える資材を操り、ボロボロの地下足袋で駆け回る過酷な仕事の原動力は、すべて娘たちへの愛にある。番組の終盤、文字を練習中の次女から「いつもおいしいごはんをつくってくれてありがとう。だいすきだよ」と記された手紙を贈られると、優希さんは顔を覆って号泣。娘を抱きしめながら「嬉しい、ニコニコだよ」と泣き笑う姿は、かつて自分が欲しくてたまらなかった愛情を、今まさに全身全霊で我が子に注いでいる証だった。