「悪夢かと」35年ローンで家を購入した直後「35歳で悪性がんが見つかった」歌手・木山裕策(56)それでもわが子に見せ続けた「父の姿」
男児4人の父親でもある歌手の木山裕策さんは、家を購入した1年後の35歳で甲状腺がんが発覚。病気をきっかけに挑戦したオーディション番組では、1回目に不合格となり、大泣きする子どもたちを見て、木山さんは「夢への挑戦は自分のエゴなのだろうか」と葛藤したそうです。(全4回中の1回)
【写真】「今と全然違う!」バリバリ働いていた会社員時代の木山裕策さんとご家族 ほか(全15枚)
家を購入し、昇進した1年後に悪性がん「悪夢のようだった」

── 甲状腺がんが見つかったきっかけを教えてください。
木山さん:会社の人間ドックです。血液検査では異常なしだったのが、内科健診で医師から「喉が少し腫れているから、一度検査したほうがいい」と言われて、大きな病院に行ったんです。そうしたら、がんの診察でよく行われるらしい、病変のある組織の一部を取って顕微鏡で調べる検査をすることになって。甲状腺に2×3センチの悪性腫瘍が見つかりました。
甲状腺がんは静かに進行するらしくて、初期症状が感じられないことが多いそうなんです。僕も何の症状もないまま診断から1か月後くらいに緊急手術をしました。とにかく突然すぎて混乱しました。

── お子さんたちもまだ小さかったのではないでしょうか。
木山さん:4人兄弟のうち、長男が小学3年生でした。末っ子の四男はがんが治癒してから生まれましたが、がん発覚時は家のローンを組んだ1年後で、会社でも35歳で課長になったばかり。とにかく人生でいちばん忙しい時期でした。
あと、甲状腺がんって、男性よりも女性のほうが罹患率が高い(※)らしいんです。甲状腺がん関連の本がすごく少なくて、知りたい情報もほとんど見つけられず困りました。
(※)女性11.5人:男性4.5人、2010年、全国年齢調整罹患率(対人口10万人)/環境省
僕は、甲状腺を全摘出する手術を受けたのですが、手術の前日に担当医から「声帯を傷つける可能性があり、最悪の場合は声がまったく出なくなる」と言われたんです。「人生って、起きてほしくないことがこうも一度に起きるものなのか」と絶望しましたね。悪夢を見ているようでした。
ただ、手術は成功して、なんとか声帯もきれいに残りました。その後、同じ病気の人とたくさん会いましたが、なかなか難しい手術のようで…。「今のように声が出せて、歌えることは、たまたま運がよかったんだ」と実感するばかりです。
オーディション番組で前代未聞の合格。その舞台裏
── 甲状腺がんをきっかけに、長年の夢だった歌手を目指してオーディション番組『歌スタ!!』に出演されました。1回目は不合格でしたが、2回目、異例といわれる挑戦で見事に合格、39歳で歌手デビューされて話題になりましたね。
木山さん:あの合格は、僕の力ではないと思っています。2回目への挑戦は、番組では初めてのことで、その理由は、1回目が不合格になったとき、僕が歌った『home(ホーム)』を作ってくれた音楽プロデューサーの多胡邦夫さんが「どうしても諦められない」と、番組制作者に交渉してくれたからなんです。「この曲は、これからの日本に必要とされると思います」って。

番組のルールは、プロと制作したオリジナル曲を1番だけ歌い、1回目で不合格になったら終了、というものでした。でも、僕のときは、不合格後に審査員の方が「もう少し長く聞きたかった」とぽろっとおっしゃって。多胡さんはそのひと言を聞き逃さず、番組で初めてフルコーラスを完成させたんです。夢をつかみ取るためにルールさえ変えてしまったんですよ。本当に夢を叶えようとする人の気合を見せつけられました。
── 多胡さんは、木山さんから夢を一緒に叶えたいと強く思わせるものを感じ取ったのではないでしょうか。『home』は木山さん自身を歌った曲のように感じます。
木山さん:『歌スタ!!』で披露する曲づくりのために、多胡さんには2、3か月のあいだ何度もお会いして、自分の経験や想いをお話ししていました。僕のすべてをさらけ出したと思っています。偶然、多胡さんご自身も第一子が生まれたことが重なって、僕の人生に思い入れをもってくれたのかもしれません。
「子どもたちにどんな姿を見せたい?」悩んだ末に
──『歌スタ‼』では、2回目のチャレンジで見事合格しましたね。
木山さん:実を言うと、1回目で不合格になったとき、心が折れたようになってしまって。収録現場に子どもたちを連れてきていたのですが、僕が失敗する姿を見た子どもたちが全員泣いてしまったんです。それを見て、自分がいったい何をしたいのか、わからなくなってしまいました。もともと歌手になりたくて、子どもたちに自分が頑張る姿を見せたかったから挑戦したのに、結局は失敗をする姿を見せて泣かせて。自分が夢を追い求めることで子どもたちを傷つけてしまうなんて、自分は正しく生きられているのかと。多胡さんがせっかくもう一度挑戦するチャンスをつくってくれたのに、合格してやろうという意欲がまったく湧きませんでした。
そんなわけで、2回目の挑戦のときは現場に家族を連れて行かないつもりでいました。そうしたら前日の晩に多胡さんから電話があって。すごい剣幕で「子どもたちを連れてこないって、どうして?」と聞くんです。そこで「もうこれ以上、子どもたちを泣かせたくない」と答えたら、ものすごく怒られました(苦笑)。

「木山さんは子どもたちに自分のどんな姿を見せたいですか?」と聞かれたので、自分なりに考えて、「今まで失敗が多い人生だったし、病気にもなっちゃったけど、それでも諦めずに頑張って勝つ姿を見せたい」と話しました。すると、多胡さんは「世の中はいつも勝てるほど簡単じゃない。メジャーデビューも、必要な要素が奇跡的に重なって初めて成立するものなんです。木山さんが子どもたちに本当に見せるべき姿は、大人が失敗する姿ですよ」と言いきったんです。
「もし2回目も不合格だとしても、大事なのは、その先です。人生をかけた夢が破れた後に、木山さんがどんな人生を選ぶのか。うまくいかないことをまわりのせいにするのか、諦めずにしつこく立ち上がって一歩ずつ進んでいくのか。後者は、もしかしたら、子どもたちにすごくカッコ悪く映るかもしれないけれど、最後の瞬間まで希望を信じて進み続ける、その後ろ姿こそ子どもたちに見せるべきではないんですか!?」と熱く語ってくれました。
── 多胡さんの言葉を聞いて、木山さんはどう思いましたか?
木山さん:僕はそれまでずっと「一度失敗したら人生が脱落する」と本気で思い込んでいました。1968年生まれのバブル世代で、当時は景気も右肩上がりでイケイケの時代。円高で、出生率も高くて、強い日本の中で育ったからだと思います。
実際のところ、僕の人生は挑戦と失敗の繰り返しで。失敗するたびに自分の人生を否定していました。会社でも勝敗にこだわっていたけれど、課長になった翌年に甲状腺がんになってしまった。「こんな自分が生きていていいのか」と深刻に悩むほど、自分の価値を下げてしまっていました。
だから、多胡さんは僕に「失敗しても人生は続く」と教えてくれたと思っています。たしかに病気がわかったあと奇跡的に命が助かって、夢に向かって最後の挑戦ができました。大切なのは、失敗も自分の体験として許してあげて、次に向かって前向きに生きていくことで、自分の人生を切り開くヒントになる。そうやって生きている大人の姿を子どもに見せるべきだと考えるようになりました。
デビューできたことはすごくうれしかったけれど、デビュー前の失敗から学んだことが、僕にとっては今の人生を生きる力になっています。
── 実際に『歌スタ‼』の2回目で合格した木山さんを見て、お子さんたちはどんな様子でしたか?
木山さん:泣いて喜んでくれました。子どもたちが喜んでくれる姿を見るのがいちばんうれしかったですね。家で何度も何度も練習をしている僕を見て、「どうしても歌いたい」という気持ちを理解してくれていたんだと思います。ただ、あんなにヒットするなんて1ミリも思っていなかった。デビューから17年たった今も歌えるなんて、自分でも驚いています。
…
病いを乗り越え、39歳で奇跡の歌手デビューを遂げた木山さん。とはいえ、4人の子どもを抱えて歌手一本に絞って活動するのは難しく、そこから怒涛の歌手と会社員の両立生活が始まったそうです。
PROFILE 木山裕策さん
きやま・ゆうさく。1968年、大阪府生まれ。2005年に甲状腺ガンの手術を受けて無事に成功。2007年、オーディション番組『歌スタ!!』に出演し、異例の2度目の挑戦で合格。2008年2月、家族をテーマにした楽曲「home」でメジャーデビュー。同年『第59回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。2020年、独立し、以来、作詞作曲も積極的に手掛けるなど活躍の幅を広げる。2024年10月、新アルバム『贈る歌』を発売。著書に『home 家族と歌が僕を守ってくれた』がある。
取材・文/高梨真紀 写真提供/木山裕策