「鈍器で殴られたような衝撃だった」妊活を始めた矢先36歳で早発閉経が発覚「申し訳ない」気持ちで夫に離婚を告げたら
早発閉経の診断を受け、「初めて血の気が引く経験をした」と語る太田可奈さん。当時まだ36歳。「まさか私が?」と、にわかには信じられなかったそうです。(全3回中の1回)
【写真】早発閉経が発覚し申し訳なさから離婚を告げるも「そんなことは考えられない」と言ってくれた旦那さんと(全12枚)
「うちでは無理かも…」と病院からうながされて
── 妊活中、36歳のときに「早発閉経」と診断されました。どういった経緯で判明したのでしょうか?
太田さん:27歳で結婚し、34歳のときに「そろそろ子どもが欲しいね」と夫と話し、妊活を始めました。ITのベンチャー企業で取締役を務めていたので、会社のみんなには「妊活するからよろしくね!」と公言し、仕事を少しずつセーブして夫婦の時間を作りました。最初は、自然に任せていれば妊娠するかと思っていたのですが、一向にその兆候がない。1年くらい経ったころ、近所のレディースクリニックに通い始め、タイミング法にトライすることに。すると、その後すぐに生理が止まったので、「妊娠したかも!」とワクワクしながらクリニックに行ったのですが、妊娠反応はありませんでした。「ホルモンバランスが崩れているのかも」と言われ、子宮や卵巣の検査をしたり、夫の精子も調べたけれど、特に異常なし。だんだん「なんだかおかしいかも…」と思い始め、不妊治療専門のクリニックの門を叩きました。今は医療が発達しているし、よく芸能人が40代で出産したというニュースも目にしていたので、「まだ30代だし、不妊治療をすれば大丈夫でしょ」と思っていたんです。ところが、卵巣の中に卵子がどれくらい残っているかを調べるための血液検査(AMH検査)をしたところ、「閉経しています」と告げられました。
── 不妊かと思っていたら、閉経だった…。さぞかし驚かれたでしょうね。
太田さん:鈍器で頭を殴られたような衝撃でした。頭が真っ白になり、初めて「血の気が引く」という経験をしました。毎年夫婦で人間ドックを受けていて、一度も引っかかったことがなかったので、「まさか私が?まだ30代なんだけど…」と、にわかに信じられませんでした。
── 生理不順や体調の変化など、気になることはあったのでしょうか?
太田さん:いえ、まったく。もともと生理も毎月順調に来ていましたし、とくに体の不調を感じたことはありませんでした。それまで「趣味は仕事」というくらい仕事が好きで、妊活を始める前までは昼夜問わず働いていました。ですが、妊活を始めてからは仕事をセーブしてジムに通って運動したり、食事にも気を配っていたので、むしろ人よりも健康だと思っていたんです。普段から少し動くだけで、汗をかいたりするのも「代謝がいいのは健康な証拠」と思っていたのですが、お医者さんいわく「それは更年期障害の症状のホットフラッシュでしょうね」と。
── まさか、それがホットフラッシュだとは思わないですよね。
太田さん:はい。それまで「早発閉経」というものがあることすら知りませんでした。でも、実は30代で100人に1人の割合で起こるらしく、それほど珍しいことではないらしくて。不安だったのは子どもができるかどうか。先生からは「あなたの体はガス欠状態。卵子は非常に少ないけれど、ゼロではない。ホルモン治療で卵子を誘発して不妊治療をすれば、妊娠する可能性は少ないけれどあります」と言われ、わずかな望みにかけてみようと不妊治療をスタートしました。
毎回、排卵誘発剤の注射をして卵子を育てていくのですが、結局、半年間続けても、卵がひとつも採れなかったんです。そうなると、だんだん病院から「うちでは無理かも…」と卒業をうながされるんです。手術で卵巣を体外に取り出して卵巣内の原始卵胞を体外で成長させ、手術で再び体内に戻すという治療法もあると提案されたのですが、それでも確実に卵子が採取できるか分からないし、体の負担も大きい。結局、夫と話し合って不妊治療を諦めることにしました。
正月に親戚と過ごす勇気がなかった
── 早発閉経が判明したとき、夫に離婚を告げたそうですね。どういう思いがあったのでしょう。
太田さん:「申し訳ない」という気持ちが強かったんです。夫は長男だから、きっと彼の両親も孫の顔を見たいだろうし、まだ若いから再婚して自分の子どもを持つことだってできる。それなら早いほうがいいんじゃないかと思いました。夫に伝えると、「そんなことは考えられない。2人で生きていければ、それでいいから」と言ってくれ、夫婦で泣きながら話し合いましたが、私の気持ちが追いつかなくて。今はそれで納得したとしても、その先はどうなるのだろう。彼はそれで幸せなのかな。本当に後悔しないだろうか。もしも将来「じつは子どもが欲しかった」と言われたら、私は耐えられるだろうか…?ギクシャクしてしまったら苦しいだろうなと、ひとり悶々としていました。
── 太田さんが悪いわけではないものの、負い目を感じてしまわれたのですね。
太田さん:やはり結婚は当人だけの問題ではないので、彼が「いいよ」といくら言ってくれても、それでは気が済まなかったんです。早発閉経が判明したのが年末近く。毎年お正月は、熊本にある夫の実家で過ごすのが恒例でしたが、さすがに一緒に帰る勇気がなくて。ひとりで帰省してもらい、「親子で今後のことを本音で話してほしい」と伝えました。もしもそれで離婚という結論になっても、受け入れる覚悟はできていました。
ところが、実家に戻った夫から、「今からこっちに来れないか?」と電話がかかってきたんです。「両親は『そんなこと全然気にしていないよ。2人で生きていけばいいじゃない』と言っている。だから安心してほしい」と。そこで、意を決して新幹線に飛び乗り、熊本へ。お義母さんが「お帰りなさい」と優しく迎え入れてくれて、思わず泣いてしまいました。
ただ、やはり親戚一同とお正月を過ごす勇気はなく、夫と2人で東京に戻ったら、今度は私の母が駅に迎えに来ていて「こんな体に産んでしまってごめんね…」と謝られ、胸が痛かったです。
── 愛情深いご家族に囲まれていますね。
太田さん:この出来事を経て、初めて彼の両親と「本当の家族になれた」という感じがしました。
──「初めて本当の家族になれた」とは、どういうことでしょう?
太田さん:結婚してずいぶん経つのに、仕事に没頭して子作りをあと回しにしていたことに、ずっと後ろめたさがありました。それなのに、本格的に妊活を始めた矢先、早発閉経が判明。申し訳ない気持ちでいっぱいだったのですが、「2人で生きていけばいいじゃない」と優しく言ってもらえたことで、それまで自分自身が作っていた「壁」が取り払われた感覚があったんです。後ろめたさがなくなったことで、隠し事なくまっさらな気持ちで向き合え、何でも言える関係になりました。そういう意味では、早発閉経の経験が家族の絆を深めてくれました。
── ご自身のSNSで、早発閉経や不妊治療について積極的に発信されていました。そもそも「早発閉経を広く伝えたほうがいい」とうながしたのは、旦那さんだったそうですね。
太田さん:実は当初、早発閉経について明かすかどうか悩んでいました。やはりデリケートなことですし。でも、私たちも初めて知って衝撃でしたし、知らなかったがゆえにそのまま妊活を始めて、時間を無駄にしてしまった。もっと早い段階で検査を受けていれば、何か対策できたかもしれないという後悔がありました。それを知った夫が「それならこの経験を広く伝えた方がいいんじゃないか」と。自分には無関係と思うかもしれないけれど、30代では100人に1人というデータもあり、意外に身近にあることだから、知っていたほうがいいよねと。私と同じ思いをする人が減ってほしいという気持ちから、SNSで発信することにしたんです。
不妊治療とキャリアの両立は、働く女性にとって大きな問題ですよね。ひとりで抱えこんで孤独になって、黙って仕事を辞めてしまう人も少なくありません。でも、「言ってくれれば協力できたのに」ということって意外と多いと思うんです。不妊治療をしていることをもっと気楽に言いやすい世の中にしたいなという思いがあります。私の投稿が、少しでもそのきっかけになるのであれば嬉しいなと思って発信していました。
働く個人だけでなく、会社側にも不妊について相談できる窓口やコミュニティを設けたり、イベントをやるなど、いろいろな方法で働く女性を支えることが大事だと思います。
PROFILE 太田可奈さん
おおた・かな。1982年東京生まれ。広報誌編集長やコンサル企業経営を経て、ITベンチャー取締役に就任。2022年、教育事業に専念するため株式会社まなぶやを設立。学生起業家育成や学習室運営に携わる。東京理科大学などで教鞭を執り、幅広い分野で活動中。
取材・文/西尾英子 写真提供/太田可奈