「同期6人のうち4人はソ連に連行され行方不明に」終戦間際に満州へ 生死を分けた“出会い”【100歳の戦争証言】
イブニングニュースでは、語ることのできる人が少なくなっている戦争証言をお伝えしています。
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今回は、戦争末期に兵士として満州にわたった100歳の男性です。当然の徴兵、生死を分けた出会い。わずか二十歳だった男性は、戦地で何を感じたのでしょうか。
「アメリカの潜水艦にいつやられるか」終戦間際、衛生兵として満州へ
(松田郁夫さん・100)
「手が片っぽなくなったとか、足の下のほうがなくなったとか、そんな人もおったんです」
岡山県赤磐市に住む松田郁夫さん。2月に100歳を迎えました。
脳裏に残るのは、遠く離れた満州。奉天にあった陸軍病院です。兵役義務のため「衛生兵」として軍に入ることを命じられたのは戦争末期。19歳の時でした。
(松田郁夫さん・100)
「『お前らの行くところは満州だ』と聞かされてびっくりした。戦争の末期ですから、アメリカの潜水艦でいつやられるかわからないから、夜は船を動かさない。夜が明けてから朝鮮に渡って」
敗色濃厚となるなか、戦地に赴いた松田さん。前線からは毎日のように重傷を負った兵士が運ばれてきたと言います。
(松田郁夫さん・100)
「だんだん負け戦になってきたと思った。思ったけど、僕ら病院にいる兵隊じゃ状況は分からない」
満州で迎えた終戦 今度はソ連の脅威が
そして迎えた終戦。しかし、満州に残された人々の苦しみは続きました。
(松田郁夫さん・100)
「欲も得もない、とにかく早く日本に帰りたい、満州にいたら、ソ連にロシアに連れて行かれる」
戦後、旧ソ連軍により、約57万5000人もの日本人が強制連行されました。
(松田郁夫さん・100)
「6人同期がいた。4人は(旧ソ連軍に強制連行されて)行方も分からなくなった」
絶望の中で、死も覚悟していた松田さん。ところが予期せぬ幸運が訪れます。手を差し伸べてくれたのは満州で知り合い、古里・東北へと引き上げ間近だった家族でした。
(松田郁夫さん・100)
「軍隊には関係のない格好をして、そこの家族の1人にしてもらって、それでそーっと帰ってきた」
生き延びて日本に帰って
衛生兵に配属されたこと、引き上げ船に紛れ込めたこと。戦争という大きなうねりのなかで死線をわけたのは偶然の数々でした。
(松田郁夫さん・100)
「僕が無事帰ることができたのは、やっぱり父母の霊がちゃんと守ってくれたんだって、そう思ったね」
生きて内地の土を踏み、今年100歳を迎えました。
(松田郁夫さん・100)
「無理難題されたら、やっぱり『なんだ』という気持ちが誰にでも湧くからね、仕方ないなぁ」
ただ戦争を経験した者として伝えたい記憶があります。
(松田郁夫さん・100)
「非常にいろんな苦しみを味わうので、やっぱり戦争というのは、すべきではないと思う」
