三井康浩さんインタビュー 中編

(前編:元巨人スコアラーが明かす名選手たちへの助言と「投手の癖が一番出やすいポイント」>>)

 昨夏の東京五輪で金メダルを獲得した侍ジャパン。同年12月には栗山英樹監督を新指揮官に迎え、2023年3月に開催予定の第5回ワールド・ベースボール・クラシック(以下、WBC)での優勝を目指してスタートを切ることになった。

 長らく巨人のスコアラーとして活躍し、2009年に行なわれた第2回WBCでは侍ジャパンのチーフスコアラーとして2大会連続優勝に貢献した三井康浩氏に、当時のエピソードや短期決戦の難しさについて聞いた。


2009年WBCの決勝、韓国のイム・チャンヨン(左)から決勝タイムリーを放ったイチロー photo by AP/アフロ

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――WBCではさまざまな国と対戦することになりますが、スコアラーはどのように分析をするのでしょうか。

「NPBの方が持ってきた各国の試合映像を1本ずつ確認しながら、地道に分析をしていく作業でした。私がスコアラーを担当した2008〜09年当時は、まだCDやDVDを使っていたので、膨大な量の資料が手元にあって......。資料が届いた時には開幕まで2カ月しかなかったので、正月も返上して、ひたすら試合の映像をチェックしていたことを覚えています」

――初対戦の投手が多かったと思いますが、どのように特徴を見つけていくんですか?

「短期決戦では映像を見ながら大まかな特徴を探っていくのですが、外国人投手は自分が得意にしている球種を多く投げてくることがほとんどなので、分析はそこまで難しくなかったですね。特にリリーフ投手はその傾向が顕著で、8割くらいは自信があるボールを同じコースに投げてくる感じでした。球種が豊富な投手もほとんどいなかったので、基本的には投手が交代したタイミングでその投手の得意な変化球を伝え、『その球種に狙いを定めていこう』というシンプルな指示を出しました」

――2009大会の第1ラウンドの2試合目では、韓国のエース・金廣鉉(キム・グァンヒョン)投手を攻略して14−2で勝利。2008年の北京五輪で苦しめられた投手でしたが、どのように攻略の糸口を見つけたんですか?

「北京五輪で監督を務めていた星野(仙一)さんから、『金廣鉉のストレートに狙いを絞らないと打ち崩せないだろう』というアドバイスをもらっていたのですが、一方で私は、『相手の得意球を狙う』ことも考えていたので、速球をあえて見逃してスライダーを狙うように指示しました。すると、先頭打者のイチローがしっかり打ってくれて、そこから勢いがつきました。

 スライダーを待っているとボールの軌道が見えやすくなるので、ストライクゾーン以外に手を出さなくなる効果もあります。この試合で韓国代表は、『日本は、金廣鉉の球種の癖が全部わかっている』と勝手に勘違いしてくれたみたいで、その後に日本戦の登板を回避してくれたことはラッキーでした(笑)」

――しかしこの大会では、同じ韓国の奉重根(ポン・ジュングン)投手に苦しめられました。

「実は大会前、彼はまったくノーマークで......。正直、あそこまで苦戦を強いられるとは思いませんでした。日本が勝った決勝戦でも、正直に言うと"出たとこ勝負"という状況だったので、『打てる球を見極めていこう。負けてしまったら申し訳ない』と、選手たちの前で謝ってから試合に臨みました。決勝でもなかなか点が取れませんでしたが、決勝の時は疲労もあって選手の調子が少し落ちていましたね」


2009年のWBCでスコアラーを務めた三井氏

――アメリカでの第2ラウンド初戦では、当時から真っ直ぐが160キロを超えていたキューバ代表のアロルディス・チャップマン投手(現ヤンキース)とも対戦しました。今ではMLBを代表するクローザーを、日本は早々に打ち崩して6−0と大勝しました。

「誰も見たことがないような速球だったので、『高めは捨てて、ベルトよりも低めのボールを狙っていこう』と伝えたら、その狙いがハマりました。

 当時20歳だったチャップマンはまだ投球が荒かったですから、『塁に出たら、リードを大きく取って足で揺さぶりをかけていこう』とミーティングで伝えたのも効いたように思います。ただ、試合では小笠原(道大)が牽制でアウトになってしまって......。小笠原は『そういう作戦じゃないですか』と言っていましたが、足を使える選手への指示だったので『お前は大丈夫だったんだけど......』という場面もありました(笑)」

――完全に癖がわかっていた投手はいましたか?

「第1回のWBCでも日本戦で登板した、アメリカ代表のジェイク・ピービー(元パドレス、ホワイトソックスなど)の癖はわかりやすかったですね。2007年にサイ・ヤング賞を獲得した力のある投手なのですが、準決勝のアメリカ戦を迎える前に、ストレート、カーブ、チェンジアップなど、投げる時の癖が全部わかっていました。だいぶ前のことなので細かくは覚えていないのですが......球種によってグローブが体から離れるタイミングが違うといったすごく簡単なものだったので、イチローや城島(健司)もビックリしていましたよ。

 その準決勝は、3回までに先発の松坂(大輔)が2点を失いましたが、ピービーだけでなく多くの投手の癖がわかっていたので、ベンチの雰囲気は和やかでした。結局、ピービー投手の登板はありませんでしたが、気持ちに余裕があったことで、9−4と逆転できたように思います」

――第2回のWBCは、イチロー選手が打撃不振に苦しむ姿も印象的でした。

イチローくらい素晴らしい成績を残している選手に対しては、本来、私たちができることはないんですけどね。ただその大会は、普段のイチローだったらヒットにできているはずのボールに対しても消極的で、振らなくてもいいボールに手を出して凡退している印象がありました。おそらく、打撃の微妙なバランスが狂っていたのではないかと思います」

――イチロー選手は、どのように打撃不振を乗り越えようとしていましたか?

「とにかく、すさまじい練習をこなしていましたよ。全体練習を終えた後でも室内練習場からバットを振る音が聞こえてくるなど、毎日延々とフリーバッティングを続ける姿にも驚かされました。そういったこともあり、韓国との決勝戦の最後に、『野球の神様が、イチローに花を持たせてくれたのかな』と思います」

――2−2の同点で迎えた延長10回表2アウト2、3塁、イチロー選手が決勝打を放った相手は、ヤクルトでプレーしていた林昌勇(イム・チャンヨン)投手でしたね。

「あの場面、イチローが打席に向かう前に『どうします?』と聞いてきたので、私は『ここは、シンカーに狙いを絞ろう』と伝えました。林昌勇はプロ野球の試合で、左打者に対しては勝負球であるシンカーを多投していましたし、あの場面で投げてこないはずがありませんから。

 右のサイドスローだった林昌勇に対しては、右打者の場合はスライダーも視野に入れないといけないのですが、左打者だとある程度はそれを"捨てる"こともできる。それでも打者を抑えてきた素晴らしい投手ですが、イチローであれば対応できると考えました。一塁が空いている状況で勝負してもらえたのも幸いして、見事にシンカーを捉えましたね。それまでの努力も含め、劇的な瞬間を見ることができて感無量でした」

(後編:「パーフェクト」なエース・山本由伸の攻略の糸口とは?>>)