コロナ禍で飲食業はどこも厳しい。リストラされる料理人も多い。そうしたなかで「お菓子YouTuber」として人気を集めるパティシエがいる。石川マサヨシさん(47)は、レシピ動画で多くのファンをつかんだ結果、創業からわずか2カ月半で東京・伊勢丹新宿店の催事にデビューする店を開くまでになった。その成功の軌跡を紹介しよう――。
筆者撮影
「デパートリウボウ」1階に開業したGOLDWELL1号店。一番人気の看板商品は「井戸」を模したキセキノチーズケーキ。沖縄県内でチーズやヨーグルトを製造するパメラ・アンさんのギリシャヨーグルトが使われている=2021年3月 - 筆者撮影

■ユーチューバーから百貨店シェフへ

飲食業界に果たして「コロナ前」は戻ってくるのだろうか。新型コロナウイルス禍による経営環境の悪化を受け、廃業する飲食店が後を絶たない。料理人やパティシエなど手に職をつけたプロの担い手たちは、自らの腕の生かし方、働き方を考える上で大きな転換点を迎えている。

そんな中、コロナ前を上回って、仕事の幅を格段に広げたパティシエがいる。4年前、心臓の病に倒れ、今まで通りには働けない“非常事態”に陥ったが、YouTubeに活動の軸を移した経験が「百貨店出店」への扉を開いた。

洋菓子職人歴28年の石川マサヨシ氏(47)。一流ホテルや個人店、専門店を渡り歩き、現在YouTubeチャンネルの運営のほか、カフェやレストランのデザート開発、経営改善をアドバイスするフリーのパティシエとして活動。沖縄で今年3月開業したチーズ系スイーツ専門店「GOLDWELL(ゴールドウェル)」を運営するキセキノで最高技術責任者を務めている。

筆者撮影
「動画を見て練習するお客さまの方がおいしいお菓子を作ったら、業界の人はこの先どうすんねんって、自分も含めて危機感を突きつけたかった」と語る石川氏=2021年2月、大阪市内のアトリエ - 筆者撮影

■「失敗しない」レシピ動画が人気に

2018年に本格的に始めたYouTubeのレシピ動画チャンネル「パティシエ石川マサヨシ」は、最初の緊急事態宣言が発出される直前の2020年3月を境に登録者が急増、それまでの約4万人から4カ月ほどであっという間に10万人に達した。

注目は、「失敗しないスイーツづくり」を指南する動画だ。いちごショートやスフレチーズ、シュークリーム、モンブランなど定番スイーツを中心に、型の準備からデコレーションまで一つひとつの工程を紹介した60本以上のレシピ動画を掲載している。

素人でもつくりやすいように独自にアレンジしたレシピで、パティシエの卵たちの参考書的存在でもある。無駄のない手元の動きや段取りに見とれつつ、これなら簡単に作れそうだと、視聴者をその気にさせてくれる。

■レシピ動画チャンネルは群雄割拠の状態だが…

登録者数が跳ね上がった当時は感染拡大防止のため、外出自粛が呼びかけられていた最中。自宅で菓子作りを楽しむ機会が増えたことを背景に、スーパーの製菓材料が品薄状態になっていることが報じられていた。石川氏のレシピ動画の1日あたりの再生回数も1万回を超え、質問や感想を寄せる視聴者の投稿が続々と入った。大阪市内にある自宅兼アトリエで細々と続けてきた“YouTuber業”が、にわかに活気づいた。

スイーツづくりをテーマにした動画チャンネルは群雄割拠の状態で、レシピ本が登場するような人気チャンネルも多数存在する。登録者数が現在14万人という石川氏のチャンネルが突出して人気というわけではない。だが店舗を持たず、ネット空間を主な活動拠点にするフリーのパティシエが突如、「グランシェフ」を冠して百貨店出店をかなえたとなれば、話は別だ。

YouTubeのレシピ動画チャンネル「パティシエ石川マサヨシ」

■「心臓を握りつぶされるような痛み」が襲う

フリーの活動の一環としてYouTubeを始めたのは、43歳で狭心症を患ったことがきっかけだった。

神戸のマカロン専門店でシェフパティシエを務めていた17年6月、仕事中の厨房で初めて心臓の発作を起こし救急車で搬送、そのわずか3カ月後にも再び痛みが襲った。

「心臓に手を突っ込まれて握り潰されるような激しい痛み。半年はほぼ寝たきりの状態で、ようやく外出できるようになったのはさらに半年後でした。社長は何年かかってもいいから戻ってきてほしいと言ってくれたけど、手術ができない病状で、もう同じような現場に戻れる体ではなくなってしまった」

凝り性で、好きなことには時間を忘れて打ち込むタイプ。仕込みから調理、次期イベントに向けた商品開発など、毎日が体力勝負の現場に没頭した。根を詰めて働く日々は下積み時代からの習慣になっていた。

■ニューオータニや専門店で実績を積む

高校生のころ、テレビ番組でみた飴細工職人の技に魅せられて、洋菓子職人の道へ進んだ。専門学校を経てホテルニューオータニ大阪、赤坂にも勤務した。初日から、「発言していいのは『はい』か『すみません』の二言だけだ」と言われるような職人気質な世界。華やかなイメージとは正反対に、厳しい修行の日々に追い込まれた。

それでも、8年半のホテル勤務から得ることは多かった。洗い場や仕込みなど基本業務を反復しながら、宴会サービスやラウンジ、ウェディングやレストランなど、さまざまなシーンで求められるデザートづくりをひたすらに習得。その後、製菓学校の講師や、スフレチーズケーキの専門店、老舗コーヒーショップ、マカロン専門店などさまざまな現場でシェフとして経験を積んだ。

「自分の直感が一番正しい」。そう思えるほど、自分なりの仕事の核心をつかみ始めていた矢先に襲った心臓発作だった。1年の休職を経て2018年9月、会社を退職した。

■YouTubeは「お客さんをより身近に感じられた」

「体力が許す範囲でこじんまりとできる個人店でも開こうか」。そう考え始めたとき、ふと2014年に1本だけYouTubeにアップしていたレシピ動画のことを思い出した。4年間で再生回数は15万回に膨らみ、たくさんのコメントや質問が書き込まれていた。

「路面店の規模では出会えるお客さんの数は限定されてしまうけど、ネットなら接点を最大化できるかもしれない」

10代からパソコンやデジカメなどに親しみ、一度はIT業界への就職を考えたこともあった。自宅のアトリエを拠点に、レシピ動画の発信を活動の柱に据えることは自然な流れだった。もともと前に出るタイプの性格ではない。やりようによっては匿名性が保てるネットの世界だが、技術と経験の裏付けを伝え、コンテンツの信頼を得たいと、あえて人物像を表に出すことにも挑戦した。

デジタルの活用を組み合わせたことで、できることの幅は想像以上に広がった。お菓子づくりの経験の浅い人でも簡単に作れるように工程を見直してみたり、手際よくできるように手元の動きや道具の扱いを丁寧に映し出したり。ネットの向こうにいる一人ひとりの心の動きや理解度を想像しながらのコンテンツづくりは、不思議とお客さんをより身近に感じられたという。

■沖縄「デパートリウボウ」から出店の誘いが

フリーの活動を始めて2年。YouTubeのチャンネル登録者の急増から半年ほど経った昨年11月、石川氏の元に、新しいスイーツブランド設立の話が舞い込んだ。決まっていたのは、沖縄で唯一の百貨店「デパートリウボウ内への出店」「3月初旬の開業予定」だけ。名前もロゴもコンセプトも未定だったプロジェクトの看板シェフとして、石川氏に白羽の矢が立った。

コロナ禍による経営悪化の影響を受け、売り場から急遽撤退することになった店舗跡での出店計画。集客の回復が見通せずコロナ禍での新規出店にはリスクが伴う一方、跡地をそのままにしておくわけにもいかない。そこでリウボウが決断したのは、人気店としての実績、前例がなくともネットと掛け合わせた発信力で売り場全体を牽引する新たなスイーツブランドを発掘し、ブランド側と協働で展開するビジネスモデルだった。

■「もう一度マウンドに立ってみないか」

「GOLDWELL」を運営するキセキノ会長として石川氏と百貨店の挑戦を支えた金井孟氏(58)は、「ケーキの見た目も味も一発採用。石川くんの人柄も好感がもてた」と振り返る。東京や名古屋、沖縄などで8社の企業経営に携わり、過去には二度の上場経験も持つ。石川氏とは19年11月、事業再生を支援する神戸の老舗洋菓子店の商品開発企画を通して知り合った。

筆者撮影
開業に向け新聞社のインタビューに応える石川マサヨシ氏(右)と、新事業への投資を決めた金井孟氏=2021年2月、那覇市・沖縄タイムス - 筆者撮影

「これまでやってきた延長線や価値観では成り立たなくなった今だからこそ、百貨店出店のきっかけをつかめた。百貨店がIT化しなければ生き残れないと言われた中で、リアルとネットに通じた石川くんとおもしろいことができれば、業態自体の変革に一石を投じることができるかもしれない」。金井氏はこう考えた。

注目したのは、石川氏の豊富な実務経験の「基礎体力」に、動画コンテンツの編集・配信という「跳躍力」を掛け合わせた、石川氏本人の拡張性ある個性の魅力だった。

「いつまでもブルペンで投げてないでもう一度、リアルのマウンドに立って生きた証しを残さないか」。金井氏の口説き文句に、「胸をつかれた思いがした」と石川氏はいう。

■YouTubeの経験がここで生きた

百貨店の売り場を「メディア」としてとらえ、ネット空間とリアル店舗の相互で顧客との接点を掘り起こし、その反応を商品開発やイベント企画のアイデアに転換していく。この計画に、石川氏はふたつ返事で応じた。久しぶりの登板に、腕が鳴った。レシピ動画の反応に接していたため、どんなケーキが喜ばれるか、お客がどんな味を欲しているか、すぐに候補が浮かんだという。

金井氏が開業に投じた資金は約3000万円。20年12月にキセキノを設立、コンセプト作りやロゴ、売り場のデザイン設計、包材発注、採用など突貫の中の突貫で推し進め、今年3月5日、デパートリウボウ一階に「GOLDWELL kisekinosweets(ゴールドウェル・キセキノスウィーツ)」がオープンした。

■業界では“常識はずれの”働き方

売り場の背後にキッチンを併設した9坪のスペース。大阪に住む石川氏は沖縄の店舗に赴きつつ、オンライン会議を通して遠隔指導するという、業界ではユニークな“出勤”を続けている。Zoomなどを通じて沖縄のメンバーとつながり、製造工程、厨房運営の全体を指揮するほか、動画コンテンツも制作している。

看板商品はキセキノチーズケーキ(3780円、税込)。県内で感染が急拡大するまでは連日のように目当ての客が行列を作った。ゴディバやアンテノールなどの“常連”がいるにもかかわらず、5月の売り上げはフロア全体で2位につけ、着実に知名度を上げている。

キセキノチーズケーキ(写真=GOLDWELL kisekinosweets公式サイトより)

石川氏のグランドデザインを基に、沖縄の製造現場で舵取りを担うのは、石垣島出身のパティシエ、大工(だいく)真理枝氏(38)。大阪市内の人気ケーキ店の製造や、チョコレート専門店での販売経験を経て、帰郷のタイミングで新店舗の採用に巡り合った。

実は、入社前から石川氏のレシピ動画のヘビーユーザー。「できる限りの難しい工程を省き、これ以上簡単なレシピはないと思うほどの内容で、本当に驚いた」。伝統的な菓子づくりの緻密さを知るからこそ、「伝える」「学ぶ」の両方の側面から、石川氏のレシピ動画の「すごさ」を実感するという。

その石川氏が現場に託した、商品レシピと生産オペレーションのシンプルさもまた、“常識はずれ”なものだった。製造は当日の受注、販売分のみで、数日かかるような仕込みや複雑な工程がない。定時帰宅、連続休暇もかなえられた。

前職で心身ともに疲弊し、現場から遠ざかったこともあるが、「ここなら、好きな仕事を続けられそう」。従来のパティシエ像を、自らの働き方で塗り替えようとしている。

大阪の石川シェフと沖縄の厨房をZoomでつないで新商品の試作をするパティシエの大工真理枝さん=6月9日、那覇市久茂地・GOLDWELL

■異例の速さで伊勢丹に初登場

GOLDWELLは5月19日から1週間、開業から2カ月半という速さで東京・伊勢丹新宿店の催事に初登場した。緊急事態宣言で百貨店が営業範囲のさらなる縮小を余儀なくされたタイミング。10店舗の中で唯一、1日の売り上げが40万円に達し、全期間の合計販売額でもトップになった。1位の結果は次のステージの呼び水になる。7月以降、年内だけですでに東京、大阪、名古屋の3つの百貨店で催事出店を予定している。

平行して、大阪の石川氏のアトリエでは、新商品の試作が続く。少しでも無理をすると、体調を崩してしまう状況に変わりはない。だが、制約がある中においても、やりがいと得られる反響の大きさは「今までにない感覚」だと石川氏は言う。

同社は2年後に売上高10億円、営業利益1億円を目指す。不測の時代に、手に職つけたプロフェッショナルが活躍できる一つの先例となるか。基礎となる「職人技」を体得しつつ、働き方の変化に耐えうるテクノロジストを育てることもまた、石川シェフの「最重要ミッション」となりそうだ。

----------
座安 あきの(ざやす・あきの)
Polestar Communications取締役社長
1978年、沖縄県生まれ。2006年沖縄タイムス社入社。編集局政経部経済班、社会部などを担当。09年から1年間、朝日新聞福岡本部・経済部出向。16年からくらし班で保育や学童、労働、障がい者雇用問題などを追った企画を多数。連載「『働く』を考える」が「貧困ジャーナリズム大賞2017」特別賞を受賞。2020年4月からPolestar Okinawa Gateway取締役広報戦略支援室長として洋菓子メーカーやIT企業などの広報支援、経済リポートなどを執筆。同10月から現職兼務。
----------

(Polestar Communications取締役社長 座安 あきの)