30年前、平成元年の日本には「時価総額世界トップ10」のうち7社があった。だが平成30年にはトップ10はゼロ、トップ50にトヨタ自動車が入るだけになった。日本企業には何が足りないのか。中西宏明経団連会長との共著『社長の条件』(文藝春秋)で令和のリーダー像を示した経営共創基盤CEOの冨山和彦氏に聞いた――。

■同じ土俵でメッシやロナウドに勝てるわけがない

撮影=西田香織
経営共創基盤CEOの冨山和彦氏 - 撮影=西田香織

平成30年間の後れを取り戻す。

日本の経営者に本気で頑張ってほしいのはまずそのことです。平成の経営者は大多数が何も手を打たずにきました。令和の新時代を迎えたのですから、もういい加減、何とかしなくてはいけません。

ビジネスの世界では、30年前に地球規模の“ゲームチェンジ”が起こりました。スポーツでいえば、昨日までは野球で戦っていたのに、今日からサッカーになるようなものです。

いきなりサッカーが始まって、日本企業はどうしたか。優秀な野球選手たちにサッカーをやらせました。世界トップクラスの野球選手は、輝かしい業績があるから簡単にクビを切れません。

たとえばジャイアンツの阿部慎之助を呼んできて、「野球では観客が呼べなくなった。世界はこれからサッカーの時代だ。わがチームは仲間を大切にするからクビは切らない。みんな運動神経もいいし、練習熱心だからサッカーで頑張ろう」とサッカーの練習を始めたようなものです。ところが、W杯でグラウンドに出てみると、相手チームにはメッシやロナウドがいる。いくら阿部慎之助でも、サッカーで彼らには勝てません。

日本企業が30年前に直面したゲームチェンジはそういうものでした。

■平成30年間の“負け”は、もう言い訳できない

撮影=西田香織

30年前の日本は“世界に冠たる”と形容される企業がいくつもありました。平成元年(1989年)の「世界時価総額ランキング」で、日本企業はトップ10に7社、トップ50に32社がランクインしています。それが平成30年には、トップ10に日本企業はゼロ、トップ50にやっとトヨタ自動車が入っているだけ。時価総額が低いのは、日本企業がそれだけ儲けていない証拠です。

総収益のランキング「フォーチュン・グローバル500(Fortune Global 500)」では、90年代前半に日本企業は150社前後。それが現在は、50社前後と3分の1です。

当時は「米国流の経営は、短期利益主義だからいずれ滅びる」といわれ、日本の経営者は自信満々でした。30年後の時価総額で、米国企業が世界トップ10の半数以上を占めるとは想像もできなかったのです。

90年代のフォーチュン500では、米国企業は日本と同じ150社ほどランクインしていました。現在も130社ほどいます。米国流のほうが長期的に成長していたのです。

一方で「日本の国際競争力が低いのは円高、高い法人税率、電力不足などの“六重苦”が原因」という見方もあります。しかし30年も負けが込んでくると、その言い訳も通用しないでしょう。環境に対応できなかった経営に問題があったと認めざるを得ません。その根本原因を理解することが“平成30年間の後れ”を取り戻す第一歩です。

■ゲームチェンジは強みを弱みにする

かつて日本企業が世界を席巻できたのは、みごとなほど工業化社会のゲームに適応したからです。日本経済を牽引したのは、世界トップクラスのものづくりでした。開発部門が製品の機能を高め、製造部門は高品質の製品を効率よく大量生産したのです。それは、改良と改善を重ねていく技術革新の成果でした。

この改良的イノベーションは、会社組織にも連続性があるほど強くなります。過去の成功と失敗が活きるゲームなので、お互いの知識、経験、思考が近いほど話は進みやすい。つまり、組織の同質性が強みでした。一括採用、終身雇用、年功序列、企業内組合といったクローズドな組織ほど有機的な結束は強く、そこで勝ち残った人が経営陣となり、トップに立ったのです。

ゲームチェンジが起こったのは90年代前半、日本が平成に入った頃です。2つの大波がほぼ同時に押し寄せてきました。

1つは、グローバル社会です。約40年つづいた米ソ冷戦が終結し、国際的な交通や通信が整備されてヒト、モノ、カネ、情報が国境を越えて動き出します。その結果、国際分業などの経済活動が飛躍的に進展しました。

もう1つの大波はデジタル革命です。コンピュータやインターネットの利用が急速に進み、世界はIT社会に突入しました。この大波にエレクトロニクス分野などは瞬く間に飲み込まれ、従来のビジネスは跡形もなく一掃されました。たとえば、日本が得意とした垂直統合型のテレビ事業は、いまや地球上に存在しません。その後は自動車、重電、医療、サービスまで大きく変容しています。このグローバル化とデジタル化は、過去の環境とは連続性がない“破壊的イノベーション”でした。

■大波が見えてから変わっても逃げ遅れる

撮影=西田香織

それ以前の環境変化は、野球でいえば新しい戦術が開発されたとか、ルールが改定されたとか、その程度でした。ところが、90年代に始まったのはサッカーですから、野球チームのまま戦っても勝ち目はありません。

日本企業のなかにも、2つの大波を察知して警告を発した人はいたはずです。たとえば、グローバル市場で戦っていた人たちには予兆が見えたでしょう。しかし社内で「従来のビジネスモデルが通用しなくなる」と訴えても、実際に大波を見ないうちは誰も信じません。連続性、同質性が変革を妨げたのです。

30年前に必要だったのは、経営トップが「これからはサッカーだ」と即断し、自社をサッカーチームに切り替えることでした。ビジネスモデルを転換する。工場を手放してファブレス化する。過去の収益事業を売却する。そのうえで社外からサッカー選手を集めて、社内構造を一気に変革することでした。

連続性、同質性の組織では、そんな織田信長タイプの経営者はなかなか育ちません。よっぽど切れ者でも、異端児扱いされて常務どまりです。

この傾向は、現在もほとんど変化していません。先見性や実行力よりも、「あの人がトップなら会社全体の収まりがいい」という尺度でトップ人事が決まりがちです。しかも、穏健タイプの経営者ほど、もっと穏健な人を次期社長に指名します。負けつづけても、この連鎖は断ち切れないのです。

■経営危機が連続性、同質性を断ち切る

もちろん、すべての企業が連続性、同質性に陥っているわけではありません。本物の経営危機に直面した企業が抜け出す過程で改革が進んだことがあります。

たとえば、坂根正弘さんが社長を務めた頃のコマツがそうです。2001年の社長就任時、同社の赤字は過去最大の800億円に達していました。それが坂根さんの大胆な構造改革によって、2年後に約330億円の営業黒字が出るまで回復します。

坂根さんは米「ハーバード・ビジネス・レビュー」誌のCEOランキングで、日本人でトップの17位に選出されたこともあります。最大の特徴は、人並み外れた割り切りのよさです。たとえば会計、調達、製造などを管理するERP(基幹システム)を導入する際、安価なパッケージを選び、まったく改変しないで社内の業務をERPに合わせました。社内システムにコストをかけても、建設機械を買ってくれるお客さんが増えるわけではないからです。

その一方で、競争領域では積極的に投資しました。建設機械にGPSを搭載した「KOMTRAX(コムトラックス)」です。建機の場所、稼働状況、燃料残量などがわかるという他社との差別化では、デジタル革命の波に乗ったのです。

坂根さんは平成を代表する名経営者のひとりですが、その坂根さんをトップに選んだ先代、先々代の経営陣も先見性に優れていたといえるでしょう。

コマツはかつて経営危機に陥ったことがあります。戦後に外資規制が緩和された最初の業界が建設機械で、1960年代に米キャタピラーの製品が入ってきて大打撃を受けました。このときに「政府は守ってくれない。自力で生き残っていかなくてはいけない」という企業風土ができたそうです。経営危機を乗り越え進化した企業は連続性、同質性にとらわれないという好例です。

■大企業の社長がダメな理由

大企業の連続性、同質性を断ち切るにはガバナンス改革が必須です。なかでもトップ人事の見直しは避けて通れません。

中西宏明、冨山和彦(著)『社長の条件』(文藝春秋)

大企業の社長といえば、新卒一括採用で就職し、そのまま終身雇用、年功序列のなかで育った60歳以上の男性が典型です。社内外に敵をつくらない調整タイプが多数を占めてきました。

トップ候補にそういう典型タイプがいるのは構いません。問題は、ほかのタイプが選択肢にないことです。

女性、40代以下、外国人が大企業の社長になることはほとんどありません。転職してきた人、海外経験が豊富な人も、社内政治に弱いので少数派です。

本来は、破壊的イノベーションが起きた30年前から社長候補のダイバーシティに取り組むべきでした。現場の業務は連続性、同質性が高いほうが効率的な場合も少なくありません。しかしマネジメント層は、新しい大波がいつ襲ってきても対応できるように、幅広い多様な選択肢を準備しておくことが必要です。

■闘争心を絶やさず、乱世を駆け抜けろ

経団連といえば、先ほど挙げた社長の典型モデルが集まっている組織です。その経団連が、いまやガバナンス改革に取り組み、30年の後れを取り戻そうとしています。

この改革に強い意欲を示している中西宏明会長は、日立製作所が7873億円もの赤字を計上した2009年に子会社から呼び戻されて社長に就任しました。そこからV字回復を達成したのは、コマツの坂根さんに通じます。

中西会長は2019年5月にリンパ腫で病気療養に入り、経団連の仕事をいったん離れたものの、会長代理を置かないまま3カ月半で復帰しました。中西会長のような経営者は、おそらくピンチに陥るとアドレナリンが出るのでしょう。「絶対に病気を治す」という闘争心は凄まじいものがありました。

グローバル市場が30年前の状況に戻ることはまずありません。令和のリーダー像は、乱世を好むタイプが有力であり、ほかにも多様なタイプを選択肢として準備しておくことが重要なのです。

撮影=西田香織

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冨山 和彦(とやま・かずひこ)
経営共創基盤CEO
1960年生まれ。東京大学法学部卒、在学中に司法試験合格。スタンフォード大学でMBA取得。2003年から4年間、産業再生機構COOとして三井鉱山やカネボウなどの再生に取り組む。07年に経営共創基盤を設立し現職。パナソニック社外取締役、東京電力ホールディングス社外取締役。
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(経営共創基盤CEO 冨山 和彦 構成=Top Communication)