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ジャガーXJ6(1971年)

フロントガラスに書かれたメモによると、この1971年式ジャガーXJ6の4.2L(258立方インチ)直列6気筒エンジンは、シボレーのスモールブロックエンジンに交換されているようだ。こちらはシリーズ1の車両であり、1968年から1973年にかけて英国で生産された9万8227台のうちの1台で、同ジャンクヤードではレストア用のプロジェクトカーとして販売されていた。このヤードで見かけた7台のジャガーのうちの1台である。デザート・バレー・オート・パーツの車両だ。

【画像】地味だが人気のあった英国製セダン&コンバーチブル【トライアンフ・ヘラルドを詳しく見る】 全35枚


ジャガーXJ6(1971年)

トライアンフ・スピットファイア(1965年)

トライアンフ・スピットファイア(1962〜1980年)は生産台数ではMG MGBに及ばなかったが、それでも合計31万4000台が生産されるなど、堅調な売れ行きを見せた。計5世代にわたって生産され、この1965年式の部品取り車は2代目にあたる。2代目は1965年から1967年にかけて生産されたが、 販売台数はわずか3万7409台にとどまった。

67psのエンジンを搭載し、0-97km/h加速タイムは約15秒と、そのスポーティな外観に見合う性能はなかった。この車両もデザート・バレー・オート・パーツで見つけた。


トライアンフ・スピットファイア(1965年)

ジャガーXJS(1987年)

ジャガーから公式にXJ-Sのコンバーチブルが発売されたのは1988年であり、デザート・バレー・オート・パーツによれば本車両は1987年式とのことなので、オハイオ州のコーチビルダー、ヘス&アイゼンハルト社によって改造された推定2100台のうちの1台であると考えられる。20年間の生産期間中、11万5413台のXJ-S(後にXJSに名称変更)が出荷された。この素晴らしい1台は、残念ながら部品取りにされる予定だが、5.3L V12エンジンを搭載している。


ジャガーXJS(1987年)

キャデラック・アランテ(1992年)

ジャガーにはXJ-S、メルセデス・ベンツにはSLがあったが、キャデラックには憧れの的となるような高級ロードスターがなかった。1980年代、同社はこれに対処すべきだと判断し、ピニンファリーナがデザインしたアランテを導入する。デザインだけでなく生産もイタリアで行われ、ボディはトリノからデトロイトへ空輸されていた。

この複雑な生産方式のため、価格は目が飛び出るほど高額となり、販売はさほど好調ではなかった。実際、7年間(1987年から1993年)の生産期間中に販売されたのはわずか2万1000台に過ぎない。この1台は1991年に生産された個体で、同年に販売された1931台のうちの1台だ。こちらもデザート・バレー・オート・パーツにある。


キャデラック・アランテ(1992年)

オペル・カデット(1969年)

1965年から1973年にかけてGMによって生産されたオペル・カデットBは、このクーペを含め、さまざまなボディスタイルが展開された。国産サブコンパクトカーが不足していた当時、増加する日本車や欧州車と競合することを目的に、ビュイックの販売店を通じて販売された。販売実績はまずまずで、1966年から1972年の間に43万台を売り上げた。この車両もデザート・バレー・オート・パーツのものだ。


オペル・カデット(1969年)

フォード・コルティナ

1967年から1970年にかけて、英国で設計・生産された2代目フォード・コルティナが約6万台、米国市場に送り出された。1971年に米国生産のフォード・ピントが発売されたことで事実上廃止され、大西洋を渡った最後の英国製フォードとなった。

この4ドア・セダンはコルティナ1600 GTで、1.6L直列4気筒エンジンを搭載していた。最高出力は92psで、最高速度は150km/hに達する。この車両もデザート・バレー・オート・パーツにある。


フォード・コルティナ

アウディ・フォックス(1974年)

米国やオーストラリア市場では『フォックス』として知られているが、その他の地域では『80』と呼ばれた。フォルクスワーゲン傘下で開発された初期のアウディの1つであり、パサートをベースにしている。世界中で110万台以上が販売され、その約10%が米国に輸出された。この1974年式の個体は、同年に販売された2万6453台のうちの1台である。この車両もデザート・バレー・オート・パーツにある。


アウディ・フォックス(1974年)

メルセデス・ベンツ220S(1964年)

この魅力的な1964年式220Sを含め、敷地内にはさまざまな年代のメルセデス・ベンツが20台以上あった。車体の腐食はほとんどなく、左前フェンダーに軽い衝突による損傷がある程度だ。再び走らせるのに莫大な費用はかからなさそうだが、残念ながらレストアは実現しないだろう。このヤードでは部品取り車として扱われることになったからだ。この車両もデザート・バレー・オート・パーツにある。


メルセデス・ベンツ220S(1964年)

メルセデス・ベンツ190(1958年)

こちらは希少なベンツで、徐々に部品が取り外されつつある。1958年式メルセデス・ベンツ190(W121)、通称「ポントン」セダンと思われる。生産台数は17万2000台。1.9L 4気筒エンジンを搭載し、最高出力は75ps。この車両もデザート・バレー・オート・パーツにある。


メルセデス・ベンツ190(1958年)

フィアット(1972年)

初期のフィアット850スパイダーは843ccエンジンを搭載し、0-97km/h加速は18.2秒と、当時市場に出回っていたスポーツカーの中でも最も遅い部類に入る。1970年、903ccエンジンが導入されると、車名は『スポルトスパイダー』に変更された。これにより0-97km/h加速タイムは2.5秒短縮され、最高速度は138km/hから146km/hに向上した。

しかし、性能面で不足していた分は、そのルックスで十二分に補っていた。デザート・バレー・オート・パーツには、ほぼ同一の1972年式スポルトスパイダーが2台あった。


フィアット(1972年)

ジャガーXJ40(1988年)

1986年から1994年にかけて生産されたジャガー XJ40は、デザイン面において、革新というよりはむしろ進化的なものだった。これはジャガーが、従来の顧客層への販売に悪影響を及ぼすリスクを冒したくないという意図的な判断によるものだった。しかし、シリーズ3に比べて空力性能は大幅に向上しており、燃費もわずかに改善されている。

初期モデルは製造品質の問題に悩まされたものの、販売は好調で、累計20万8733台を売り上げた。この1988年式のように、米国向けモデルには3.6Lエンジンが搭載されており、1990年になると4.0Lエンジンが登場した。この1台は取材時、デザート・バレー・オート・パーツでレストア用のプロジェクトカーとして販売されていた。


ジャガーXJ40(1988年)

フォード・コンサル

この英国製フォード・コンサルのフロントガラスには1959年と記されているが、この初代モデルは1951年から1956年までしか生産されていない。総生産台数は22万7732台で、その相当数が米国へ輸出された。米国基準では燃費が良かったが、1.5Lエンジンの欠点は、0-97km/hに達するまでに28秒かかったことだ。この個体もデザート・バレー・オートパーツにある。


フォード・コンサル

トライアンフ・ヘラルド(1962年)

この1962年式トライアンフ・ヘラルドのコンバーチブルには、まだ良質なパーツが数多く残っている。

1959年から1971年に英国で生産されたヘラルドは、イタリア人デザイナーのジョヴァンニ・ミケロッティ氏によってデザインされたモデルだ。その角ばった外観は万人受けするものではなかったが、国内市場ではそこそこ売れた。米国では約2万4000台が販売され、その大半がコンバーチブルだった。この車両もデザート・バレー・オート・パーツにある。


トライアンフ・ヘラルド(1962年)

フォルクスワーゲン・バス(1978年)

コレクターズアイテムとして非常に価値が高いにもかかわらず、全米各地のジャンクヤードには依然として何千台ものフォルクスワーゲン・トランスポーターT2が眠っている。デザート・バレー・オート・パーツは、この錆のない1978年式バスを部品取り車として扱っており、実際、車体にはまだ多くの部品が残っている。ここで紹介する他の珍しい部品取り車とは異なり、この個体は間違いなく徹底的に解体されることになるだろう。


フォルクスワーゲン・バス(1978年)

メルクール・スコーピオ

この記事の前半では、フォードの失敗ブランドであるメルクールのXR4Tiを紹介したが、こちらは2車種しかなかったラインナップのうち特に売れ行きが悪かったスコーピオだ。ドイツ製フォード・グラナダのバッジエンジニアリング車である。クルマとしてはまともだったにもかかわらず、リンカーン・マーキュリーのショールームでこれに2万6000ドルを支払う覚悟ができたのはわずか2万2010人だけだった。この個体はジョージア州オーバーンのコリンズ・オート・サルベージにあったものだ。

(翻訳者注釈:この記事は「4」へ続きます。)


メルクール・スコーピオ