炎鵬「ケガをする前の自分を超える」首の重傷、寝たきり生活を経て、3年ぶりに十両として夏場所に登場

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幕内経験者として史上初の快挙!

誰もがこの日を待ち望んでいた。

元幕内・炎鵬(友哉、31)が″表舞台″から姿を消して、約3年。

5月10日、大相撲夏場所初日の十両土俵入りでは、地元・石川県金沢市の後援者から贈られた人気スナック菓子『ビーバー』の化粧まわしをつけた炎鵬が、元気な姿を見せた。

「炎鵬〜、おかえりなさい!」

両国国技館(東京・墨田区)内の桟敷に、ファンの横断幕が翻る。

167cm、100kgに満たなかった炎鵬が、横綱・白鵬に憧れて大相撲の門を叩いたのは、金沢学院大学を卒業した’17年春のこと。小柄な身体ながら、持ち前の運動神経を生かした相撲で、一躍、人気者に。兄弟子の石浦(現・間垣(まがき)親方)と、白鵬の横綱土俵入りを務めたこともあった。

ところが’23年夏場所、関取でキャリアを積む炎鵬に悲劇が襲う。軽量ながら、真っ向から当たる相撲を取るため、知らず知らずのうちに、首に多大な負担をかけていたのだ。炎鵬が当時を振り返る(以下、ことわりのないコメントは本人)。

「頸椎(けいつい)損傷だなんて……。自分の知識不足でした。手足が動かなくなり、寝たきりの生活になってしまいました」

何をやっているんだろう……。2週間におよぶ入院で、病室の天井を見つめる日々が続いた。

「退院後も、指を動かす地道なリハビリ生活です。歩くことすらままならない中で自宅で飼っていた愛犬にエサも与えられず、実家に預けることとなりました」

ついには、″ドクターストップ″もかかった。

「もう、相撲は辞めたほうがいいですよ」

手術をすれば、日常生活は可能かもしれない。けれども後遺症が残る危険があり、あくまで「相撲」の世界に戻ることが目標だったため頑(かたく)なに手術を拒んだ。

「ここで辞めたら″ただの人″です。『ケガして良かったと思えるようになる!』という一心で歯を食いしばりました」

「今までのことは、今までのこと」

’24年夏場所まで休場を続けるうちに、番付は十両から序ノ口まで下がった。宮城野部屋の閉鎖にともない、移籍した伊勢ヶ濱部屋では、ただの「若い衆」。掃除などの雑用も、こなさなければならない。

「そんな時に救われたのが『米』でした。少年時代から白米を食べることが苦手で太れなかったのですが、知人から良い炊飯器をプレゼントされたことで、米の旨さと奥深さを知ったんです」

気がつくと少しずつ腹が出て、力士らしい身体になっていた。首の筋肉を鍛え直し、体力も気力も回復する。

’24年7月場所で土俵復帰。しかし、序ノ口からの再スタートは予想以上に厳しいものだった。なんとか幕下まで番付を上げたものの、一進一退の成績が続く。

そして、今年初場所、大きなチャンスがやってきた。

幕下11枚目で6連勝。相撲協会の規定では幕下15枚目以内で全勝した場合、十両昇進の可能性が生まれる。6連勝同士、13日目に組まれた延原戦は、幕内力士の優勝決定戦のような大騒ぎになった。

ところが、6番相撲で足を痛めていた炎鵬は、敗戦。十両昇進はならなかった。花道を引き揚げてきた炎鵬は40人近い報道陣に囲まれた。

「あの……」

と言ったきり、言葉が続かない。

目にはうっすらと涙が浮かんでいる。この一番に懸けていた、炎鵬の悔しさがにじみ出る。

それから2ヵ月――。

春場所で幕下4枚目に番付を上げた炎鵬が、ついに快挙を成し遂げる。5勝2敗という成績を挙げ、史上初の序ノ口からの再十両が決定したのだ。

「『炎鵬』という四股名(しこな)は、前の宮城野親方(白鵬)が付けてくれたものです。『いつも心を燃やしていけ!』と、勇気づけてくださいました。そして、最近、知人から、『炎鵬』には『不死鳥』という意味があるとも聞かされまして……」

夏場所初日は、持ち前の低く、鋭く相手を攻める相撲で、久しぶりに関取での勝利を飾った。

「今までのことは、今までのこと。新しく生まれ変わった『炎鵬』を見てほしいです。ケガをする前の自分を超えます」

新調した藤色の締め込みは、同じく小兵で活躍した舞の海さん(現・解説者)を意識したもの。

「フェニックス」炎鵬の15日間に注目だ。

『FRIDAY』2026年5月29日号より

取材・文:武田葉月(ノンフィクションライター)