【もへじ】新宿の超一等地にある空中住宅街「富久クロス」はなぜ生まれた?「日本最悪のバブル遺産」が生んだ奇跡の再開発

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丸ノ内線の新宿御苑駅から歩いてわずか5分の場所に、セブンイレブンの屋上が住宅街になっているという前代未聞の再開発「富久クロス」が存在する。住宅の真下にスーパーとコンビニがあるだけでも十分便利だが、医療モールも完備。広い公園に保育園まで揃い、外に出る必要がほとんどない、すべてが街の中で完結する都市を実現している。

だが、ここはかつてバブル崩壊と激しい地上げによってゴーストタウンと化し、国土庁長官も言葉を失うほど荒廃した、いわば「日本最悪のバブル遺産」だった。

それでも1990年、住民たちは自ら「地権者を守る会」を立ち上げ、区役所や銀行に門前払いされながらも再開発の実現に向けて動き出す。後編では、意外な組織の助け船をきっかけに、日本初の住民主体の再開発が動き出す経緯を追う。

中編記事『7割が無人の家屋、住民は数億円の借金…新宿の一等地をゴーストタウンに変えた「日本史上最悪の地上げ」の実態』より続く。

▲後年、各紙でも「その後」についての特集が組まれた(東京新聞 バブルの爪痕 新宿・西富久 住民主導で再開発 2013/4/22 P28)

地上げ前の暮らしを取り戻す

「西富久に残った120名の意見を叶え、多額の負債をはじめそれぞれが抱える問題をすべて解決した、理想の街を再開発で実現しよう」

西富久の再開発計画は、前代未聞どころか実現不可能とも言えるこの方針のもとで動き出した。

この理念に共感し、不可能と言われた再開発を成功へと導いたのが早稲田大学理工学部の研究員チームだ。なかでも増田由子(よしこ)研究員は地元住民のひとりひとりの声に耳を傾け、その願いを一つずつ計画に組み込んでいった。

通常の再開発といえば、1〜3階をショッピングモールにして上層階にタワーマンションや超高層オフィスビルを建てるというパターンが一般的だ。しかしそうした建物は、体の不自由な高齢者にとって外に出るまでの動線が長すぎるなど問題も多い。西富久の住民の大半を占める高齢者が望んだのは、タワーマンションではなく戸建て住宅、そして立ち話ができる路地……つまり地上げ前の暮らしの復活だった。

早稲田大学理工学部研究員チームと自治会は、何度も再開発の模型を作り直しながら、実現可能な方法を模索していった。

しかし現実は非情だった。新宿区役所に相談に行くと、自らは何も動こうとしないにもかかわらず「大学が手に負えるような場所ではない。10年かかっても無理だ」と門前払いにされたのだ。当時の新宿区議会議事録を読むと、区役所は西富久をほぼ見捨てており、地域の情報をテレビや新聞で把握するという有様だったことが記録されている。それだけではない。増田研究員に対して「気をつけて帰った方がいい」と脅しめいた言葉をかけたり、車のオイルを抜くという脅迫行為まで起きたというのだ。

国土庁長官の視察と早稲田大学の協力

それでも町内会や増田研究員を中心とした早稲田大学が踏ん張れたのは、国・政府の積極的な支援があったからだ。

1995年5月、本来もっとも動くべき新宿区役所や東京都庁が背を向ける中、全国のインフラ計画などを担う旧国土庁の長官が西富久を視察に訪れた。自治会長から荒れ果てた現状の説明を受けた長官は言葉を失い、自ら先陣を切って西富久の再興を後押しすることを誓った。早稲田大学と連携して再開発計画が具体化したのは、その3か月後のことである。

▲富久クロスの再開発計画案/近代建築 68巻3号 2014年3月 近代建築社 西富久地区第一種市街地再開発事業 Tomihisa Cross : 2015年9月竣工予定 東京都新宿区 (特集+ 集合住宅による都市再構築2014)より引用

支援したのは国土庁だけではなかった。旧建設省は、幹線道路の建設や区画整理に使われる法律を、地上げで荒廃した街にも適用できるよう改正した。この法律を活用すれば大胆な再開発が進めやすくなるうえ、税制の優遇も受けられる。

街をいったん更地にして資産価値の高い魅力的な街を造り、その利益で銀行に差し押さえられた土地の代金を返済するという構想が、現実味を帯びてきた。

さらに都市基盤整備公団(現・UR)も全面協力に乗り出した。

というのも、新たな街づくりを進める最中、突然外資系企業が西富久の土地を買い始めたのだ。せっかくの計画が水の泡になりかねないと危機感を抱いた増田研究員は、私費を投じて西富久の権利関係を詳細にまとめた資料を作成し、公団に協力を要請した。新規事業を模索していた公団はこれを快諾。1998年から差し押さえられた土地や建物の買い取りを進め、さらに靖国通りと外苑西通り(環状4号)が交差する三菱重工の土地も取得するなど、再開発の付加価値を高めていった。

スーパーの上に戸建て住宅街が生まれた経緯

そして2002年、当時の小泉純一郎政権は西富久のような早急な再開発が必要な地域を後押しする法律を制定した。都市再生特別措置法に基づく「都市再生緊急整備地域」の指定制度だ。

日本では建物を建てる際、建ぺい率や容積率といったさまざまな規制がある。大規模なインフラ工事には環境アセスメントも義務付けられている。これは既存住民や動植物への影響を防ぐための重要な規制ではあるが、東京・大阪といった大都市や新幹線が止まるような主要駅前の市街地では開発の足かせになっていた。

特に、膨大な不良債権を一気に処理しながらギリギリの採算ラインで計画を練り上げていた西富久の再開発にとって、これらの規制は大きな障壁だった。それを取り除いたのがこの法律であり、全国第1号の適用地区として西富久が指定された。

▲最終的に出来上がった3つの模型。2番目の案が採用された/新建築 91巻4号 2016年2月 2016.2 20年余りをかけたまちの再生事業 西富久地区第一種市街地再開発事業 Tomihisa Cross : まちづくり研究所(基本構想・設計) 久米設計(実施設計) 戸田建設(設計協力) (集合住宅特集)より引用

最終的には、西富久の傾斜を巧みに活かした設計が採用された。低層部には巨大な駐車場と保育園・医療モール付きのショッピングモールを設け、その屋上は戸建て住宅街とするという前代未聞の構造だ。

さらにショッピングモールと一体化したワンルーム賃貸マンションも建設し、年金暮らしの住民の収入源とした(このマンションの屋上にも戸建て住宅を建設した)。加えて山手線内では史上最大規模となる高級分譲タワーマンションも建設し、巨額の負債返済に充てるようにした。

勉強会を立ち上げてから18年が経った2008年、地権者が主体となって考え抜いた、住民全員が納得できる日本史上初の再開発計画の概要がついに固まった。ここに至ってようやく新宿区役所も積極的に協力姿勢へと転じ、歴史的な再開発がいよいよ動き出した。

世界初の工事に成功

2012年、富久クロスの建設工事が始まった。それまでに既存の建物と道路はすべて取り壊され、西富久は内部に道路が一本もない大きな一体区画へと生まれ変わった。その広さは2.6haで、これは東京都庁の建築面積や、計画が止まった中野サンプラザの再開発予定地とほぼ同規模だ。

路地が消えた代わりに、富久クロスの周囲には何台もの車が路上駐車しても支障のない広い生活道路が整備され、快適な空間へと変貌した。

建設にあたっては内装や設備にも徹底的にこだわった。野村不動産はインターネットを通じて「居心地の良い空間とはどのようなものか」というアンケートを4万5000人から収集し、10万件に及ぶ意見の中から1000件を採用。その結果を富久クロスのあちこちに反映させた。

一方、タワーマンションを施工した戸田建設は世界初の偉業を成し遂げた。世界最強クラスの強度を持つ鉄筋コンクリートの柱を、建設現場で施工する技術を開発したのだ。

通常、1cmのサイコロほどのコンクリートにシロサイ1頭分の重さがかかれば即座に崩壊する。しかし戸田建設は、最も荷重がかかる1階の柱にシロサイ何千・何万頭分の重さがかかっても耐えられる鉄筋コンクリートを現場施工する工法を確立し、タワーマンションの耐震性を飛躍的に高めることに成功した。

▲再開発研究 再開発コーディネーター協会 2019年 都心における「住み続けられるまち」への取り組み : Tomihisa Cross(西富久地区第一種市街地再開発事業)を事例として

こうして完成したのは2015年。住民が勉強会を始めてから実に25年、念願の再開発がついに結実した瞬間だった。このタワーマンションは即日完売という熱狂的な反響を呼び、まさに平成不況を乗り越えた、「現代版プロジェクトX」ともいえる快挙となったのだ。

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【はじめから読む】丸ノ内線新宿御苑から徒歩5分!セブンイレブンの屋上に23棟の住宅街!「新宿の空中ベッドタウン」誕生の理由

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