少年院出身の医師「失敗だらけ、でも人は変われる」と語り継ぐ…「伝えられるのは自分しかいいひんから」
「背中を押してくれる人が1人いるだけで」
非行を繰り返し、少年院にも入っていた大阪府河内長野市の医師が、昨年から少年院で講演活動を始めた。
「かつての自分と同じ非行少年が変わるきっかけを作りたい」と、子どもらに優しく語りかけている。(畝河内星麗)
「今は医者です。昔は少年院にいました」
3月末、医師の水野宅郎さん(48)は愛知県豊田市の愛知少年院で、16〜21歳の約50人を前に、切り出した。自身の非行や当時の心境を赤裸々に伝え、「僕は失敗だらけの人生。でも、医師になる夢をかなえることができた。今からでもなりたい自分になることができる。絶対になれる」と訴えた。
講演を聞いた10歳代の少年は「自分と似た経験をした医師がいるなんて」と驚き、「将来のことをあまり考えてこなかったが、自分がどうなりたいのか、少しずつ考えたい」と話した。
不良仲間
水野さんは大阪府松原市出身。父親が開業医で、恵まれた環境だった。小学生の頃は成績が良かった。こだわりの強い性格で、授業では、「なんで?」「どうして?」と先生を質問攻めにした。
中学に入ると、それが「授業妨害」と見なされた。これをきっかけに、教師を信用できなくなり、不良仲間の一員になった。
仲間と集まってはシンナーを吸った。「今思えば何が楽しかったんやって思う。でも、そこが自分の居場所だと思っていた」。高校進学後、何度も停学になり、1年秋に自主退学した。
先輩に勧められ、17歳で覚醒剤に手を出した。「クスリ代」を得るため、仲間と車上荒らしや自販機荒らしを重ねた。18歳の時、覚醒剤の使用で逮捕され、兵庫県加古川市の少年院「加古川学園」に入った。
非行を繰り返す入所者が多いと知り、「どうせ自分もまたやってしまう」と自暴自棄になった。そんな時、父親の滋さんから手紙が届いた。「自分を蔑(さげす)むな、お前は今でも自慢の息子だ」
「蔑む」は読めなかった。でも、「自慢の息子」という言葉に、涙がこぼれた。「待ってくれている人がいる」と希望を持てた。
その後、1週間にわたり人生を振り返る「内観」のカリキュラムに参加。強く残っていた記憶が、保育園の帰り道だった。秋晴れの空の下、水野さんは滋さんに肩車され、「将来はお父さんみたいな医者になる」と伝えた。ほほ笑みで返した滋さんにぬくもりを感じた。
「医者になるんや」。1年後に出院し、20歳で大学入学資格検定(現・高卒認定試験)に受かった。3年間の猛勉強の末、金沢医科大医学部に進学。30歳になった2008年、医師の国家試験に合格した。大学病院で勤務後、18年に滋さんの内科医院を継いだ。
滋さんは大腸がんで、抗がん剤治療を受けながら、「あいつが帰って来るまでは」と診療を続けていたといい、20年5月、73歳で死去した。
水野さんは、滋さんと共に働いた1年余りで、患者からどれほど好かれていたかを実感した。「自分も地域のために」と、末期がん患者に訪問診療を始め、コロナ禍には発熱外来を設けた。
きっかけ作り
昨年2月、「今くすぶっている子たちが立ち直るきっかけになれたら」と少年院での講演活動を始めた。月1回ほどのペースで、少年院のほか、大阪府内の高校などを回っている。
講演で意識しているのは、「被害者に対する反省」と「自身の将来」の二つだ。
被害者が抱える苦しみについて、「ひったくりに遭ったら夜道が怖くなる」「盗まれた物は、その人にとって大切な思い出の品かもしれない」と具体的に話し、反省を促す。その上で、将来なりたい自分をイメージするよう呼びかける。
水野さんが子どもたちに一番伝えたいのは、「自分のやりたいことを一緒に考え、背中を押してくれる人が1人いるだけで、人は変われる」ということ。父親に救われた過去を重ね、そう確信している。講演活動は今後も続けていく。「この気づきを伝えられるのは、自分しかいいひんから」
