「何者かになりたい」と若いうちから仕事に邁進し、35歳で起業を果たした板橋理恵さん。事業も軌道に乗った矢先に50歳で待ち受けていたのは、「乳がん」の宣告でした。結婚願望よりも自立心が強く、独身のまま迎えた転機。「手術の同意書は誰が書くのか」「全摘するかの相談は?」。板橋さんが直面した現実とは。

【写真】「乳がん」を経て人生観に変化。55歳初婚で一緒になった旦那さんと(5枚目/全10枚)

仕事一筋の人生が50歳の乳がんで一転

35歳で起業した板橋さん(左から2番目)

── アルバイト、派遣社員、議員秘書など、さまざまな職を転々とした20代を経て35歳で起業。多忙な日々を過ごしながらサプリメント通販や化粧品事業を軌道に乗せてきた板橋さんですが、50歳での突然の乳がん宣告はまさに「青天の霹靂」だったそうですね。

板橋さん:昔から体力・精神力ともに人一倍強い自信があり、ずっと独身だったこともあり、仕事一色の人生を突き進んでいました。「何者かになりたい」といろんなことに手を出して挫折を繰り返した20代を経て、一念発起して35歳で起業。40代は無我夢中に会社運営に奮闘してきました。

ところが50歳になったある日、右胸にしこりを見つけたんです。半年前の人間ドックでは何も問題なかったので「大丈夫だろう」とは思ったものの、お墨付きが欲しくて念のため病院に行ったら、まさかの悪性腫瘍。ショックでした。

そこから約2か月間はがんの状態を調べるために連日、検査に追われたのですが、その時期が精神的に最も追い詰められていました。「この先どうなってしまうんだろう」と、マイナスの想像が止まらなくて、不安でいっぱいでした。結果はステージⅡの乳がん。乳腺の中で広がったがん細胞が、腋窩リンパ節に入り込む間際というギリギリのタイミングでした。

医師からは、右胸の全摘手術と部分摘出手術、どちらでも可能だと説明を受けました。

── 右胸の全摘か、それとも部分摘出か…どちらを選ぶかは人によって判断が異なります。

板橋さん:私は迷うことなく全摘手術を選びました。決断した理由は2つ。ひとつは、全摘と同時に乳房再建手術ができる状態だったこと。その年からちょうど乳房再建用のインプラント(シリコンバッグ)が保険適用になったので、じゃあ作り直してもらおうと前向きに考えることにしました。

もうひとつの大きな理由は、術後の仕事への影響です。部分摘出手術は小さながん細胞が残る可能性がゼロではないため、術後は数週間ほど放射線治療を毎日受ける必要があったんです。会社を経営しながら毎日通院する大変さを想像したら、私の場合はやはり全摘がベストだろうと考えました。 

親には最期まで乳がんの事実を伝えず

── 独身、ひとり暮らし、会社経営者という立場でのがん宣告だったそうですが、実家のご両親のサポートなどはありましたか。

板橋さん:いえ。両親には心配をかけたくなかったので、自分ががんになったことはひと言も伝えないまま、両親とも他界しました。私が元がん患者だと知っているのは、何人かの友達と会社の部下だけです。

手術の同意書も、うちの会社の管理部長に「ここ、ちょっと書いて」とお願いしてサインしてもらいました。手術当日の付き添いもなし。諸々の検査や医師からの説明を聞くのも、全部ひとりで問題なく済ませました。お医者さんから「説明を聞くのはおひとりで大丈夫ですか?」と聞かれて、「あれ、みんな誰かと来るんですか?」と聞き返したくらいです。

── 強いですね。入院中、家族連れがお見舞いに来る姿を見て、寂しさを感じる場面はなかったですか?

板橋さん:手術も入院も、ひとりでもまったく寂しくなかったです。入院中の着替えや備品は病院のレンタル品を使えましたし、病室は個室だったので他の入院患者が気になることもない。ただ、大部屋だったらまた違っていたかもしれません。

手術翌日からリハビリのためにせっせと歩き、1週間後には結構元気になっていました。退院のときだけ、友達に頼んで荷物を持つのを手伝ってもらいました。

── 乳がんを経験して、心境の変化などはありましたか。

板橋さん:入院が短かったとはいえ、がんになったことはショックですし、それまでの自分の生き方を反省しました。健康管理を大事にしていこうと使命を掲げてサプリ通販の会社を経営していた自分が、健康を過信してセルフケアをおろそかにしていたわけですし。

退院後は食生活に気を遣うようになって、お酒も控えめにしています。ジムに通って、定期的に運動をしています。

ずっと独身でいるつもりだったが

一級船舶免許を保有、ボートショー親子マリンウェアファッションショー審査員を務めた

── 健康以外に生き方についても考えるきっかけになったとか。

板橋さん:この先どんな人生を過ごしていくか考えました。今まで仕事第一で過ごしてきましたし、退院後も仕事に大きな支障は出なかったと思います。でも、ふとしたときに仕事以外の時間も豊かに過ごしたい、もっと言えば、プライベートで喜びも悲しみも分かち合えるパートナーがいたらいいな、と思ったんです。

すぐに結婚を考えたわけではないですが、一緒にお茶を飲むとか、気軽に日常会話ができるパートナーがいたら、より人生が潤うと思ったんですね。

── 価値観が少し変わったと。

板橋さん:以前に比べて友人の結婚話や家族について、積極的に聞くようになりました。あるとき、離婚と再婚を経験した男性と話をする機会があって、離婚理由を聞いてみると、自分の母親と相性が合わなかったと言うんです。だから再婚するにあたっては「母親と仲良くできる女性」を条件に選んだそうです。その結果、現在は母親とも仲良しの奥さんと家族円満に暮らしていると聞きました。私もこの話を聞いて、あらかじめパートナーの条件を明確にしようと思って頭の中を整理しました。

── 今後の人生がより豊かになるように。

板橋さん:そうですね。ほかにも、乳がんの早期発見の大切さと啓蒙する「ピンクリボン活動」への協賛や、乳がん治療によって失われた乳輪・乳頭を「医療アートメイク」という技術で再現する手法の普及支援なども、会社として積極的に取り組んでいます。

病気を経験したことは精神的なダメージもありましたが、自分の価値観が変わり、生き方の視野が広がったことは確かです。

取材・文:阿部花恵 写真:板橋理恵