【細田 昌志】PL学園時代の桑田真澄が女子と一緒に「ディズニーランド」へ…初めて語られる「16歳の青春」

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プロ野球史上最大のミステリー「KKドラフト」から41年、いま初めて明らかになる物語――。あのとき、球界に渦巻く虚々実々に翻弄されたのは桑田真澄と清原和博だけではなかった。脚光を浴びた2人の周縁で、誰が動き、誰の運命が書き換えられたのか。本当の主役は誰だったのか。

連載『1985 英雄たちのドラフト』

第3回「ディズニーランド」(後編)

【前編記事】16歳の桑田真澄が電話越しに言った「意外すぎる言葉」

前年にオープンしたばかり

1984年の晩秋、取手市内に住む吉田剛の自宅に、桑田真澄から電話があった。

「今度、取手に行こうと思ってるんですけど」と言った桑田は、次に意外なことを口にしたという。

「吉田さん、ディズニーランドに行きたいんです」

「ディズニーランド?」

東京ディズニーランドは前年の1983年4月にオープンしたばかり。この頃、ピーターパンに扮した榊原郁恵によるテレビCMが頻繁に流れていたことを、中学1年生だった筆者は記憶する。野球漬けの毎日を送っている高校2年生の桑田真澄が「どうせ取手に行くなら、ついでにディズニーランドにも行ってみたい」と思っただろうことは理解出来なくもない。

桑田真澄の思わぬ申し出に、吉田剛は「いいよ、行こっか」と答えたという。

──桑田真澄は実際にそう言ったんですね。

「うん、言った」

──ちなみに、いつくらいの時期ですか。「冬休み」とする記述もあるんですが。

「いや……冬休みではなかったと思う。まだ、そんなに寒くなかったような」

──ドラフト会議の前?後?

「はっきり憶えてないけど、ドラフトの前だった気がする」

──奈良国体が10月中旬から下旬で、当時のドラフト会議が11月下旬ですから、行くとしたらその間となります。

「俺は車の免許を取り立てだったかな。11月は入ってたと思うんよ」

──で、実際にディズニーランドに行ったんですか。

「行った行った。あいつと2人で行ってもしゃあないから、クラスの女子に声をかけて」

──取手二高のクラスメイト?

「そう。この頃、俺は彼女はおらんかったんでクラスメイトに声をかけて、確か4人くらいで行ったんちゃうかったかな」

──クラスメイトも一緒だったとすれば、平日ではないですね。

「多分、土日だったと思う」

──吉田さんが迎えに行ったんですか。

「うん、家の車を運転して、最初は東京駅に行ったんよ。桑田を迎えに行って」

──で、東京駅からディズニーランドに直行した。

「そうやね。それでディズニーランドで一日遊んで」

──で、その夜は吉田さんの実家に泊まったんですか。

「どうだったかな……」

──あるいは、石田文樹の実家に泊まったとか?

「いや、石田の家には泊まってないと思うけど……」

そう言うと、吉田剛は自らが経営するバーのカウンターで頭を抱えてしまった。42年前の出来事で、記憶が朧気なのは無理もない。泊まった場所などどうでもいいことのようだが「吉田剛や石田文樹の家に泊まった」とする記述もあるため、一応、確かめておきたかった。

取手二高ナインとの邂逅の影響

──しかし、このディズニーランドの件は初めて聞く話なんですけど。

「だって、今まで、俺のところにそんな質問をしに来た人がおらんかったから」

──では、このディズニーランドの件、書いていいですか。

「ええよ、ほんまの話だから。桑田にとって都合が悪いかな……。『学校サボってディズニーランド行った』んなら都合が悪いかもしらんけど、まあ、さすがに時効やろ」

しばらく経って「あっ、思い出した」と吉田剛は声を上げた。

「思い出した。桑田は俺の家にも石田の家にも泊まってない。松戸の知り合いの家に泊まった。『松戸に知り合いがいる』とか言ってたもん」

──では、ディズニーランドから松戸まで送ったんですね。

「そうやね。浦安から松戸は近いやん。どっかで飯を食って、それで松戸まで送ってった。俺は翌朝、また松戸まであいつを迎えに行って」

──学校見学ですか。

「そうそう、松戸から取手まであいつを運んで」

──校内も案内したんですか。

「いや、練習場だけ。『ここがグラウンド、ここがブルペン』とか案内してやって」

──桑田は練習を見てましたか。

「見てた」

──何か質問されたりしましたか。

「されたとは思うけど、何を訊かれたかまではさすがに憶えてない。まあ、練習内容とかそんなとこちゃうかな」

──どれくらいの時間いたんですか。

「……よう憶えてないけど、まあ、おっても2〜3時間だと思う。どのみち、ウチは練習時間が短いから」

──その夜も松戸まで送ったんですか。

「うん、その後、何人かで飯を食うたような気もするけど……。それで松戸まで送ってやってバイバイして、あいつは翌朝、新幹線で帰ったんちゃうかな」

スポーツ報知も伝えるように、このとき、桑田真澄が取手二高の練習を見学したことは、その後の野球人生に影響を与えたのは間違いないのだろう。後日、吉田の自宅に桑田から電話があり「取手二高の練習、参考にしてます」と言われたという。

「あの敗戦が僕を大きくしてくれたんです。負けた──という点だけを見るとマイナスかもしれませんが、10年後、20年後、30年後にはすごくプラスをもらったと思える。いろんな経験をすることで、自分の考えも変わってきた。選択肢が増えて、自分の理論ができあがった感じです」(桑田真澄のコメント/『スポーツ報知』2020年11月25日配信)

しかし、筆者が知りたいのは、練習内容に伴う桑田真澄の意識の変化だけではない。

「吉田剛や石田文樹を始めとする取手二高ナインとの邂逅は、桑田真澄の卒業後の進路にも影響を与えたのではないか」──という仮説の証明である。

【毎週水曜日更新】4月29日配信の第4回に続く

【連載の過去回を読む】

●第1回前編【「高校球児はネクラ集団」…タモリが揶揄した高校球界に突如現れた「ネアカ軍団」の快進撃】

第1回後編【「桑田にすまんという気持ち」清原和博が2年夏の甲子園決勝で敗れたあとに明かした「胸の内」】

●第2回前編【KKコンビを破った取手二高の主将が59歳になったいま語る「桑田を打てた理由」】

●第2回後編桑田真澄に「二刀流」の選択肢があったら…高校時代に桑田と相部屋になった選手が語る「ケタ違いの野球センス」】

【はじめから読む】16歳の桑田真澄が電話越しに言った「意外すぎる言葉」