伊与原 新『宙わたる教室』

 東京・新宿の定時制高校を舞台に、全力で「実験」にぶつかっていく生徒たちの姿と、そこで起きる奇跡を描いた青春科学小説『宙わたる教室』。NHKドラマも大きな話題を呼びました。

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 文庫化にあたり、ドラマの脚本を務められた澤井香織さんに解説を寄せていただきました。

 重版出来と、まもなくの続編刊行を記念して、特別に全文を公開いたします。

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「火星の夕焼けは、青いんですよ」

 初めて読んだ時、藤竹のこの言葉に、岳人だけでなく私も心掴まれてしまった。改めてみても、かなりのパンチラインだと思う。今でも夜空を見上げると、ふいにこの言葉を思い出す。そして、今頃、科学部のみんなはどうしてるかなと、考えたりもする。それは今も続いていて、きっとこれからも続いていくのだろうと思う。

変わるための何かを掴みたい

『宙わたる教室』を知ったのは、“ぜひドラマ化したい作品がある”とプロデューサーから連絡をもらったことがきっかけだった。物語の舞台は、しんと静かな夜の学校。明かりが灯るのは定時制が使う三階の四つの教室の窓だけ。その様は、さながら宙(そら)を漂う船のようだ。

 そこに集うのは、一筋縄ではいかない悩みやしがらみを抱えた生徒たち。負の連鎖から抜け出せない柳田岳人。勉強についていくのを諦めかけている日本とフィリピンにルーツを持つ越川アンジェラ。起立性調節障害を抱え保健室登校を続けるSF好きの名取佳純。青年時代、高校に通えず働くしかなかった最年長の長嶺省造。

 年齢も性別も境遇もバラバラな彼らが抱える問題は、どれも一朝一夕で解決するものではない。自分ではどうすることもできないことや、やむに止まれぬ事情もある。それでも現状を少しでも変えたい、変わるための何かを掴みたい。そう思ってここにやって来たに違いない。でもそれが一体なんなのか。その見つけ方すら分からない。現実は八方塞がりのように思える。

 そこにふらりと現れるのが、定時制に赴任して来たばかりの理科教師・藤竹だ。定時制に科学部を作りたいという藤竹は、飄々としてどこか掴みどころがない。彼は生徒たちを引っ張っていくような、いわゆる“カリスマ”タイプの教師では決してない。月のような人。藤竹に最初に持ったのはそんなイメージだ。地球惑星科学の研究者でもある藤竹は、少し離れた場所から生徒たちを静かに見守り“観察”する。その眼差しはどこまでもフラットで科学的である。生徒たちが直面する悩みに対して具体的な答え=解決法の代わりに、“私の世界から見ると、あなたの世界はこう見えていますよ”とだけ伝えて、相手に気づく“きっかけ”を与える。

岳人が見ていたかもしれない青空

 たとえば第一章「夜八時の青空教室」、風変わりな答案から岳人の発達性ディスレクシアに気づいた藤竹は、読み書きが苦手なのは、岳人自身の努力の有無や能力のせいではないと伝える。むしろ聡明な人だと私は思う、と。しかしそれを知ったところで、岳人の失ったものが補完されるわけではない。むしろ失ったものの大きさを痛感した岳人は、結局自分は不良品だったと、学校に来なくなってしまう。

 岳人が諦めたものの正体とはなんなのか。藤竹が見つけたのは、“空はなぜ青いのか?”という、岳人が幼い頃に抱いたささやかな問いだ。知りたいという願い。学びたいという気持ち。岳人が封じられていたのは、子どもが艶々のどんぐりを夢中で拾い集めるような、蟻の行列をいつまでも飽きずに眺めるような、そんなきらきらした無垢な好奇心そのものなのだ。

 実験という形で、藤竹はその答えを大人になった岳人に伝える。自分がこれまで生きてきた世界は、科学者の目から見ると全く違うものに見えているのかも知れない。その気づきは、どうにもならない現実にぎゅっと縮こまっていた岳人の心を、すーっと広い青空へと導く。

 きっとこの時の岳人には、夜の教室からは見えるはずのない青空が見えていたんじゃないだろうか。読みながらふと、そんなふうに思った。そしてドラマにするならその青空を、私も一緒に見てみたいと思った。

“自動的にはわからない”

 続く二章以降、科学部にはメンバーが一人、また一人と増えていく。第二章「雲と火山のレシピ」味噌汁の対流実験ではアンジェラが、第三章「オポチュニティの轍」火星の青い夕焼けの再現実験では佳純が、そして第四章「金の卵の衝突実験」クレーターの形成実験では長嶺が加わる(本編を読めばわかるようにどのエピソードも本当に素晴らしい)。

 クレーター実験で使われるスケーリング則の面白いところは、目の前の砂遊びのような実験と、天体スケールのクレーター形成とをつなぐことができるということだ。巨大なバリンジャー・クレーターを、自分たちの手で確かめることができるのだ。

 ここで思い出すのは、藤竹がことあるごとに生徒たちに説いていた“手を動かす”ことの大切さである。物理や数学は授業をただ聞いていたり教科書を読むだけでは“自動的にはわからない”。何度も何度も書いて、闇雲にでも式をいじり回す。そうしているうちにいつか必ず、わかった、という瞬間が来る。藤竹はそう断言する。“手を動かす”とはなにか。それはなにかを知る時、自分の手で見つけたという“手触り”を、感じることではないかと思う。

 伊与原さんの文章は、その手触りを読み手である私にもありありと感じさせてくれる。そして私はいつの間にか、科学部の一員になったようなわくわくはらはらした気持ちで、小さな扉をひとつずつ開いていくようにページを捲ることができるのだ。

ドラマにはどうしても使えなかった重要な台詞

 岳人、アンジェラ、佳純、長嶺の四人が揃った一見でこぼこな科学部は、それぞれが持つ得意分野を活かしつつ、やがて火星というテーマを見つけ、学会発表という大きな目標へと向かっていく。

 とはいえ、もちろん一筋縄ではいかない。予算はないし、メンバー間でのトラブルや衝突も起きる。でも同時に、思わぬ化学反応(第五章「コンピュータ室の火星」)も生む。困難をアイデアで乗り切りながら、やがてメンバーたちは藤竹の予想を遥かに超えて、最終的に“教室に火星を作る”べく手製の“重力可変装置”を作り上げる。

 しかし火星のランパート・クレーターを再現する実験で、いよいよ学会発表に挑もうという時、事件が起きる。科学部は一気に崩壊寸前の危機に陥るのだが、そこで藤竹がなぜ科学部を作ったのか、その真の目的が明かされる。

 実はドラマの脚本を作る中で、重要なのに、構成上どうしても使えなかった台詞がある。第六章「恐竜少年の仮説」で藤竹の告白を聞いた佳純の台詞だ。定時制に科学部を作ること自体が、藤竹にとっての“実験”だったと聞いた佳純は、実験だというのなら藤竹が立てた“仮説”とはなんなのか、と問う。

「どんな人間も、その気にさえなれば、必ず何かを生み出せる。それが私の仮説です」

 藤竹がそう答えると、佳純は瞳を潤ませた。だったらそんなの実験じゃない、と。

「観察する相手のことを信じてやる実験なんて、ないです」

 そこで藤竹はハッとするのだ。

 ここでわかるのは、誰よりも人を信じ、誰よりも諦めが悪いのは、他ならぬ藤竹自身であるということだ。生徒たちのことはもちろん、かつて対立した教授のことも、研究者になることを諦めて去っていった学生のことも、そして自分自身のことも。信じているからこそ怒りと憤りを感じ、科学の前には人は平等であることを証明したいと思ったに違いない。

わからないことがある

 科学は、好き嫌いで判断するものでも、感情で変わるものでもなく、とても静かで普遍的で、動じないものである。でも同時に、そこに関わるのは揺らぎや熱を抱えたひとりの人間である。

 作者の伊与原さんをはじめ、取材の中で出会った先生や研究者の方々は“わからない”ことをとても楽しんでいるように見えた。まだ知らないことがある、わからないことがある。それは言い換えれば、まだまだ無限の可能性に満ちているということでもある。だからこそ、もっと知りたい、見てみたいと思う。

 この物語にこんなにも心が沸き立つのは、私の中にも、知りたい、学びたいという、根源的な欲求があるからだろう。それは、今も私の中に消えずにある。いくつになっても関係ない。生きている限り、きっとある。

 夜の校舎に青空はない。でも夜空には昼間には見えない無数の星が光っている。見えなくてもそれは、いつだってそこにある。

(澤井 香織/文春文庫)