手で頭をポンポンと叩く怪しげなシャクティパットを繰り出し…(写真はイメージです)

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 1999年11月、千葉県成田市のホテル客室からミイラ化した男性の遺体が発見された。自己啓発セミナー団体「ライフスペース」が都内の出版業者と称して予約したその客室内では、団体を設立した男による「シャクティパット」と称する“治療”が続けられていたという。

 ホテルからの連絡を受けて駆けつけた警察により発見された男性Aさん(当時66)の遺体は、死後4ヶ月が経過していた。しかし団体も信者である家族も、“Aさんは生きており治療中だった”と言うのである。彼らは『闘病ドキュメント』と称したショッキングな記録を公表。記者会見を開いて珍妙な自説を唱えるなどして、マスコミを騒がせ続けた。

【前後編の後編】

【高橋ユキ/ノンフィクションライター】

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【写真を見る】見るからにうさん臭い風体 「ライフスペース」教祖・高橋弘二

多数の死者が出る

 ライフスペースは元税理士の高橋弘二(逮捕当時61)が1983年に大阪で始めたセミナーであり、一時は毎回100名以上の参加者を集めたというが、バブル崩壊後に人気が凋落するにつれ、高橋は自らを「グル」と名乗るようになった。

手で頭をポンポンと叩く怪しげなシャクティパットを繰り出し…(写真はイメージです)

 同団体が問題を起こしたのはこれが初めてではない。1995年にはセミナーに参加していた京都の大学生(当時22)が、熱湯に浸かる「風呂行」という行為の後に熱中症で死亡している。遺族が民事訴訟を提起し、ライフスペースに2800万円の賠償金支払命令が言い渡されたのが、まさにAさんが成田市のホテルに運び込まれた1999年7月のことだ。1996年にはセミナー受講料を払うために1000万円の借金をした男性が飛び降り自殺をしている。

 当時の週刊誌に元幹部は「私の知るだけでも、すでに会員の中から自殺2人、病死2人、過労死1人の死者が出ている(中略)遺族の中には、『高橋に殺された』と憤る人間が少なくありません」などと語っており、深刻な問題が複数あることを窺わせる。

摩訶不思議ワード「定説」

 そんなライフスペースは、ミイラ化事件が表面化しても、男性を死なせてしまったことを認めようとはしなかった。団体が公表した記録にも「11月2日には紅茶を美味しそうに飲めるレベルにまで回復できた」と、ミイラ化しているAさんが紅茶を飲んだと記されている。信者であるAさんの息子も当時「父は死んでいない」と訴えていた。団体はAさんの遺体が発見された直後から、記者会見を複数回開いていたが、現場である千葉県成田市内のホテルを追い出されたのちの茨城県大洗町での記者会見席上で、高橋は「定説」なる摩訶不思議なワードを連発、報道陣や世間を一層混乱させてゆく。

 本人は「定説」の定義について、会見で次のように語っている。

「日本国憲法前文と第二項に定説主義がある。定説主義とは、戦争放棄の別名である。戦争放棄の憲法はフランスや英国や米国など先進7か国が持っているが、日本の第二項はただ翻訳しただけだ」

 Aさんの死については「脳内出血の人は必ず3日以内に死ぬんです。3日で死ぬのに(Aさんは)なぜ1週間も生きているのか」といった定説も飛び出した。

 そんな高橋は“定説主義者”になったのはいつか、と問われ「サイババに出会ってすぐです。6000年です」と、インドの宗教家に出会って定説主義者になったと即答。自らを“サイババの後継者”だと語る。サイババは否定していると水を向けられると「それはサイババの勝手なんですよ」と答え、会場から笑いが起きる一幕もあった。

「一日一食しか食べない」

 会見後も同団体はメディア各社の取材に応じるなどしていたが、同年11月24日、関係施設に家宅捜索が行われたことをきっかけに、一切の取材を拒否することを決定し、ホテルの籠城を決め込む。しかしその後も高橋に対する世間の興味が薄れることはなかったようだ。「エビ、ソバ、トマトを1日1食しか食べない」と公言していた高橋が、団体メンバーらと滞在しているホテルでインドカレーを頼んでいたことや、メンバーがたこ焼きを買うためにコンビニに向かっていたことまでも報じられるほどだった。

 そんなメディアの加熱ぶりを、団体側も利用していたフシがあったかもしれない。彼らはAさんの息子が記した『闘病ドキュメント』だけでなく、遺体の写真が約400枚も収録された書籍を公表し、この内容までもが大々的に報じられることとなる。当時の週刊誌には、ミイラ化したAさんの写真が何枚も掲載されていた。

 しかし、そんな写真を公表すれば、「治療」「回復の途中」であるなどとしてAさんの遺体を放置し続けた常識はずれの団体である……と印象付けるだけのようにも思うが、少なくとも表向きには、団体の意図は別のところにあったようだ。同団体広報は当時の取材に対して書籍制作の理由をこう語っていた。

「(Aさんが)6ヶ月で回復することは最初から分かっていたので、学術会議に証拠資料として出すつもりでした。Aさんもこれを見て、こんな経験だったのか、と喜んでくれるはずでした」

 シャクティパット治療により6ヶ月で回復する見込みだったAさんが、4ヶ月目に警察によってホテル客室から運び出されてしまったことで、治療が妨げられてしまった……これが彼らの言い分であろう。警察がホテルに来るときまでAさんは生きていた、Aさんが亡くなった責任は、団体にも、シャクティパット治療を施した高橋にもない……そんな主張を広めるため、ライフスペースはメディアを利用したのかもしれないが、これがかえって彼らの異様さを強く印象付ける結果となった。

サイババからメッセージ

 ライフスペースのそんな近況をメディアが報じ続けて3ヶ月になろうとしていた2000年2月22日、高橋をはじめとする関係者10人がついに逮捕された。ホテルに運び込まれたAさんに適切な治療を受けさせず、痰を喉に詰まらせて窒息死させたという保護責任者遺棄致死容疑である。しかしこの局面に至っても「グル」こと高橋は、Aさんの死亡に真正面から向き合わず独自の「定説」を繰り広げた。翌月3日、千葉地裁で開かれた勾留理由開示の法廷でも、こんな調子である。

「平成6年初めに、サイババから空耳やテレパシーの形でメッセージを受けるようになり、それを自ら行動した」

「これまで300人ほどシャクティパットをしたが、誰一人として、訴えを起こした者はない。苦情の手紙もありません。これからも命がけでシャクティパットをやります」

 取り調べでも高橋は“Aさんは生きていた”という主旨の供述を続けていた。「Aさんはミイラではない。定説にあるミイラの基準に達していない」と、またもや“定説”を持ち出し、その定説は「最高裁の定説図書館にある」などと言う。

「何から何までデタラメですが、グルの狡猾なところは、そうした定説の矛盾を突かれると“自分はサイババの弟子だ”などと関係のない話を始めたり、急に押し黙ったりして、相手のペースには乗らない」(地元記者)

懲役7年が確定

 Aさんは生きていた、とミイラ化した遺体の写真を公表し、Aさんの死の責任を警察に押し付けようとしていたライフスペース。のちに殺人罪で起訴された高橋の裁判では、Aさんの死の可能性を高橋がいつの時点で認識したかが焦点となり、一審・千葉地裁と二審・東京高裁で判断が分かれたが、2005年7月には「未必的殺意に基づく不作為による殺人罪が成立する」として弁護側の上告を棄却する形で、二審・懲役7年の判決が最高裁で確定している。

「被告人が,自己のシャクティパット治療についておよそ効果がないと認識していたとはいい難いが,少なくとも,本件ホテルに運び込まれたAの様子を自ら認識した後において,シャクティパット治療によっても,Aを救命することができないかもしれないと認識していたことは(中略)被告人がこれまでに脳内出血等の重篤な患者の救命治療を行ったことが一度もなかったことなどに照らして明らかというべき」(二審・東京高裁判決より)

 判決が確定したのは事件発覚から6年後のこと。すでに世間は、ライフスペースや高橋に対する興味を失っていたのか、これを報じるメディアも数社のみだった。

【前編】では、重症化した信者に「グル」が施した800万円の“治療”の詳細を記している。死後4カ月、ミイラ化した遺体を前に、高橋が発した驚きの言葉とは――。

※本記事執筆に当たり、以下の雑誌記事を参考にしました。
「FOCUS」(1999.11.24、1999.12.15、2000.1.12、2000.3.8)、「週刊文春」(1999.11.25)、「女性セブン」(1999.12.2)、「週刊朝日」(1999.12.3)、「FRIDAY」(1999.12.3)、「週刊女性」(1999.12.7、1999.12.21)、「FLASH」(1999.12.7)、「NEWSWEEK」(1999.12.8)、「週刊宝石」(1999.12.2、2000.1.20)、「週刊読売」(2000.3.12)、「週刊新潮」(2000.3.16)、「FLASH臨増」(2007.12.1)

高橋ユキ(たかはし・ゆき)
ノンフィクションライター。福岡県出身。2006年『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』でデビュー。裁判傍聴を中心に事件記事を執筆。著書に『木嶋佳苗劇場』(共著)、『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』、『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』など。

デイリー新潮編集部