【落合陽一の新作が圧倒的】「量子」と「宇宙」の異色展で味わう、“世界の見え方”が揺らぐ感覚
2025年は「国際量子科学技術年」だった。それにあわせて今、宇宙や量子などのサイエンス領域とアートがコラボレーションした企画展「ミッション∞インフィニティ」が東京都現代美術館(江東区・木場)で開催中だ。
科学者らの宇宙研究やアーティストの「宇宙」に関する作品群に加え、国産量子コンピュータによる初のアート作品など、「時と空間」が不思議なふるまいを見せる「量子」の領域に取り組む、新たな表現の可能性を紹介している。
また、大阪万博で人気を博したパビリオン「null2」(ヌルヌル)をプロデュースした落合陽一氏の新作も圧倒的な存在感で鑑賞者を刺激する。そんな異色の展覧会をアートディレクターが体験して感じたあれこれとは――。

【写真】大阪万博でファンを増やした“アーティスト”落合陽一の新作 境界線を消し去る ほか
量子力学が変えた世界の見方
この難しいタイトル。この展覧会を見て、「あ、量子って、宇宙ってそういうことか!」と理解できる、なんてことはまずないし、そんなことを意気込んで行ったら、たぶん疲れる。
じゃあ何かというと、現在量子の足跡を追いかけて研究しワクワクしている人たちの姿と、その熱量そのものがアートだと言っていい。
量子の周りは騒がしい。そしてワクワクしている。なぜか?
量子力学が確立しておよそ100年。量子のふるまいが見えてきたことで、今まで見ていた世界の形がガラリと変わったのだ。それまでのニュートン力学の窓から眺めた世の中は、全て正確にカッチリ測り切れて確かに存在していた。なのだが量子の奇妙な動きが見えてきて、ひっくり返ったのだ。
「あれ? なんかすごく状況によって様子が変化するよね? 世の中って実はそんなカッチリとしたものじゃないんじゃない?」
と見方が変わったのだ。
例えば、「あの人は本当に嫌な人で、大嫌い」と「悪人」のレッテルを貼って自分の中で悪人認定していたとする。でも実はその人自身を嫌いなのではなくて、その人と自分の関係性が嫌なだけで、相手は「悪人」というほどではなかった。ということに似ている。
あるいはゴミだと思っていたものが美術館で展示台に乗せられてスポットライトを浴びた途端に作品になった。といったように、お互いの関係性や、見る側の認知の仕方で全く別の存在のように立ち上がってくる。といったことも量子力学に似ている。
こうした新しい眼差しを世の中に向け始め、新しく世界の輪郭を捉え直しているまさにその瞬間に立ち会っているのが、今現在のワクワク感なのだ。
境界線を消し去る落合陽一
この展覧会で非常にスケールが大きく、インパクトがある作品は落合陽一の「リキッドユニバース:物化する計算機自然、質量への憧憬の転回」で、この作品をお目当てに訪れる人も多いだろう。
昨年の大阪・関西万博でアーティスト・落合陽一の新たなファンは確実に増えたはずで、作品を見たかったけれど見られなかった、とか「null2」以外の作品も見てみたい、と思っている人にとって嬉しい場所になっている。
作品と空間、そして見ている人との境界線すらも消し去っているのが落合陽一の作品で、今回も東京都現代美術館の吹き抜けホールの空間が丸ごと作品となっている。天井近くまで伸びたLEDパネルが滝のように床まで流れ落ちながらも伸びて上昇し、その背景にはガラス越しに青空が広がり、腰掛けているベンチの下からは水音が湧いている。自分のペースでゆっくりとこの空間に身を浸せるのがこの展示のいいところで、そうしていると何か自分が解けて一体化していくような感覚になるのだ。
LEDパネル上に流れては通り過ぎてゆく映像は水のようで油のようで、時に稲妻が走り、渦巻き、蝶も羽ばたいてゆく。同じ映像が単純にリピートされているのではなく、作品自体が自立して何かの影響を受けながら形を永遠に生み出している。誰が作った作品かを超えて、デジタルの現象を見るような透明感がある。
人工物と自然物
この作品には見る側との境界線を作っていないのでどこまでも近づいて見ることができる。ぐるりと歩いているうちに存在感を増して近づいてくるのは、天井から伸びている長い手と足だ。素材が純粋な木でできているという、この古来の物質がこの場では異様に新鮮に感じる。こうなると、もはや人工物と自然物のどちらが希少な存在なのか、どちらに私たちは憧れていくのか境界線が曖昧になってゆく。何か自分が解けて一体化してゆくようなこの感覚が、確かな存在と触れた証として私たちの中に残ってゆく。この作品に込められたメッセージはあれども、やはりそれも固定化されたものと捉えなくとも良い。
落合陽一が提唱している「デジタルネイチャー(計算機自然)」という概念がある。これを頭で理解できなくても作品の中に入ることで感覚として共有できる、というのが落合陽一作品の醍醐味なのだけれども、とはいえども、作品の核になっている「デジタルネイチャー」の概念をちょっと理解しておくと、日常の捉え方もちょっと変わってきて面白い。
コントロールできないもの
例えば地球上の自然現象の一つとして「雲」がある。雲は地球上で生まれるけれども、地球は雲の動きをコントロールできない。太陽や風や自転や海の流れやいろんなものが影響しあってその形、大きさ、場所がつどつど決まってくる。
「川」も同じで、山に含まれた水が湧き出て川になるけれども、生みの親の山はその川の流れをコントロールできない。降り注ぐ雨、共に流れる土砂、岩陰に住み着く魚たち、これらが絡み合って川の流れが常に新しく生まれ続けている。
「コンピュータ」も同じで、人間が作り出したにも関わらず、「道具」というポジションを超えて、もはや環境の一部として振る舞い始めている。つまり人間一人ひとりの好奇心やふるまいを認識し、学習し、知識を蓄積し、リコメンドし、人間と深く影響し合っている。雲や川が私たちの自然環境として周りにあり影響し合うのと同じように、コンピュータもまた私たちにとって新しい自然環境となって存在している。
落合陽一は量子そのものを研究しているわけではないけれど、その概念や作品の在り方が量子の在り方ととても似ているのだ。
さて、展覧会を見終わって、興味が湧いたものの「量子とは?」「宇宙とは?」の理解をしたわけではない。なので私は時間があれば量子力学や宇宙の始まり、ニュートリノ、カミオカンデなどについてずっとおしゃべりをしている。AIと。
土居彩子(どい・さいこ)
1971年富山県生まれ。多摩美術大学芸術学科卒業。棟方志功記念館「愛染苑」管理人、南砺市立福光美術館学芸員を経て、現在フリーのアートディレクター。
デイリー新潮編集部
