神鳥裕之監督(当時)に導かれ、1月の大学選手権で7季ぶり日本一を達成した明大ラグビー部【写真:アフロスポーツ】

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明大ラグビー部・神鳥裕之前監督インタビュー後編

 明治大ラグビー部を7シーズンぶりの大学選手権優勝に導いた神鳥裕之前監督の独占インタビュー。後編は、自身とチームの挑戦をシーズン毎に振り返り、5年に及んだ任期の中で指揮官が思う大学ラグビーの価値、そして明治大学ラグビー部への思いを聞いた。(前後編の後編、取材・文=吉田 宏)

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 神鳥監督の5年の任期は、期待されながら勝ち切れなかったシーズン、苦闘しながらも意地を見せたシーズンと浮き沈みのある中で、最後の1年で頂点に辿り着いた。そんなシーズン毎の5つのチームを、指揮官はどう受け止め、評価しているのだろうか。

【1年目/2021年シーズン】
対抗戦:5勝2敗(3位) 大学選手権:決勝●12-27帝京

「記憶に残るのは、シーズン途中の6月から合流したことで、学生たちとよく話をしたことです。いろいろと手探りでやっていた1年だった。監督になるまではリコーでの強化に集中していて、明治の戦力の状況などの流れでチームを見ていなかった。就任2年前(2019年度)、前年(20年度)と対抗戦で優勝はしていたが、19年は武井日向主将(19年度卒、BR東京、HO)を中心にすごく強いと言われながら選手権は勝てなかった。翌年の箸本(龍雅、20年度卒、東京SG、FL・No8)主将の時もメンバーは残っていたが、いよいよ戦力というか、それまでの“遺産”がなくなり谷間と言われていたのが僕の監督初年度、飯沼蓮主将(現浦安D-Rocks、SH)の年でした」

 リコーでの指導実績があったとはいえ、ワンステージ低い学生を相手に模索を続ける中で、選手層では決してピークではなかったシーズン。だが、1年生から紫紺のジャージーを着た飯沼主将のリーダーシップもあり、チームは対抗戦では帝京、早稲田に敗れて3位に終わったが、大学選手権では決勝戦まで勝ち上がった。

「あの時も結果的には4年生が結束したチームだった印象ですね。そこはやはり蓮のように1年生から公式戦に出ている選手もいて、その一方で副将には、明治では結構珍しい3年生まで一度も紫紺を着たことがないNo8大石(康太、21年度卒、現國學院久我山高ヘッドコーチ)がいた。そういう中で、チームとしてまとまっていたのが、あの結果に繋がったと思います。当然優勝出来なかった悔しさはありましたが、そこまでガッツリとチームに入り込んで指導に関わってない中で、選手たちにドライブしてもらった印象が強いシーズンでした」

 6月からの始動で、結果的に大学選手権決勝進出という結果を残した1年目だったが、チーム強化に本腰を入れたはずの翌シーズンは厳しい結果を味わわされることになる。

【2年目/2022年シーズン】
対抗戦:6勝1敗(2位) 大学選手権:準々決勝●21-27早稲田

「結果的に、この1年が一番結果を出せなかったシーズンでした。本来はあそこで終わるチームじゃなかった。結果論ですが、準々決勝で早稲田に負けていなければ決勝まで行っていたと今でも思っています。早明戦(対抗戦)は勝った(35-21)けれど、次の相手がまた早稲田という対戦カードの妙もあったと思います。前年と逆の結果になってしまったけれど、チームは自信があったけれどやられました」

 宿敵・早稲田とは、伝統的に対抗戦に続き大学選手権でも対戦したシーズンは双方「連勝」出来ないというケースが多い。神鳥体制の5年間でも、最終シーズンこそ対抗戦、選手権決勝と明治が連勝したが、この22年シーズン、その前年も対抗戦、選手権で勝者が入れ替わっている。

「この年の早明戦がそんなに難しい試合ではなかったので、もう一回やっても負けないと信じていた。油断があったわけじゃないが、負けるとは考えていなかったところでシーズンが終わってしまったという印象でしたね。だから試合後に、選手たちにもなんて声を掛ければいいか分からなかった。自分の気持ちを整理するのにもすごく時間がかかった記憶があります。何年ぶりかの何もやることのない正月を過ごしたのはすごくよく覚えていて、2度とこんな正月はしたくないと思っていました。こんな退屈な正月は嫌だとね」

 メンバー編成上はWTB石田吉平主将(現横浜E、7人&15人制日本代表)を筆頭に、PR為房慶次朗(現S東京ベイ、日本代表)、LO山本嶺二郎(現BR東京)、FL福田大晟(現静岡BR)、SH萩原周(現埼玉WK)、CTB廣瀬雄也(現東京ベイ、日本代表)と有望選手が揃っていたが、自信を持って臨んだ早稲田との再戦で、あっけなく敗れてシーズンを終えた。

「就任2年目でしたが、本当に責任を感じましたね。悔しいよりも怖くなりました。ここまで丹羽さん、澄憲が監督としてしっかりとチーム作りを順調に進めてきて、優勝出来ないまでも年越しは出来るチームだと、外からの評価も自分たちの自信も築かれていたと感じていましたからね。だから部員たちへ、ファンの皆さんへの申し訳ないという思いもありましたが、自分に対しての(監督を)やっていていいのか、来年再来年もこんな成績だったらどうしようという怖さがあったのです」

 前編冒頭では監督時代はプレッシャーを感じてこなかったと語った神鳥監督だったが、局面では勝利が義務づけられた伝統校の監督という難しさは体感していたのだろう。だが、失意の時間はそう長く続かなかった。翌シーズンには、大きなミッションが待ち受けていたからだ。

戦力充実で挑んだ3年目 最も厳しかった4年目

【3年目/2023年シーズン】
対抗戦:6勝1敗(2位) 大学選手権:決勝●15-34帝京

「前年の敗戦を引きずって、うじうじと悩んでいたわけじゃないですけれど、やらなきゃいけないですし、この年が部の100周年でした。選手をみても、絶対に勝てるメンバーだと思ったので、しっかりと優勝へ向けて頑張ろうという思いに切り替えていました」

 神鳥監督も語っているように、3年目は充実したメンバーが揃ったシーズンだった。結果的に対抗戦2位、選手権は準決勝で帝京大に敗れてシーズンを終えたが、指揮官は冷静に現実を受け止める。

「成績は残念でしたが、このシーズンは、もう持てる力は出せた。僕の監督時代でも1、2の強いチームだった。優勝出来る力は十分にあったと思います。でも、帝京大もメンバーが揃っていて、すごく強いチームだったので、結果をみれば向こうが上回っていたということです。唯一惜しまれるのは、いいコンディションで選手にやらせてあげたかったですね。ああいう天候だと、向こうのほうが引き出しが多かったですね」

 悔やんだのは、急激な雷雨のために55分間に渡り試合が中断されたことだった。メンバーを見ると、前年度も経験するPR為房、LO山本、FL福田、SO伊藤耕太郎(現BR東京、日本XV)ら大学トップレベルの選手が残り、戦闘能力では間違いなくピークだったが、帝京大もHO江良颯(現S東京ベイ、日本代表)、FL青木恵斗(現トヨタV、日本XV)、奥井章仁(同、日本代表)、SO小村真也(同、日本代表)ら学生屈指の布陣だった。

 100周年のメモリアルシーズンを準優勝で終えた神鳥監督だったが、試合後の会見で悔しさを見せながらも、淡々と受け応えしていたのが印象に残る。その表情からは、歴代でも屈指の好チーム同士がぶつかり合い、荒天の中でも自分たちのスタンダードを出し切った方が勝利したという現実を受け入れているのだと読み取れた。

 メモリアルVを逃した後の4シーズン目は、また別の意味でチャレンジの1年だった。

【4年目/2024年シーズン】
対抗戦:5勝2敗(3位) 大学選手権:準決勝●26-34帝京

「あの年はしんどいシーズンでしたね。スタート前から厳しいだろうというのはわかっていましたので、どうやって明治としての存在を示せるかが大きなチャレンジになると考えていました。実際に春のシーズンでも、メンバー繰りが難しかったですね。フロントローだと主力級の6人のうち4人がいないという状態でした。なのでライバルの帝京にも早稲田にもスクラムを押されていましたね」

 就任4年目で最も厳しい1年だったのは間違いない。だが、その苦闘の中でチームは対抗戦を3位で終えると、大学選手権でも正月越えの準決勝まで辿り着いた。

「結果的に再び帝京にしっかりとやられてしまったけれど、前半は12-14というゲームをしてくれた。大学生の伸びしろとか、成長の速さというのを一番感じさせてくれたという点では印象深いチーム、1年でした。シーズンの最後に3番のジャージー(右PR)に袖を通した倉島昂大は、このシーズンの象徴的な選手でした。3年生までほとんど紫紺(のジャージー)を着たことがなかった選手です。それがスクラムの救世主になると思っていなかった。

 でも、彼がいちばん明治のスクラムのプライドを見せてくれた。帝京戦でスクラムを押し込んで相手から反則を奪った時は、それだけで大学ラグビーの醍醐味を感じさせてもらいました。負けて満足しちゃいけない。けれど、正月も越えられないかも知れないと思っていた選手たちの成長をいちばん間近で見て来られたことで、なんだか満足してしまって。なにか一番大切なものを感じさせてくれたチームだったなと、今でも印象に残っています」

2期4年を過ぎた5年目…「もう1年」続投を決めた理由とは

 この苦しみながらも充実したシーズンで、監督として4年目が終わった。先に説明したように、原則の2期4年という監督任期が過ぎたことになったが、もう1年の続投を決めたのは何故だったのだろうか。

「確かに明治の場合は2年2期が一つの目安でした。なので4年目が始まった時には、自分自身で、この先どうしようかと考えていました。ただ、いまのご時世で、OBの中からすんなり適材の指導者を見つけるのは簡単じゃない。高野彬夫には目星を付けていたのですが、彼はまだ6月にHCに就任したばかりだった。だから、1年以上は一緒に伴走して次に繋げたいと考えたんです。4シーズン目が終わる前くらいに、OB会にもそういう相談をしたんです。後は、リコー側が(5年目を)了承してもらえるかでした」

 最終的にはOB会、出向元のリコーも理解を示してくれた。「任期5年」と書いてきたが、神鳥監督自身は1年目が6月からの指揮だったこともあり1年の延長には前向きだったことで、2025-26年シーズンの続投が決まった。

【5年目/2025年シーズン】
対抗戦:6勝1敗(1位) 大学選手権:決勝〇22-10早稲田

「個人的には、木戸(大士郎)主将(現BL東京、No8)ら前シーズンの4年生たちが残してくれたメンバーが結構いました。だから、それをベースにしっかり上積みしていければ十分狙えるチームだと思っていましたね」

 前年度の最終戦となった帝京大との大学選手権準決勝のメンバーをみると、3年生以下の選手9人が先発出場していた。その中に、HO西野帆平、SO伊藤龍之介、FB竹下仁吾、このコラムでも紹介したFL最上大尊という学生トップのポテンシャルを持つ選手がいたことで、新シーズンの戦力面での期待は大きかった。

 だが、準公式戦と位置付けられる春シーズンの関東大学春季大会では、自信を持って挑んだ帝京大戦を0-35とよもやの零封負け。対抗戦開幕前の8月には、未成年者を含む部員の飲酒問題が発覚するなど不祥事も起こした。期待度からすると“順風”とは言えない状態で秋の対抗戦を迎えると、開幕の筑波大戦を24-28で落とすと、伝統の慶應義塾大戦は24-22で乗り越えたものの、相手の判断ミスがなければ敗れていた内容だった。

 この敗戦に等しい辛勝の後に、選手たちがより“腹を割った”ミーティングを繰り返してチームも変化したことは、大学選手権優勝までの報道で何度も取り上げられた。だが、取材者として25年シーズンの戦いぶりを見てきた中で、このチームが大学日本一まで駆け上がれたプレー面での転機は、帝京大戦だったと考えている。7-10と3点ビハインドで迎えた後半20分過ぎ。敵陣でのPGも十分射程だった位置でのPKで、チームはゴールを狙わずタッチキック→ラインアウトからFW戦でトライを奪い取った。

 伝統的にFWに強みを持つ明大だが、この10年近くはBKにもトップ選手が集まり、逆にFW戦ではライバルの早稲田、帝京にも接点、スクラムで重圧を受けることも珍しくなかった。この日のロースコア、僅差の展開では、残り時間も踏まえて射程距離のPGで同点という選択もあったが、CTB平翔太主将は迷わずタッチキックからのFW勝負を選び、トライを獲り切った。どんなに時代が変わり、スタイルの変容が求められても、自分たちの拘るもの、矜持を持って戦う姿勢をブレずに貫いた選択に、期待される中で究極の結果には辿り着けなかった「これまで」にない意志と逞しさを感じ取った。

 神鳥体制の5シーズンで対抗戦では初めて帝京を21-17で下すと、勝ち負けを繰り返してきた早稲田もFWのフィジカルで優位に立ち25-19で乗り越えた。その勢いのまま大学選手権も勝ち上がり、決勝では「連勝は出来ない」と言われてきた早稲田との再戦も制してチームとして7シーズンぶり、神鳥監督にとっては初めての頂点に登り詰めた。

明大ラグビー部が今も鍋料理を積極的に取り入れる深い意味

 神鳥監督が指揮した5シーズンを振り返ると、対抗戦、大学選手権で負けた相手は昨季の筑波大(対抗戦)の1敗以外は早稲田と帝京の2チームだけだった。この2校との5年間の対戦成績は早稲田と4勝3敗、帝京とは1勝7敗になる。ここまでの5年に限れば、議論はあるが大学選手権優勝は勿論、決勝戦進出チームもこの3校が独占する。

「今の大学ラグビーの勢力図をそのまま表しているというのが率直な印象です。他にも力を付けているチームはありますが、自分たちが本当に優勝を意識した時に必ず立ちはだかるのがこの2校です。振り返ってみると、この2チームに勝つことで優勝のチャンスが出て来るのだろうなと思います。多くの学びがあった対戦でした。監督だった5年間は、帝京を軸に僕たちと早稲田がそこにチャレンジしてきた。伝統校のライバルという観点では早明戦がすごく刺激になりますが、帝京大は、学生たちが成長するためには欠かせないチームだと思います」

 その早稲田、帝京を最終シーズンに倒して、指揮官としては最高の結末で終えた5シーズン。監督を続ける中で感じた大学ラグビーの価値を聞くと、戸惑うことなくこう答えた。

「学生たちが、いかにラグビー部に来て良かったと思ってもらえるかです。ラグビーも大事ですけれど、4年間でかけがえのない思い出を作る。それが大事だなと考えていました。同じ監督をやっていても、リーグワンと大学での大きな違いの一つはここだと思います。最近、僕の同期の仲間17、8人くらいが集まってくれたんです。その時に、俺らが強かったとか、あの試合どうだったかとか、ラグビーの話は一切しなかった。寮での生活や、皆で遊びに行った時の出来事、些細な事件とか他愛のないことばかり話していたんです。今の部員たちにも、いかに学生生活を充実させられるかが大事だと思っています」

 勝つことだけに価値を置かない考え方は、食事にも反映されている。明大ラグビー部では伝統的に鍋料理も積極的にメニューに取り入れられているが、神鳥監督には感染症を不安視する意見もあるという。

「特に大きな試合の前は控えた方がいいとも言われます。でも、明治では、ずっとメニューにしています。鍋を皆で突っつくことが、部員同士の距離を縮めてくれるし、いつか仲間と集まった時に、こんなことあった、あんなこともあったという思い出を残してあげることも大事だと思うんです。その時に、鍋を一緒に食べたこともきっといい思い出になる。勿論、いい思い出の究極が優勝だと思うけれど、優勝だけが全てじゃない。大学の監督を経験させてもらって、人間形成じゃないけれども、長い人生の中での4年間を、より濃密に感じてもらえるかを意識出来る指導者じゃないといけないと、改めて教えられました」

 では、監督を経験したことで感じる明治大学ラグビーとは、どんなチーム、どんな存在なのだろうか。

「学生にはいろいろな所で言っているんですけど、“一番良かった”にはなってほしくないんです。『明治の時は良かった』とか『あの4年間は最高だった』という、そんな人生は送って欲しくない。おそらく、その時その時で素敵なことは沢山あるだろうし。でもあの4年間に替わるものはないなと、そういうものですよね。僕の中で選手としての4年間は他に替え難い特別な経験でしたし、47歳から51歳までの5年間で、またかけがえのない経験をさせてもらいました。ただ、学生たちには、あの時が良くて、それを励みに生きて行くだけの人生はつまらないですから」

 言葉から浮かび上がるのは、この名門ラグビー部監督の5年間の仕事は、「結果」を求めてきたのは勿論だが、それ以上に「育成」を大切にしてきたことだ。才能あふれる選手を、さらに次のステージでも輝けるように育てる。チームの活動中でも、代表合宿に呼ばれた選手は極力参加させているのも、そんな育成視線が背景にある。一発勝負の大会ばかりの日本の学生ラグビーでは、どうしても指導者が結果優先の考え方になる中で、メインストリームを進んできた伝統校の監督が、選手たちの「その先」を踏まえた眼差しを持って挑戦を続けてきたことに価値がある。

 最後に、これからの明治大学ラグビー部に期待することを聞くと、悪戯っぽい笑顔で、こう語った。

「勿論2連覇ですよ! 僕が監督の時は『勝つ』とは言わずに『練習通りやる』と話していた。でも、いちOBとなったら『勝て』と言いますよ。でも、それは今のメンバーが力をしっかり発揮出来れば可能だからこそ言うんです。明治がまだ達成したことのない3連覇までいってほしいですね」

 神鳥監督以上に真面目な高野新監督にとっては重荷となる激励だが、選手層、強化環境を考えると、“目線”は最上の位置に据えていいはずだ。神鳥監督の5年間の仕事をどう継承し、どう高野カラーを滲ませるのか。新たな挑戦は既に始まっている。

(吉田 宏 / Hiroshi Yoshida)

吉田 宏
サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。