悲報。ますます進む「格差の拡大」…「資産運用なんて知らなくて上等」と豪語していた編集者が、「金融プロ」の告白に心動かされたワケ
1963年に創刊されて以来、「科学をあなたのポケットに」を合言葉に、これまで2000冊以上のラインナップを世に送り出してきたブルーバックス。本連載では、そんなブルーバックスをつくっている編集部メンバーによるコラムをお届けします。その名も「ブルーバックス通信」。どうぞお楽しみください!
金融のプロは何を根拠にアドバイスしてくるワケ?
「一生、資産運用なんて考えなくても普通に幸せに暮らすことができる、そんな人生があってもよいじゃないか……」なんて本音では思っているわけです。
昔々、社会勉強のつもりで株式投資を始めてみたのですが、株価が気になりすぎて勤務中に何度も相場サイトを眺めてしまったりと、できない仕事がますますできなくなる、絶対自分には向いてないと思ってスッパリ縁を切りました。
でも……、定年後の自分のこと、家族のことなどを考えると、あまりに疎すぎるのも何かなあ、という気にもなり、数年前から会社で行っている確定拠出年金に切り替えたりもしてみました。そうすると今度は「迷ったらインデックス投資とかいうけど、それはなんで?」とか、「金融のプロっていったい何を根拠に俺たちに(偉そうに)アドバイスしてくるワケ?」とか思うようになりました。
だって、「自分がしくみを理解できないものに投資をしてはいけない」とか言うじゃないですか。
ことほどさように投資や資産運用に興味がなかったのですが、ひょんなことから『金融数学入門』という本を担当することになり、無事に出版できることになりました。
金融数学という世界の構造全体を俯瞰する
「オマエが担当した本だから、ここで過剰にPRしようとしているのだろう」と思われるかもしれません。はい、半分はそのとおりですが、半分、いや半分以上は「ちょっと違う」と言いたい気持ちです。
編集者としての自分の力とは関係なしに、「すごくよい本ができてしまった」とでもいいましょうか……。
もちろん著者である冨島佑允さんの力が9割9分以上です。冨島さん、大学院で物理学を修めたあと、金融の世界で働く、いわゆるクオンツ(数学や物理学などの数理的手法を用いて金融商品などを分析する専門家)です。数学・物理学のわかりやすい本をすでに何冊も出している、そのうえ物腰もとても柔らかで誠実な、要するに「ぜんぶすごい人」です。
でも、この文章で言いたいのはそこではないのです。
この本、『金融数学入門』をすべて理解するには、確率論、統計学、微積分学、数値解析など、やはりまとまった数学の力が必要です。
ただし、私のように数学の知識もなく、資産運用についてさほど興味のない、そんな人間にも、「金融数学、ひいては資産運用という世界の構造の全体を俯瞰する」には最適の1冊に仕上がったということをことさらに申し上げたいのです(くどいですが、編集者である私の意図ではなく、それ以外の要素がすべてキレイにハマったということなのだと思います)。
今から、私の拙い文章でその構造について語ってみましょう(私の解釈なので、少し間違ってるかもしれません。その点はご容赦ください)。
たった1つの基本原理
著者いわく、「現在の金融・資産運用の世界は、おもに3つの柱で成り立っている」と言います。
金融商品の理論的な価格を推定するための「プライシング理論」
限られた資産をどこにどれだけ配分すべきかを判断するための「ポートフォリオ理論」
運用とリターンのブレを定量化・コントロールするための「リスク管理」
そして、それらの理論の大前提として、たった1つの基本原理である「無裁定条件」(リスクなしで確実に儲かる機会[=裁定条件]はこの世に存在しない)があります。
基本的な構造はこれだけだと著者は語ります。まあ、なんと美しい。
上記3つの柱についても、冨島さんの説明は(数式はともかく)きわめて明瞭です。
いや訂正します。数式があるからこそ、より明瞭になるのですね。失礼しました。
1. のプライシング理論とは、ディスカウンテッド・キャッシュ・フロー(DCF)法が基本となります。「金融商品をすべてお金の流れ(キャッシュ・フロー)に置き換える」というもので、これを使うと株式・社債から、先物・オプションにいたるまで、すべてを「お金の流れ」に換算できてしまう、つまり理論的な値付けを行うことができる、という優れモノです。
つまり、世の中の金融商品を「これは高いな」「安いな」とある程度判断できてしまうわけです。
リスク性資産を保有するベストの割合とは
2. のポートフォリオ理論、この理論では、CAPM(資本資産価格モデル)や、APT(裁定価格理論)という2つの武器が登場します。いずれも分散投資の専門家の間では共通言語になっているそうです。
そのCAPMから生まれた結論が「リスク性資産は、『市場ポートフォリオ』と同じ構成比で保有するのがベスト」というものでした。市場ポートフォリオとは「市場に存在するすべてのリスク性資産を時価総額に比例する割合でもった状態」です。
これ、インデックス投資とつながりますよね。このように「あ、資産運用で勉強したあのことってこうやって金融数学と結びついているんだ」ということがわかって快感です。
ちなみにCAPMやAPTは金融の世界の要素をかなり簡略化・抽象化していますが、 現在の実務ではそれらを土台として、資産価格に影響を与えうる複数の要因(ファクター)を抽出して分析する「マルチファクターモデル」が広く使われているということでした。
3. のリスク管理は、結局のところ「リスクのないところにリターンはない」という大前提から始まります。つまり、リスクの管理、マネジメントこそが、リターンを生み出す唯一の道だというわけです。
「そんなことはない、世の中には“絶対儲かる”情報を誰よりも先にキャッチした一部の連中だけが儲けまくっているのだ」
と反論される方もおられるかもしれませんが
「市場価格は、すでにすべての公開情報が織り込まれているので、市場平均以上のリターンを狙える“必勝法”は存在しない」(効率的市場仮説)
そして、
「”効率的市場仮説は概ね成立している”というのが大方の見方である」
と著者は説きます。
「ただし」と、著者はさらに続けます。
「市場に乗る」か、「市場を出し抜く」か
効率的市場仮説は「利用可能なすべての情報はすでに価格に織り込まれている」という考え方であり、これを強く信じるのであれば、個人や機関投資家が市場を出し抜いて継続的に超過リターンを得ることはほとんど不可能、という帰結に至ります。そのため、多くの金融の教科書は「市場に乗る」、すなわちインデックス運用を推奨し、個別銘柄選択やタイミングを狙ったアクティブ運用には懐疑的な態度を取ります。
しかし、金融の世界に身を置く投資のプロたちは、ここで大きなジレンマに直面します。実を言うと、私もその一人です。
私は現実の金融機関の現場で、まさに「市場を出し抜く」ことを目指し、日々試行錯誤しています。特に近年はAI技術を活用し、膨大なニュースデータや決算情報などの非構造化データを解析し、株価リターンを予測するアルゴリズムの開発に力を注いできました。AIによる情報処理能力が人間の直感や伝統的なファンダメンタルズ分析を凌駕しつつある今、果たして市場は本当に効率的なのか、あるいは未だ裁定機会や超過リターンのチャンスが残されているのではないか――。そんな問いと格闘しながら投資戦略を磨き続けています。
(『金融数学入門』208〜209ページより引用)
投資や資産運用なんて、温かい血の通った人間の世界とは真逆な非人間的な世界の話かと思っていたのですが、著者のこうしたストレートな「告白」を聞いてしまうと、なんかこうロマンのようなものを感じてしまいます。編集者の職業病でしょうか。
最後に本書は、誰もが一度は耳にしたであろう「ブラック・ショールズ方程式」の直感的な理解という、なかなかに大きなチャレンジを行います。
オプションの価格を決めるために必須のこの方程式に関する記述は、本書の中でも最も難しい(難しそう)な個所ですが、ぜひご一読をおすすめします(私でも「あ、一瞬見えた!」と感じました。興奮しました)。
本書を編んだ後でも、この文章の冒頭で申し上げた一文に対する思いは変わりません。しかし、中間層の縮小(二極化の進行)という世界のトレンドがこのまま進んでいけば、今後ますます厳しくなるであろうこの時代に、金融のしくみを概容だけでも押さえておくことは、決して無意味ではないはずと思っています。
この本の編集に携わることができて本当によかったと思っています。
(H.A)
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