『名探偵コナン 隻眼の残像』は悲喜こもごもな大人向けの傑作 “ネタバレなし”で魅力を熱弁
4月18日に公開された劇場版『名探偵コナン 隻眼の残像』。全国各地で行われた深夜の最速上映のチケットは2024年公開の『名探偵コナン 100万ドルの五稜星』より早く売り切れ、公開初日も都内では1日30回以上も上映する劇場も(TOHOシネマズ 新宿は39回)。例年に増して期待の高まりが伺える本作、いち作品のファンとして最速上映に参加した筆者がレビューを綴る。
参考:『名探偵コナン 隻眼の残像』は何を押さえておけばいい? 長野県警&重要要素を徹底解説
■『瞳の中の暗殺者』×『水平線上の陰謀』な作品 劇場版シリーズは、第25作『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』のタイミングから初期の劇場版のオマージュが順番に展開される作りになっていることは、これまでもファンの間で囁かれてきた。例えば『ハロウィンの花嫁』では爆弾や赤と青、主題歌「キミがいれば」が第1作の『名探偵コナン 時計じかけの摩天楼』を思わせる。そして第26作の『名探偵コナン 黒鉄の魚影』では第2作の『名探偵コナン 14番目の標的』のように海(海中施設)が舞台、人工呼吸シーンなどのオマージュが。そして第27作『100万ドルの五稜星』は怪盗キッドと服部平次が初めて映画に登場した第3作『名探偵コナン 世紀末の魔術師』を彷彿とさせるように、彼らがメインとして宝(エッグ・刀)を奪い合う、そこに隠された真のメッセージに迫る作品になっている。
そして最新作である第28作『隻眼の残像』は、言わずもがな第4作『名探偵コナン 瞳の中の暗殺者』のオマージュがふんだんにちりばめられているのだ。犯人を目撃したものが記憶喪失に陥って犯人から命を狙われるというプロットや、『瞳の中の暗殺者』で映画初登場をした佐藤美和子が本作でも活躍する、すなわち警察組のキャラクターが中心となっていること、何より当時白鳥警部が言った「Need not to know」が『隻眼の残像』でも公安の降谷零による「そこまで君が知る必要はない」というセリフに呼応している。
加えて、やはり毛利小五郎が主人公の作品として『名探偵コナン 水平線上の陰謀』要素もかなり強い本作。これまで何度も本編や劇場版『名探偵コナン 14番目の標的』で語られてきた小五郎の銃の腕前、そして『水平線上の陰謀』で描かれた元刑事であり探偵として犯人を“眠らずに”追い詰めていく姿が魅力となっていて、作品全体のトーンを彼の存在感が落ち着かせる役割を果たしている。
■地に足のついたミステリーヒューマンドラマとして 本作は前作『100万ドルの五稜星』とは打って変わって、初期の『名探偵コナン』作品を彷彿とさせる、純粋なミステリーでありサスペンスだ。しかしそこにヒューマンドラマの色が濃くのっているのは、表立って活躍するキャラクターが皆“大人”だからかもしれない。
本作では小五郎が警視庁時代の同僚を殺され、その事件の真相を突き止めるために佐藤美和子と高木渉の捜査に同行し、長野へ向かう。その際にコナンがいつものようについていこうとするのだが、小五郎は「ついてくんな。遊びじゃねぇんだ」と断固として彼を置いていこうとする。このセリフは本作の中で複数登場していて、その度に小五郎が一貫してコナンにとって大人(保護者)の立場でいようとしているのがわかるのだ。それと同時に、これまでは何だかんだ現場についてきたコナンが冴えた一言を言うので、自分もつい話を聞いてしまうような関係性だったのに対し、本作はあくまで自分の親友を殺した犯人、そして事件は自分が解明させたいという強い意志を感じるのだ。何より小五郎役の小山力也の演技が素晴らしい。冒頭で小五郎が目の前で親友を失った際の叫び、そしてクライマックスの活躍まで本当に幅広い小五郎を私たちに見せてくれた。
そんな小五郎のドラマと併行して、長野県警組のドラマが展開される。正直、本作の評価が割れそうな要因は、この長野県警組をどこまで知っているかによるところにありそうだ。毎年劇場版だけを鑑賞している観客にとって、彼らはあまり馴染みがない。それゆえに事前のプロモーションで“長野県警セレクション”と題してNetflixなどで彼らの登場回をキュレーションし、多くの人に長野組を知ってもらおうという公式の意図があった。しかし、贔屓目を差し引いても、一応劇場版の新設設計として劇中「風林火山」などの重要なエピソードに触れられている。そして本作を通して初めて彼らを知ったとしても、3人それぞれがわかりやすくキャラクター付けされていること、そして何と言っても3人の魅力が大爆発しているので、観ていて好きになれる存在だと思うのだ。
余談ではあるが、長野県警のエピソードを観るとわかるように、彼らのシリーズは基本的に話が凝っていて面白い。緻密に練られたプロット、そこに関わってくる引用、犯人の動機などずば抜けてよく書かれている。それは長野組の大和敢助と諸伏高明がコナン(工藤新一)並みの推理力を持っているからで、彼らが物語の推進力となっているからかもしれない。そんな作風が『隻眼の残像』にも引き継がれていたように思える。ド派手な演出も抑えられていて、人によっては地味に感じるかもしれないが、だからこそ味わい深い要素が本作には溢れているのだ。
■江戸川コナンと毛利蘭は“共犯者”に さて、そこで気になるコナンの立ち位置だが、本作では劇場版の中でも珍しいくらいコナンは主人公でありながら“脇”に徹している。もちろん彼自身はいつも通り犯人と対峙し、推理をするのだが、珍しいことに本作では序盤に一度犯人に“負けている”。目にわかりやすく痛みを追い、傷だらけの体で悔しがるコナン、そしてボロボロになったスケートボード。彼の最も強いアイテムの一つが、この序盤を最後にそれ以降登場しないことには非常に驚いた。そういったところからも、本作のコナンがいつもとは少し違う雰囲気を持っているのだ。
普段から最強の彼は、劇場版になれば余計頭脳や身体能力において比類ない力を発揮する。それゆえに私たちは彼が全部どうにかしてくれるだろうと安心してシートにゆったり腰掛けているのだが、今回はそんな彼でもどうにもならないことが多く登場する。それが先述の小五郎が“大人”であり、コナンが“子供”としての作品であることに繋がっていくのだ。
しかしそこで興味深かったのが、毛利蘭が今回“子供”として作品内で立ち回るコナンの“共犯者”として活躍する点だ。本来なら蘭も小五郎と一緒にコナンを叱る立場にいたが、今回はその小五郎が1人で前を突き進んでいる状態。娘としては、やはり心配だし放って置けないので、コナンとともに小五郎に近づこうとするのである。
劇場版の蘭といえば、やはりピンチに巻き込まれて「新一……!!」「ラーーーーン!!」のやり取りがお決まりであるが、本作はクライマックスでも蘭とコナンが“助け合って”その場を切り開いていこうとする。救い、救われるだけじゃない、新しい2人の関係性が非常に魅力的で、改めて本作における蘭の重要性を実感する。特に予告編でも描かれている、犯人と戦闘するシーンは圧巻で、その際に勇気を出した小嶋元太と円谷光彦にもエールを贈りたい。いつも子供が殺人現場をウロウロする作品だからこそ、子供がちゃんと子供なりに怖い思いをするシーンは本当に大切な気がするのだ。
■兎にも角にも長野県警、警察の大活躍! さて、とは言ってもやはり本作は兎にも角にも長野組。本作を機にぜひ、長野組の魅力に触れていただきたい。特にカッコよすぎる男、敢助と由衣の恋に注目だ。アニメでは言及のあった敢助の雪崩事故、そしてその間の由衣の結婚について車内で繰り広げられる会話は、正直『名探偵コナン』史上最も大人なやり取りの一つと言っても過言ではない。
そして高明。彼は敢助の雪崩事故の際にも、犯人を追い詰めるため無茶な捜査をし、所轄に飛ばされたことがアニメでも言及されていたが、予想通り本作でも十分に無茶する。まさに九死に一生を得るシーンの緊迫感が凄まじく、その場に居合わせた敢助と由衣、それぞれの声優である富田裕司、小清水亜美の演技が素晴らしい。もちろん、高明役の速水奨も素晴らしく、ある重要なシーンで普段はあまり表に出さない高明の感情が伝わるような繊細な演技をされていた。
そして今回、想像以上に“高佐”こと高木と佐藤も活躍する。彼らが警察としてのプライドを見せるとあるシーンは、漫画・アニメ本編で佐藤がかつて焦がれた松田陣平を殺した犯人を追い詰めた時のことを思い出させるもので、高木と佐藤が言うからこそ意味の深いセリフも登場する。そのため、本作はかなり警察寄りの内容で事件の発端にもそれが関わってくる。そして、そこに暗躍する公安。降谷零の部下である風見裕也も想像以上の活躍を見せてくれるので、必見だ。車内の中にあった夥しい数のコーヒーを見て、彼の苦労を窺い知る。その苦労メーカーでもある上司の降谷零の“恐ろしい”一面も本作で描かれていた。
なお、本作にも割と多くの劇場版にはオリジナルキャラクターが登場するが、中でも東京地裁から派遣された捜査本部付きの検事・長谷部陸夫はなかなか興味深い登場人物だ。『100万ドルの五稜星』の福城聖や『黒鉄の魚影』のピンガなどを彷彿とさせる、情報が少ないのに人気になるポテンシャルのあるキャラクターに思える。
■“成り代わり”と“喪失”がキーとなる 最後に、あまり本作の核心に触れないよう筆を進めてきたがテーマについては軽く言及したい。本作のテーマは“喪失”だ。誰もが皆、大事な人を亡くしたり、失いそうになったりする。そのような場面で溢れる想い、それが人にどんな力を与えるのか。そんなことについて、本作は描いている。キーワードは“成り変わり”。実は過去の本編でも言及されていた、とある事案が本作の大きな軸となっていく。しかし、どれだけ何かに成り変わっても自分からは逃れられない。そんな自分にどう向き合うべきなのか、という問題も提起する本作。敢助と由衣の恋愛シーンにしろ、劇中に何度か我々に「じゃあ、あなただったらどうしていた!?」と投げかけられる質問。それに簡単に答えられないからこそ、本作の描くビタースイートな大人の物語が一層趣深いものに感じるのだ。(文=アナイス(ANAIS))
