「1998年の宇多田ヒカル」著者が語った”音楽ビジネスの頂点と現在地” - BLOGOS編集部
※この記事は2016年03月07日にBLOGOSで公開されたものです
日本の音楽史上、最もCDが売れた1998年。奇しくもこの年、今なお活躍する宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみが揃ってデビューしていた。この4人の17年間を追うことで、日本の音楽業界が置かれた現状を浮かび上がらせた意欲作『1998年の宇多田ヒカル』(新潮新書)の著者、宇野維正氏に話を聞いた。【大谷広太・永田正行(編集部)】■1998年 - "狂乱の時代"の最後の年
ーサブカルチャーの文脈で「1995年」が語られることは多いと思いますが、本書のタイトルにも入っている「1998年」とはどういう年だったのでしょうか。宇野:1998年は、宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみ、MISIA、鈴木あみらがデビューした空前の女性シンガーの当たり年でした。中でも、宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみに関しては、かなり以前から4人は"同期"なんだという意識を持って見てきました。
そして、もちろんこれは後になってから判明することですが、この1998年は史上最も日本でCDが売れた年なんです。1999年、2000年の時点では「少し下がってきたかな、でもまた上向くかな」という感覚がありましたが、ゼロ年代も半ばに入ってきた頃には、そのことが明白になりました。
もしかしたら今の若い人たちには想像も出来ないかもしれませんが、当時は音楽を聴こうと思ったらCDを買うほかなかったんですよ。まだYouTubeも配信もありませんし、その頃には自分より上の世代が若い頃によくやっていた、ラジオをエアチェックするという文化も無くなっていました(笑)。
また、カラオケが若者のコミュニケーション・ツールの中心にあった時代で、CDに入っている"オリジナル・カラオケ"バージョンを聴きながら歌詞カードを見て歌う、ということを多くの人がしていたんですよね。レンタルCDショップには、8cmシングルの歌詞のコピーが置いてあったり(笑)。最近活躍されている、20代の女性作詞家に取材をした時も、10代の頃にレンタルショップで歌詞のコピーを全部もらってきて片っ端から書き写していたと言っていました。
ー2001年にiTunesが出て、ジャケットを並べたり、歌詞カードを見たりする機会も減りましたね。
宇野:そして音源のダウンロードやYouTubeやiPhoneが普及し…という時代がやって来るわけですが、そのようなことが起きる前の"CDの時代"だったからこそ、たくさんのお金がレコード会社にも回っていて、今では考えられないほど盛んに新人の発掘や青田買いが行われていました。それこそ「絶対メジャーではやれないよな」というようなアーティストまでメジャーからCDが出せて、そこにそれなりのプロモーション予算が付いていました。1998年は、そんな音楽業界の"狂乱の時代"の終焉が始まった年だったのかもしれません。
実際に、この1998年あたりで、その後の音楽シーンを牽引していく主要な登場人物も大方出揃い、そこで音楽業界の時計が止まってしまった感があるんですよ。その理由の一つには、その頃からレコード会社や事務所の力が強くなりすぎて、音楽メディアが機能しなくなったことが挙げられます。
1999年以降にデビューして大きな成功を収めたバンドも何組かいますが、彼らはテレビにも出ず、雑誌も決まったものにしか出なかった。それによって、狭い村の中で熱狂的な支持を生み出してきたわけですが、彼らと比べると、ずっと大衆に向き合ってきた宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみはタフだったと思います。いわゆるロキノン系とも揶揄されてきた、いくつかのバンドのような狭い村の中でお山の大将になるというやり方は、一見違うように見えて、実はAKB、EXILE、ジャニーズがやっている“自分たちだけの帝国”の中だけでファンを循環させて、他との繋がりを分断してしまう、その構造とあまり変わらないと考えています。
で、この構造を意識的に壊そうとしているのが、近年台頭しているSEKAI NO OWARIやゲスの極み乙女。なんですよね。このままでは市場はシュリンクしていくだけだと、意識的に文化のハブ的な存在になっていくアーティストが出てきています。サカナクションやPerfumeはその先駆的な存在と言えるでしょう。2010年代に入って、そういう人たちがようやくたくさん現れてきたという感じがしています。
ーある種の流行歌というか、老若男女が口ずさむような歌が再び生まれつつあると。
宇野:CDの売上だけで言うとゼロ年代の頃のBUMP OF CHIKENやRADWIMPSの方が上ですけど、"流行歌"という意味では彼らは『Dragon Night』や『私以外私じゃないの』みたいな曲を出せなかった。だから、音楽シーン全体の健全さという意味では、ゼロ年代と比べて、10年代には個人的に希望を持っています。
■デジタルによる"民主化"は、クオリティには繋がらなかった
ー音楽だけではなく、書籍・雑誌も、かつて凄く売れた時代があり、そのため予算も付いたからこそ出版社が作家やライターを育てることが出来ていたわけですよね。宇野:興味深いのは、そんなデジタルの時代になって世界で何が起きているか、ということです。
例えば、2013年に最も注目されたDaft Punkの『Random Access Memories』(2014年の第56回グラミー賞「最優秀アルバム」を受賞)というアルバムがありました。ここで彼らが何をやったかというと、往年のミュージシャンたちをスタジオに呼び、莫大な予算をかけてアナログ・レコーディングを行ったんです。この時代に、皆がやりたくてもやれないことを意図してやってみせ、それが時代を最も象徴する作品になったということです。
同じように、2014年の末に出たD'Angeloの『Black Messiah』(2016年グラミー賞「最優秀R&Bアルバム」受賞)も、ものすごく時間をかけてアナログ・レコーディングをし、ジャンルも飛び越え、最先端のジャズ系のプレイヤーなども招集してセッションを重ねることで、デジタルでは絶対に出せないグルーヴを創りだしています。
これは映画でも同様です。一番わかりやすいのが昨年末に公開された『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』でしょう。これはデジタル時代の象徴だったジョージ・ルーカスの新三部作とは真逆のロケ中心。撮影で実物大のミレニアム・ファルコン号を使ったりしていますよね。また、ポール・トーマス・アンダーソンやクエンティン・タランティーノなど、実力があって作家性の強い監督ほど、デジタルのカメラではなくフィルムにこだわって撮影していることにも表れています。
要するに、この時代における突出した表現というのは才能とお金と時間の掛け算でしか生まれないということが、ここ3、4年でわかってきたんですよね。その結果、見直されているのがアナログの質感と人と人のセッション感なんです。これに皆が気付き始めたのが2010年代なんだと思います。
日本ではその象徴が椎名林檎かもしれません。一般的には"我が強いアーティスト"というイメージを持たれているのかもしれませんが、彼女は常にスタジオやライブでの他のミュージシャンとのセッションによる"化学反応"の尊さを意識していて、「それこそが全てなんだ、そこで起きることがこの国の文化にとって大切なんだ」ということを表現しようとしているように見えます。
ーリスナーの姿勢も、音源を聴くことから、生演奏やライブに回帰している雰囲気はありますよね。アーティスト本人たちとしても、やっぱり生のストリングスをバックに演奏したいよね、といったような。
宇野:ライブに回帰しているのもまさにその表れなんです。ボカロPの人たちというのは確かにインターネットを通じて出てきたけれども、米津玄師のように世に出た後はバンドを組んでライブをやったりするわけです。やはり、それが多くの表現者にとって一番やりたいことなんですよね。
結論を言えば、デジタルというのは表現者にとっての"民主化"だったわけですけれども、必ずしも表現のクオリティの向上には繋がらなかったと僕は思っています。デジタルによって表現が開かれた、というのは一面では事実だけれども、かなりの部分では幻想だったなと。
■宇多田ヒカルの復活に注目
ービジネス優位の時代なんだと考えれば、「こういうのを出せばファンも喜ぶし、売れる」ということがわかっている状態で、アーティストがアウトプットを変化させづらい部分もあると思います。宇野:宇多田ヒカルが2010年に活動休止を発表した時、メディアは「人間活動」という彼女の言葉のキャッチーさに引っ張られましたが、あれは「普通の女の子になりたい」というキャンディーズみたいなことを言ったのではなくて、"新しい音楽を作るために人間らしい生活をしたい"とちゃんと言っていたんですよ。彼女は今、まだ33歳になったばかりなんですよね。椎名林檎だって、まだ37歳です。古今東西の表現者を見ればわかるように、表現者としてのピークはむしろこれからなんですよ。きっと彼女たちは現在進行形でも膨大なインプットをしているでしょうし、優れた表現者であるならば、本来は変化して当然じゃないですか。
そういう意味では、変化しなくても良い、それが許されるのはaikoくらいじゃないですか(笑)。それがaikoの"天才性"というか一番の凄みなんですよね。もちろん彼女の音楽も少しずつ変化はしているんですが。
ー1998年を境に売上面で衰退している音楽業界について、今後どうなると見ていますか。
宇野:厳密に言うと、音楽業界というよりも"レコード会社”の衰退、ということでしょうね。
よく指摘されるように、コンサート収入や物販収入は年々増えていて、ビジネスの形が変わっているだけなので、CDに代表される、音源を販売することによって成り立っていたビジネスが限界にきているだけです。例えば海外では、サムスンがリアーナのスポンサーになったことで、彼女は音源をタダでばらまいても、ツアーでの莫大な収益と併せてビジネスとして拡大していけるわけです。そういう新しいビジネスモデルは世界中で生まれてきています。ビジネスのパートナーはファンではなく、企業でもいいし、場合によっては国でもいいのかもしれない。
だから、そんな時代に、日本で最も売れたCDの記録を持っている宇多田ヒカルが復活するというのはとても興味深いことだと思います。私生活をふまえるとライブをやれる環境が整うのはまだ先になると思いますが、この2016年に宇多田ヒカルが何を見せてくれるか。あの宇多田ヒカルをもってしても、かつてのようにCDが売れることはないかもしれない。彼女は既に2012年の『桜流し』ではデジタル配信・DVDシングルのみにしたことで”もうシングルヒットチャートの土俵には乗らないよ”というメッセージを出していました。宇多田ヒカルの今回の復活で、「もはやCDのセールスは何の基準にもならない」ということが決定的になるかもしれません。で、むしろそれは良いことだと思うんですよね。
さすがにアルバムではCDのフォーマットでも出すと思いますが、NHKの朝ドラ主題歌という現在考えられる最強のタイアップ(4月4日放送開始の「とと姉ちゃん」)で、もしシングルCDを出なかったとしたら、それもまた音楽シーンへのメッセージとして受け止めるべきでしょうね。(後編『「1998年の宇多田ヒカル」著者が語った"音楽ジャーナリズムの危機"』へ)
(うの・これまさ)
1970(昭和45)年、東京都生まれ。映画・音楽ジャーナリスト。「ロッキング・オン・ジャパン」「CUT」「MUSICA」等の編集部を経て、現在は「リアルサウンド映画部」で主筆を務める。編著に『ap bank fes official document』『First Love 15th Anniversary Edition』など。
・宇野維正×常見陽平×柴那典「”奇跡の1998年”から”激動の2016年”へ 。Jポップの未来はどこにある?」『1988年の宇多田ヒカル』刊行記念 -本屋 B&B
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