「これは、指の一部です」「肉が縮まり、骨がよく見えました」裁判員制度開始直前に生まれた異様すぎる裁判 から続く

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 2008年に起きた江東区マンション女性バラバラ殺人事件。2009年1月に開かれた公判では、同年5月から開始される「裁判員制度」を見据え、「目で見てわかりやすい審理」が行われた。しかし、これまでにない立証は、法廷をどんどんと異様なものへと変えていった。

 法廷で傍聴していたジャーナリスト・青沼陽一郎氏は、その当時の異様さを次のように語っている。著書『私が見た21の死刑判決』(文春新書)から一部を抜粋して紹介する。(全2回中の2回目。前編を読む)

◆◆◆

次々に退廷する遺族と唐突に叫んだ被告人

 その瞬間だった。傍聴席の前から3列目に座って、身体を震わせていた遺族の女性が、ひじ掛けからガクン、と腕が外れるように崩れ落ちる。隣の男性がこれを支え、裁判所の職員もそこに駆け寄る。そのまま女性は法廷の外に出る。

 すると、もう一人。今度は最前列に座っていた女性が、前に大きくうなだれていった。隣の男性に促され立ち上がると、やはり駆け付けた裁判所の職員といっしょに退廷する。

 直後に扉の向こうから絶叫するような女性の泣き声が聴こえ、法廷中に響き渡った。法廷内にも、耐えかねたすすり泣きが聞こえる。

 胸が詰まるような雰囲気の中で、検察官の尋問が進む。

 ──切り口から、血が出ることはありましたか。

「ありました」

 ──流れた血はどうなりましたか。

「そのまま排水溝の中へ……」


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 そのあたりで、速記の都合で尋問が一時中断する。異様な空気の中で、沈黙が一瞬支配する。すると、まるで別世界に心があるように、星島が唐突に叫んだ。

「絶対、死刑だと思います!」

 驚いたのは検察官だった。一瞬たじろぐも、すぐさまきつい口調で、

「質問されてないことに、答えなくていい!」と一喝するのだった。

 やがて、両脚、両腕を胴体から切り離し、そこからさらに肉を剥ぎ、俎板の上でこまかくしながらトイレに流していく様を、証言と画像で具体的に再現していく。

 さすがに、こうした尋問が3日も続くと、被告人の様子に異変もでてくる。残った胴体から肉を剥ぎ、内臓を取り出し、あばらを切り離し、切り刻んでいく過程を、下を向いたまま、傍聴席にもほとんど聞き取れない声で、機械的に答えていく被告人を見かねて、弁護人が異議を唱えた。

続行された異様な裁判

「裁判員制度を前提に、認めてはきたが、こうした尋問が果たして妥当なのか。被告人本人は画像も見ずに、ハイ、と答えている。罪状はすべて認めて反省しているし、供述調書にも同意しているのに、こういう尋問を繰り返すのは、被告人の人格破壊ではないのか」

 これまでの裁判であれば、争点もなく供述調書の証拠採用に同意がなされれば、検察官が要旨の告知をして裁判官に提出されるのが通常だった。ところが、この裁判では、全てを認めている被告人にわざわざ殺害の場面、遺体解体の方法を詳述に語らせ、しかもこれまでにない再現画像で視覚効果を与えている。

 それも、裁判員を意識してのことだった。

 遺族が卒倒し、被告人も心ここにあらずの状態に陥いるような状況下で、果たして裁判員に冷静な判断を求めることができるものだろうか。まして、新聞、テレビがあまりの描写のおぞましさに、自主規制を敷いたほどだ。

 弁護人の異議に尋問は中断。さすがに裁判長が右陪席と小声で協議をはじめたが、そこへ被告人が、

「続けてください!」

 と言い張ったものだから、審理は続行された。

 しかし、だ。傍聴席から見ていても、被告人の様子は普通ではなかった。左右両側と前面のモニターから押し付けられるように浴びせられる自分の犯した罪の再現画像。遺体処理の凄惨な様子。それにともなう供述の誘導。自暴自棄になっているとも、人格がすでに壊れているとも受け取れた。

 あの畠山鈴香の裁判でも、娘を突き落としたという橋の欄干の模型が法廷に持ち出された時の鈴香の動揺ぶりに、裁判長が被告人を気遣って尋問を止めさせたというのに。

 そうでなければ、被告人の供述の証拠能力だって問題になる。ぼくがもし弁護人であれば、すぐに控訴して、あんな状況で自白を強要されたのは違法だ、被告人に正常な判断などできなかった、として裁判のやり直しを主張するだろう。

 これが厳正で公平な裁判といえるだろうか。

「被告人を死刑に!」

 しかも、法廷に設置された新しい装置を使って視覚効果を狙った検察の目的は、裁判員への「わかりやすい」裁判の演出にある。

 この裁判に臨んだ3人の裁判官のうちの左陪席の若い女性裁判官は、大型画面に肉片写真が映し出されても、頬杖をついて、生欠伸を繰り返す余裕を見せていた。裁判官ともなれば、解剖実習にも立ち会って、訓練されている。そんなものにいちいち動じていては、仕事にもならない。

 それだけに、この裁判の異様さが際立つ。

 裁判員という裁判に不馴れなずぶの素人を巻き込んだところで、検察官の劇場型の立証、演出にかかれば、思い通りの量刑を科すことも容易い。

 事件の残忍さを強調され、最後には証言台に座った母親の涙ながらの証言に合わせて、若くして落命した被害者の幼少から成人に達するまでの思い出写真を、まるで結婚披露宴のスライドショーのように見せつけられては、被告人への嫌悪が増す一方だ。検察の主張に感情ばかりが煽られ、証拠の吟味を怠れば冤罪だって招きかねない。

 とはいえ、今回のケースのように、死体の損壊が証拠によって証明されようという場合は、バラバラになった肉片写真も裁判員が目を通さなければならない。目を背けたまま、判断を下そうなどとは、これまた裁判の本質を欠く。

 そこへきて、検察官の求刑は「死刑」だった。犯行態様がいくら残忍とはいえ、強盗や放火も付かないで、殺害人数が1人での死刑求刑は異例も異例だった。

 しかも、求刑にあたっては、担当の検察官がわざわざ被告人の斜後方に譜面台をおいて論告を読み上げ、そして最後に、舞台役者のように声を張り上げて、

「被告人を死刑に!   ……被告人を死刑に処するが、相当と思慮されます!」

 わざわざ溜を作って「死刑」を二度も強調する演出ぶりだった。

 異様な裁判だった。

 ところが、こんな裁判を認める訴訟指揮をとってきた裁判長からして異常だった。

(青沼 陽一郎/文春新書)