世界のメーカー 起源となったクルマたち 前編
メルセデス・ベンツ・パテント・モーターワーゲン(1886年)
このモデルがすべての始まりだ。カール・ベンツは1885年に自動車の製造に成功し、1886年1月に特許を取得した。しかし、メルセデス・ベンツの名は1901年まで冠されることはなかった。このモデルは三輪で、0.76ps、954ccの単気筒エンジンを搭載していた。

しかし、1893年にはベンツは初の四輪自動車を開発した。ヴィクトリアと名付けられ、3ps、1745ccのエンジンを搭載していた。
現在メルセデス・ベンツは、ダイムラーグループの一員となり、2017年には250万台を販売した。
プジョー(1891年)
プジョーが操業を始めたのは1842年。はじめは塩と胡椒のグラインダーを製造していた。40年後に自転車の製造を始め、1891年には自動車を手がけるようになった。

四輪で、Vツインエンジンを搭載するチェーン駆動のRR車だった。初年度には5台が生産されたのみだったが、1892年には29台にまで拡大した。そして1900年までには、年間生産台数は500台に達した。
現在は、シトロエンやヴォグゾール・オペルを有するPSAグループの一員で、パリ郊外に拠点を構えている。
フォード・クアドリサイクル(1896年)
ヘンリー・フォードは初の実験車を1986年に完成させた。フォード・クアドリサイクルとして知られるこのモデルは、ワンオフで製造されていた。

1899年までに、フォードはデトロイトオートモービルカンパニーを設立し、1901年にはヘンリーフォードカンパニーと改名された。しかし、すぐに後援者と対立したため、ヘンリーは新しいベンチャーを立ち上げざるを得なくなった。それがフォードモーターカンパニーだ。
ルノー・タイプA(1898年)
ルイス、マーセル、フェルナルド・ルノーの3人はソシエティ・ルノー・フレールを1899年に操業し、この時にはすでに1CVのプロトタイプが完成していた。時速32kmでの走行が可能で1903年に生産されるまで、タイプAには毎年改良が加えられた。初期は1psだったエンジンは、5psのエンジンに変更された。

現在はパリ郊外に本社を構え、欧州でも指折りの自動車会社となっている。さらに、日産や三菱との協業も行っている。
オペル(1899年)
アダム・オペルは1862年に会社を設立し、裁縫機械の製造を行っていた。1886年には自転車の製造を開始し、1895年に死去した。しかし、残された妻と5人の子供が経営を引き継ぎ、1899年には同社初の自動車を発売した。

エンジンは1545cc、3.5psの単気筒エンジンで、ふたり乗りと四人乗りが用意されていた。しかし、このモデルの売れ行きは悪く、1899年には11台、1900年には24台が販売されたのみだった。
オペルは1931年にGM傘下となったが、2017年にPSAに売却された。
ビューイック・モデルB(1899年)
現存する米国メーカーでは最も古参なのがビューイックだ。1899年に設立され、同年1台目が製造された。しかし、2台目が製造されたのは翌年になってからで、3台目は1903年だった。
はじめはビューイックオートヴィム・アンド・パワーカンパニーという社名だったが、量産が始まったのは1904年になってからだった。翌年にはビューイックモーターカンパニーに改名され、その時発売されたのがモデルBだ。

2605ccのフラットツインエンジンを搭載し、17psを発生していた。その年には37台が販売されたが、 翌年には8800台まで急拡大した。
ビューイックはアメリがで最大のメーカーとなり、ビューイック・ウィリアム・C・デュラントとルイス・シボレーが1908年に設立したGMの中でも、特に重要な位置を占めた。ビューイックの名は現在まで残っており、近年では中国で人気を博している。
オールズモビル・カーブドダッシュ・ランアバウト(1901年)
ランサム・エリ・オールズは19世紀末に数々の実験車やプロトタイプを製造した。1901年には初の量販車を発表し、カーブドダッシュ・ランアバウトと名付けられた。

1565ccの単気筒エンジンに2速ギアボックスを組み合わせるチェーン駆動車だった。実は大量生産を始めたのはフォードではなくオールズモビルであり、初年度は425台が、1902年には2100台が生産された。1908年にGMに買収され、2004年にブランドは幕を閉じた。
キャデラック(1902年)
キャデラックは1902年にヘンリー・リーランドによって設立された。大衆が購入できるような手頃な自動車の販売を目指していた。同社初のモデルはランアバウトという名でデビューし、のちにモデルAという名に変更された。モデルBは1904年に登場した。1609cc単気筒エンジンはリアシート下に搭載され、11psを発生した。

キャデラックはGMに1909年に買収され、今日でもGMのラグジュアリーブランドとして存続している。2017年には、米国内で15万6440台を売り上げた。
フォードモーターカンパニー・モデルA(1903年)
フォードモーターカンパニー初の自動車はモデルAだ。発売は1903年7月で、1904年10月の発売終了まで670台が生産された。
写真は、ヘンリー・フォードのひ孫で、現在同社の社長を務めるビル・フォード・ジュニアと、1903年に製造された現存する最古のモデルAが写っている。

これは彼が2012年に26万4000ドル(2859万円)で落札したものである。モデルAは1645ccの水平痛いこう2気筒エンジンをリアシート下に搭載し、2速ギアボックスを備えるチェーン駆動車だった。
現在はミシガン州ディアボーンに本社を構え、生産台数では世界で6番目に大きな自動車メーカーである。2017年には6.25万台を生産した。
ヴォグゾール(1903年)
ヴォグゾールは船舶用エンジンの製造を1857年に開始した。当時はアレックス・ウィルソン&カンパニーと呼ばれており、1897年にヴォグゾールアイアンワークに改名された。6年後には同社初の自動車が発売された。
5psの単気筒エンジンに2速ギアボックスが組み合わされ、ハンドルは船の舵のような形状をしていた。最終的には70台ほどが生産された。

同社は今でも一台所有しており、毎年11月にはロンドンに持ち込まれ、ブライトン・ヴィンテージカー・ランに出場している。
ヴォグゾールは1925年にGM傘下となり、次第にオペルと関係が深くなっていった。そして、2017年にはオペルとともにPSAに売却された。
ロールス・ロイス(1904年)
エンジニアのヘンリー・ロイスは1904年、裕福な貴族であったチャーリー・ロールスと偶然出会い、その一カ月後にブランド初の自動車を製造した。ロールスは自分のなを冠することを条件に、ロイスの自動車をすべて引き取ると述べた。1904年12月までにはすでに生産を開始していたが、ロールス・ロイス有限会社が設立されたのは1906年になったからだった。

初めて生産されたモデルは1809ccの2気筒エンジンを搭載していたが、1906年にはすでに8気筒エンジンを搭載して販売していた。その後何十年にもわたってさまざまなオーナーのもとを渡り歩いたが、1998年にはBMWの傘下に収まった。BMWからの多額の投資を受けて、今日では最も高価なうちのひとつで、まさに世界一にふさわしい自動車を作り上げている。
ローバー・エイト(1904年)
ローバーは1885年にセーフティ・バイシクルを開発し、これが現代的な自転車を確立した。そして1902年にはバイク、1904年には自動車の販売を始めた。この2シーターのエイトは1912年まで販売され、900回転で8psを発揮し、レッドゾーンは1500回転からという実用的な1327ccの単気筒エンジンを搭載していた。

戦後の好景気な時期にランドローバーを発売したあと、1968年にはブリティッシュ・レイランド・グループの一員となった。さらに、軍事メーカーのブリティッシュ・エアロフォースを経て、BMWの傘下となった後、2000年に再び独立した。しかし、2005年に経営破綻し、現在はインドのタタが所有している。
シュコダ・ヴォワチュレットA(ローリン&クレメント、1905年)
シュコダは、もともとローリン&クレメントという会社だった。1895年から自転車を製造しており、1899年にはバイクの製造を開始。1905年には自動車の製造も開始した。
同社初の自動車がヴォワチュレットAで、7psを発揮する1005cc(のちに1100cc)のVツインエンジンを搭載していた。

1906年に後継車のヴォワチュレットB(1339cc、9ps)が発売されるまで、わずか55台しか製造されなかった。
シュコダは1995年以来フォルクスワーゲンの傘下で、ローリン&クレメントはトップグレードの名前として残されている。
ランチア・タイプ51(1907年)
ヴィンチェンツォ・ランチアはスポーツ・レーシングカーを製造すべく、1906年11月にランチアを設立した。1907年2月に同社発の自動車がテストを開始する予定だったが、工房で火事が発生し、設計図や工具とともに焼失してしまった。ランチアは7カ月に燃え残りから新しい車両を作り上げ、2544cc4気筒エンジンを積むタイプ51は100台以上が生産された。

最も革新的な自動車メーカーだったものの、現在ランチアはまさに存亡の危機に瀕している。生産されているのはわずか1モデルのみで、このモデルも生産終了が予定されている。
アウディ・タイプA(1910年)
アウグスト・ホルヒは自分の名を冠した会社を1904年に設立したが、幹部から外されてしまい、新しい会社を立てた。1910年のことで、会社の名をアウディといった。初めてのモデルはタイプAで、2612ccの4気筒エンジンを搭載し、タイプBが1911年に登場するまでわずか140台が生産された。

現在のアウディはフォルクスワーゲンの傘下で、世界を代表するラグジュアリーブランドのひとつだ。2017年には190万台を生産した。
アルファ・ロメオ24HP(1910年)
1910年に設立されたアノニマ・ロンバルダ・ファブリカ・オートモビリはよりキャッチーなALFAという名に改名された。ニコラロメオが1915年に会社を継承した後、1918年にアルファ・ロメオという名前が生まれた。初のモデルはトーピードー20-30だったが、ALFA社が初めて販売したモデルは4.1ℓの24HPだった。このモデルは1914年まで生産された。

アルファロメオはその後何十年もの間、刺激的なモデルを生み出すメーカーという評判を得ていた。1986年にフィアットから買収され、源内はフィアット・クライスラーオートモビルの一員だ。4ドアセダンのジュリアなどを販売している。
モーガン(1910年)
ハリー・(HFS)・モーガンはマルバーンにガレージを開き、クルマの販売整備業を始めた。1909年には個人で使用するため、自分で車を作り上げた。

そして1年後、三輪モデルの生産を始めた。しかし、このモデルはひとり乗りだったため人気が出ず、1911年にはふたり乗りと4人乗りから選択できるようになった。961ccJAPVツインエンジンを搭載していた。
シボレー・タイプC/クラシックシックス(1913年)
ルイス・シボレーは1911年に会社を設立したが、自動車の販売を開始したのは1913年だった。ニューヨーク・オートショーで公開されたシボレー・タイプC(クラシックシックス)は6気筒エンジンと3速ギアボックスを搭載することで一躍有名になった。

しかし、競合モデルと比べるとやはり高価で、4気筒モデルの追加を余儀なくされた。
シボレーは1917年にGMの傘下に入り、現在はGMの売り上げの多くを担っている。2017年には414万台を販売した。
ダッジ(1914年)
ジョン・ダッジとホレス・ダッジは1901年に自転車部品の販売店を開き、1903年には自動車部品の生産を始めた。その部品の多くはGM車に採用されるものだったが、GMが次第に部品の内製化を進めたため、1914年には自社で開発した自動車の販売を始めた。

5人乗りのツアラーのみが販売され、35psを発揮する3480cc4気筒エンジンに3速ギアが組み合わされていた。1916年には米国で4番目の自動車メーカーになり、年間7万台以上を生産した。
ダッジは1928年にクライスラーに売却され、いまではフィアット・クライスラー・オートモビルの一員となっている。
アストン マーティン・コール・スカットル(1915年)
アストン マーティン初の自動車であるコール・スカットルは1915年に開発された。第一次世界大戦が終わると、さらに3つのプロトタイプが生産され、そのうちのひとつはバニーと呼ばれていた。しかし、それらのモデルが実際に販売されることはなかった。
1921年になってコール・スカットルの販売が開始された。これは1496ccの4気筒エンジンを積むモデルだ。その後会社が倒産するまでに、わずか69台が生産された。

写真のクルマはシャシナンバー3の現存する最古のアストン マーティンで、アストン マーティン・ヘリテージ・トラストが所有している。
アストン マーティンは複数の会社のもとを渡り歩いた後、1994年から2007年まではフォードの傘下に入っていた。DB7やDB9がヒットし、生産台数を大きく伸ばした。その後投資家によって買収され、2018年10月には独立企業としてロンドン証券取引所に上場した。
