いよいよ明日に迫ったCL決勝で、連覇を狙うマドリー。着用ユニホームは白を希望するも、残念ながら紫に決まったようだ。(C)Getty Images

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 史上初のチャンピオンズ・リーグ連覇に挑むレアル・マドリー。選手たちが身に覆う純白キットは“白い巨人”の代名詞であり、100年以上の長きに渡り、世界中のファンに愛されてきた。
 
 では、なぜマドリーは白いユニホームを着用するようになったのか。19世紀末にイングランドで人気を博していたアマチュアの強豪、コリンシアンズFCのそれにインスパイアされたという説が有力だ。
 
 1902年のクラブ創設を前に、視察でロンドンを訪れたマドリーの創始者たちが、スポーツマンシップやフェアプレーをモットーとするコリンシアンズの姿勢と、洗練されたプレースタイルに感銘を受け、白いユニホームの採用を決断したという。しかもその試合会場は、ロンドンにあるクリケットの聖地「ジ・オーバル」だったというおまけ付きだ。
 
 この定説が出来すぎだと、異を唱えたのが英国の高級紙『ガーディアン』である。6月2日に検証記事を掲載した。
 
 もともと英国人選手が発足時に多数関わっていただけに、コリンシアンズの存在が初期のマドリーに影響を与えた可能性は否定できない。とりわけ当時のチームの中軸で、のちの初代監督にも就任したイングランド人選手、アーサー・ジョンソンの考えが色濃く反映されたようだ。
 
 とはいえ、マドリーに来る前のジョンソンの足跡はほとんど残されておらず、イングランド国内のクラブでプレーした記録もない。いまだ謎多き人物なのである。彼は創始者のひとりで、コリンシアンズのポリシーなり白いシャツをマドリーに持ち込んだのは確かながら、ジ・オーバルで試合を観戦していたというのは脚色が強すぎる、と同紙は結論付けた。
 
 マドリーの創設者がジ・オーバルを訪れたのは、クラブ誕生の直前とされている。つまりは1902年の少し前だ。ところが調査の結果、コリンシアンズがクリケット場であるジ・オーバルで最後に試合を戦ったのは、1895年の5月だと判明した。その時期、ジョンソンは16歳だった計算になる。
 そもそも初期のマドリーのユニホームは、シャツとパンツが白で、ソックスが黒。上半身には赤と黄の線が入っていた。カタルーニャのFCバルセロナへの対抗心はこの頃から根強く、マドリーはスペイン王国への愛国心を示すカラーリングだったのだ。かたやコリンシアンズは、白、黒、黒。完全なコピーというわけではなかった。
 
 およそ四半世紀後の1926年、マドリーの2選手がロンドンを訪れ、コリンシアンズのゲームを観戦した。そのフットボールに感動したふたりは帰国後、クラブの会長を説得する。「パンツを白から黒に変えよう!」と訴えたのだ。
 
 それから1年間だけ、白、黒、黒になったが、これはのちに「呪いの黒パンツ」と揶揄されることになる。立て続けに散々な敗北を喫し、バルセロナとのクラシコとなったコパ・デル・レイの準決勝でも1-5の惨敗。会長はすぐさま白パンツに戻し、ついでにソックスも白となり、現在のオールホワイトが定着したという。
 
 いずれにせよ、イングランドで一世を風靡したアマチュアクラブが、足場が固まっていない創成期のマドリーに、小さくない影響を及ぼしたのは間違いない。やがて1910年に南米遠征を実施して各地で反響を呼び、ブラジル屈指の名門コリンチャンスがその名の由来としたのは、あまりにも有名な話だ。
 
 時は流れ、いまやフットボール史上最強のメガクラブとして君臨するレアル・マドリー。一方のコリンシアンズは現在、コリンシアンズ=カジュアルズと名を変え、イングランド8部相当のリーグで活動を続けている。