会社員を長くやっていると、ビジネス上で立ちはだかる困難の連続に疲れ、思わず何かにすがりつきたくなる気持ちになることもあります。それは愛する人との別れにも言えること。大手ニュースサイトが昨年12月、「消えゆく『死者との交信』――青森のイタコを訪ねて」と題した記事を配信し、大きな反響を呼んだことは記憶に新しいでしょう。

 これを読んだ記者は、その深く重層的な内容に感動すると同時に、もしこの「交信」が演技であり、さらには「霊感商法」などに結びついた場合、詐欺罪などに問われないのか疑問を抱きました。

 オトナンサー編集部では今回、「イタコ芸」という造語を独自に作成し、それが法的にどう扱われるのかを弁護士の長家広明さんに聞きました。

財産的な被害の有無が決め手

 長家さんは霊感商法について、「どこまでが許されて、どこからが許されないのかは、かなり難しい問題」と話します。

 議論の前提として、仮に人をだましても、結果として金品をだまし取ったのでなければ、詐欺罪は成立しないという背景があるようです。「法律が犯罪として規定する詐欺罪は、あくまでも財産的な犯罪なのです」。

 確かに、だまされただけでは、財産的な被害を受けたわけではありません。「精神的な苦痛を受けたことについて、民事上で慰謝料を請求できる場合もありますが、少なくとも、詐欺罪は成立しないのです」。イタコ芸も同様のようです。

 長家さんは「人それぞれの考え方がある」と前置きしつつ、このように説明します。

「霊魂がこの世に存在するのか、霊魂が降りてきて話をすることが本当にあるのか、この点について『分からない』ということが、一般的で『健全な社会常識』だということで、皆さん一致しているのではないでしょうか」

 このように考えた場合、イタコ芸がただちに「だます」ことに当たるかといえば、必ずしもそうは言い切れないのです。

壺を買わせてしまったらアウト

 しかし、該当するケースもあります。たとえば「芸を利用して『この壺を買わなければ、がんになって1年以内に死んでしまう』と言って、壺を買った人がいたとしたら詐欺罪が成立します」。

 霊魂がこの世に存在するかどうかは「分からない」としても、「壺を買わないとがんになって1年以内に死ぬ」という言葉の内容については、「真実に反している」と考えるのが「健全な社会常識」であるため、「だます」ことになるといいます。

 では「この壺を買うと幸福になります」と言った場合はどうなるのでしょうか。「表現内容にもよりますが、『幸福になります』で買った人がいても、ただちに『だます』ことにはなりません」。

 その理由としては、「幸福」という概念は抽象的であり、幸福になるかどうかは「分からない」というのが、「健全な社会常識」と考えられるからです。

「分からない」という感覚

「霊魂が存在することは、科学的に証明されていませんが、存在しないことも証明されていない。法律の世界では『社会通念』という言葉がよく使われるのですが、それを言い換えると『健全な社会常識』です。何が健全で何が常識なのか一概には言い切れませんが、こうしたバランス感覚がとても重要なのです」

 これを機会に「分からない」という感覚について改めて考えてみるのも、よいかもしれませんね。

(オトナンサー編集部)