背番号「21」といえば、この5人!
サッカー選手の中には、背番号にこだわりを持つ選手も少なくない。
「背番号○○といえば」というこのシリーズでは、毎回ある特定の背番号を指定し、その番号を長く背負ったことですっかりイメージのついた選手や、その番号に特に縁のある選手を編集部Sの独断で5人選ぶ。
なお、選出は現役の選手に限定する。
今回取り上げるのは、「21」だ。
アンドレア・ピルロ(ニューヨーク・シティFC)
背番号の変遷
【ブレッシャ】
#? :1994 - 1995年
#21:1997 - 1998年
#5 :2000 - 2001年
【レッジーナ】
#30:1999 - 2000年
【インテル】
#21:1998 - 1999年
#11:2000 - 2001年
【ミラン】
#21:2001 - 2011年
【ユヴェントス】
#21:2011 -2015年
【ニューヨーク・シティFC】
#21:2015年 -
背番号「21」の代表格といえば、やはりピルロだろう。インテル、ミラン、ユヴェントスの三大クラブでこの番号を背負い、昨年からプレーするニューヨーク・シティFCでももちろん選んでいる。逆に21番をつけなかった頃を見てみると、レッジーナで30番、インテルで11番、ブレッシャで5番を選択。なお、ブレッシャで5番をつけている頃には、チームにロベルト・バッジョがいた。この夏、イタリア代表としてEUROへの出場が期待されている。
フィリップ・ラーム(バイエルン)
背番号の変遷
【バイエルン】
#29:2002 - 2003年
#21:2005年 -
【シュトゥットガルト】
#21:2003 - 2005年
世界的名門バイエルンで、10年以上も21番をつけているラーム。デビュー当時は29番であったが、その後はシュトゥットガルトへのローン期間を含めてクラブキャリアの全てで「21」を背負っている。ちなみに、デビュー当時にバイエルンで21番をつけていたのはFWアレクサンダー・ツィックラー。クラブでは「21」を選ぶラームだが、ドイツ代表では多くの主要国際大会で「16」を背負っている。ただし、EURO2004では21番をつけて出場。
フアン・カルロス・バレロン(ラス・パルマス)
背番号の変遷
【ラス・パルマス】
#? :1995 - 1997年
#21:2013年 -
【マジョルカ】
#? :1997 - 1998年
【アトレティコ・マドリー】
#16:1998 - 2000年
【デポルティーボ・ラ・コルーニャ】
#21:2000 - 2013年
“スーペル・デポル”の絶対的な司令塔、バレロンも「21」がよく似合う。2013年にデポルティーボを退団すると、プロデビューを飾ったラス・パルマスに復帰。40歳になる現在も現役で、今季のバルセロナ戦後にはアンドレス・イニエスタとユニフォームを交換していた。意外かも知れないが、デポルティーボの前に所属していたのはアトレティコ・マドリー。2002年ワールドカップでは17番をつけ、EURO2000とEURO2004ではともに「21」を背負っている。
パウロ・ディバラ(ユヴェントス)
背番号の変遷
【インスティトゥート】
#9 :2011 - 2012年
【パレルモ】
#9 :2012 - 2015年
【ユヴェントス】
#21:2015年 -
偉大なるアンドレア・ピルロの後を受け継ぎ、“ビアンコネロ”の未来を託されたディバラ。インスティトゥート、パレルモでは9番をつけてきたが、ユヴェントス移籍時に21番を選んだ。世界で多くのベテラン選手がつけるこの番号だが、今最もフレッシュで勢いのある「21」と言えばこの選手だろう。ちなみに、アルゼンチン代表では19番をつけている。
加地 亮(ファジアーノ岡山)
背番号の変遷
【セレッソ大阪】
#29:1998年
#17:1999年
【大分トリニータ】
#22:2000 - 2001年
【FC東京】
#20:2002 -2005年
【ガンバ大阪】
#21:2006 - 2014年
【チバスUSA】
#14:2014年
【ファジアーノ岡山】
#21:2015年 -
日本人で21番といえばやっぱり加地亮!ガンバ大阪や日本代表でつけていた姿が印象的だが、実は大分時代には「22」を、FC東京時代には「20」をつけるなど21±1の番号も網羅している。2014年にMLSに挑戦するも、チームの解散とともに帰国。昨年からファジアーノ岡山でプレーするが、もちろん選んだ番号は21番だった。
